5.線香花火
鈴虫の鳴く夕闇に、ポッと仄かな明かりが灯る。微かな火薬の爆ぜる香りに郷愁を覚えた。
「おとーさん、それ、なあに?」
明るく小さな炎に手を伸ばそうとする好奇心旺盛な娘を、逆の腕で抱えこんだ。しゃがんだ腿の上に座らせてやる。思えば、こうして彼女の前でこれをするのは初めてだった。
「線香花火っていうんだ。ようく見てろ」
先の火球から火花が散り始める。きれいきれいと手を叩くのはいいが、触れてみたいと手を伸ばすので、近づかせないようにしっかりと腰を抱えている。
「お母さんのお迎えだからな。花火には触っちゃだめだぞ」
「んと、おかあさん、かえってくる?」
たどたどしく、けれど意味はおぼろげながらでも理解はしているらしい。
「少しだけな」
ぽとり、と炎が地面へ炎が落ちた。男は床に置いていた線香花火をもう一本拾い上げる。
細いそれは頼りなくも思えたが、この繊細さがどこか安心もする。年に一度しか手に取らないこれが、今年も変わらずにここにある。ただそれだけだが、どこか愛しい。
足元では迎え火が小さくとも煌々と燃えている。そっと炙るように線香花火を近づければ、先に仄かな明かりが灯った。
線香花火の寿命は短い。二本めもあっという間に落ちてしまう。
「おとーさん、もうひとつ! もうひとつやろ!」
「そうだな。次はよくよく見ておけよ」
膝の上から下ろせば、理莉は父の横へしゃんと立った。父の様子が少し先程までと変わったことを、幼いながらに感じ取ったのかもしれない。
赤い炎が火花を散らし、じきにその勢いをなくすその時に、線香花火を持つ手に白い手が重なった。
冬理はその手を辿るように視線を上げる。
そこにいたのはひとりの女性だった。記憶にある姿と何ひとつ変わりない、最愛の女性。
「……おかえり。
「……ただいま。冬理くん。理莉」
穏やかな笑顔で帰宅の挨拶をかわした彼女は、五年前に命を落とした妻だった。
「ずいぶん大きくなったね、理莉も」
「本当に。毎日服を泥だらけにして帰ってくる」
眠ってしまった我が子の頭を撫でる妻――茉莉は、愛おしそうな瞳を娘から外さない。元気なことはいいことだけど、と言葉を次いで、冬理は缶ビールをあおった。
「来年くらいには、理莉も覚えてるかもしれないな」
「本当?」
「ずいぶん気に入ったみたいだから。線香花火」
盆の宵に迎え火を用いて線香花火を行うと、彼岸へ向かった故人が実体をもって帰ってくる。
この土地にはそんな言い伝えがあった。冬理は元々違う土地の人間で、茉莉と結婚したことでこの土地へとやってきた人間だった。よって、この逸話が本当だとは思っていなかった。
ただ病で妻が彼岸に渡り、ひとり残された娘をどうにか育てていかなければと気を張っていたときに、隣人からこの話を聞いた。
その話を聞いた年は、本当とは思えず墓へ参ったくらいで済ませた。冬理の故郷では迎え火と送り火の文化もなかった。
喪失感は時が解決してくれるという。けれど、時が経てば経つほど妻への思いは薄れるどころか強まるようになった。
外へ出る身支度をしているとき、娘と手をつなぐとき、買い物かごを手に取るとき、些細なことでも妻の面影を思い出した。
そうして喪失感と向き合い続けていたとき、この土地の逸話を思い出した。
ダメ元で、迎え火のやり方を調べた。線香花火は、この土地だからなのかどこの店でも売っていた。
そうして初めて妻を呼んだのが、三年前だ。初めて呼んだ年、全く変わらぬ面影の彼女に冬理は思わずボロボロと泣き出したほど、焦がれていた。
それ以来、毎年このわずかな時期は家族三人で過ごすようにしている。
「来年呼ぶのは僕じゃなくて理莉かもしれないな」
「危なくないよう、見ててあげてよ?」
「もちろん。……あ、そうだ。料理、教えてくれないかな。理莉もよく食べるようになったんだ」
「冬理さん、お料理苦手だったね。いいよ、今日から特訓しなきゃ」
「お手柔らかに……」
鈴虫の鳴く宵は、ゆっくりと更けていく。
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