第13話 【ガレ木】SFPエッセイ213

【ガレ木】がれきってよむのかな? がれぼくかな? がれもくかな? ガレージの木? エミール・ガレが好きな木? ガレット・デ・ロワを食べる木曜日かな? たそがれの木ってきれいだな。たそがれは影がくっきり。そらをゆびさし明日を示す。たそがれの木が気に入った。 #140SFP


   *


 このところ毎朝、暗いうちに起きてカーテンを開けると、ちょうど正面に金星がいて部屋を覗き込んでくる。明けの明星の異名の通り、驚くほど明るくて驚くほど大きい。星ってあんなに大きかったっけと、ぎょっとするほどだ。日ごとに位置がだんだん高くなっていくので、そろそろカーテンを開けても見えなくなるに違いない。それからわたしの心は「空港」に向かう。


 現在「空港」利用者は世帯の70~80%に及ぶというので、十分に普及したと言っていいだろう。広大な敷地からたくさんの飛行機が発着していたかつての空港の利用が多くの人にとって非日常であったのに対し、わたしたちの「空港」は日常の領域に属していると言っていいと思う。もっともその体験の中身は日常とはかけ離れたものなのだが。


「どうしてあのような空港を思いついたのですか?」


 よく聞かれる質問だ。上手に説明できる自信がないので、これまであまりきちんと話すことがなかった。でも、せっかくなので金星に敬意を表してこの機会に説明を試みたい。そこには金星と、「ガレ木」という言葉が大きく関わっているのだ。


 その話をする前に。


「空港」をつくるのは長年のわたしの夢だった。

 空港と聞いてみんなが思い描くものとは全く異なる「空港」をつくりたい、飛行機も使わず、ジェット燃料も消費せず、海外への渡航を実現したい。それが長年のわたしの夢だった。当初は──誰でも思いつくように──VR体験による仮想移動を想定していた。つまり、その「空港」に行けば、肉体的にはその場にいながらにして、遠隔地のリアルタイムの五感情報をバーチャルリアリティによって得られるというものだった。


 初歩的なVRが視覚と聴覚のみで構成されているのに対して、嗅覚・味覚も加え、さらには全身の触覚までも体感するには、極めて高額のVRスーツが必要になり、さらにはリアルタイムの渡航先情報を得るには、現地で情報を取得するプローブを飛ばす必要がある。プローブの周囲にホログラムで「渡航者」の姿を表示すれば、現地の人と交流することもできる。


 プロトタイプ版までは実現できていたし、これはこれで悪くなかった。ただ、どうしても個人的に納得いかない部分があり、会社ごと売却してしまった。売却した会社がどうなったかは、みなさんよくご存知のはずだ。Google travelがその会社だ。ちゃんと成功しているのでそれなりのニーズはあったようだ。自分でもかなりいい線行っていたと思っていたのだが、バーチャルリアリティでは、生身なら体験できるはずの情報が大きく失われてしまうことを容認できなかったのだ。


 今ある「空港」を知っている人からすると、わたしがGoogle travelのようなものを考えていたと知って驚くかもしれない。でも実は出発点はあのようなVRトラベルだったのだ。しかし、会社を売却した時点では、まだ次の一手が浮かんでいたわけではない。自分が望む「空港」はどうあるべきか当てもなかった。幸い使えるお金はたんまりできた。なにしろ売却先がGoogle(正確にはその親会社のアルファベット)だったのでね。


 そこでわたしは昔ながらの空港に行き、飛行機に乗って、あちこちを旅して回った。土地の食べ物を味わい、土地の酒を飲み、土地の人々と語り合い、ハプニングに会い、美しい景色を目撃し、泣いたり笑ったりした。そして、当たり前のことだが、旅しなければわからないことがたくさんあるということを再確認した。


 アフリカを旅している時に〈大災厄〉が発生した。太平洋に巨大な隕石が落下し、巨大津波で太平洋上の島国が飲み込まれ、環太平洋の国々が甚大な被害を受けた。隕石との因果関係は不明だが、続いて各国で火山活動が活発になった。環太平洋各地で大地震が頻発した。火山灰のために航空機の飛行が制限された。帰国するには船しかなかったが、船便の供給が追いつかず、戻る船の手配に2ヶ月もかかった。


   *


 戻ってみると日本は大混乱の状態にあったので──みなさんご承知のようにその後日本は無数の都市国家群に分裂する──拠点をトゥヴァのクズルに置き、そこから日本各地に足を運び、破壊し尽くされた国土に生活を取り戻す手伝いをした。最初は、いわゆる「瓦礫の撤去作業」を黙々と行っていたが、そのうちに方針に変化が出てきた。破壊の規模があまりにも大きいため、以前の街を取り戻すことが目標ではなく、いまある土地でどう生活を再建するかということの方が重要になってきたのだ。「ガレ木」という文字を見たのはその頃のことだ。


 それを書いた人にどういう意図があったのかはわからない。単純に本人が思い違いをしていただけかもしれないし、そこに何か意味を込めていたのかもしれない。瓦礫という言葉を嫌ったのかもしれない。あるいは仲間内だけで通用する言葉として──例えば木材に限って作業する時の呼び方として──「ガレ木」と書いたのかもしれない。災害ボランティアセンターのボードにたくさん貼られた紙のなかに「ガレ木作業」というものがあって、それが妙に印象に残った。


 実際、その土地では大量の倒木の片付けをしなくてはならなかった。融雪型火山泥流という現象のためになぎ倒された木々が塊になって麓の人家や街並みを破壊しつくしてしまったのだ。瓦礫という字は屋根の「瓦」と石つぶての「礫」と書くように、倒壊した建物の残骸を指す言葉だが、ここで片付けねばならないのは人工物だけでなく、土砂や岩石と火山性の噴出物と大量の焼け焦げた倒木なのだった。


 脱線になるが、融雪型火山泥流という現象について説明したい。火山が噴火して火砕流が発生した時に、それが冬場だと雪を溶かして融雪型火山泥流というものになる。火山というと溶岩が流れてくるイメージがあるが、溶岩流は溶岩が斜面を流れるので、どんなにさらさらの溶岩でも流水以上のスピードになることはない。凄まじいスピードで斜面を駆け下りてくるのは溶岩流ではなく火砕流だ。高温の火山ガスが水を蒸発させて水蒸気と混ざり合い、熱の雲とでもいうべきものとなり、噴火で噴出したものや斜面のものを巻き込んで斜面を滑り降りてくる。ガスの塊なので摩擦がない分恐ろしく高速だ。時速100kmを超えることもある。これが起きてしまうとまず逃げきれない。


 そして、この火砕流が雪を溶かして流水を発生させ、水蒸気の雲に乗って、ありえないようなスピードで斜面を一気に駆け下りて麓の人家も街も飲み込んでしまうのが融雪型火山泥流だ。そんな現象のことは、多くの人は知らないだろう。火砕流が発生するような火山の噴火に遭遇する機会も少ないし、ましてやそれが積雪の時期と重なることはさらに少ないからだ。しかし火山国に住む以上、警戒すべきなのは溶岩流や噴石だけでなく、火砕流や融雪型火山泥流も忘れてはならないのだ。


 話を「空港」に戻す。


 日々「ガレ木作業」に従事しながら、それが何になるのか自問し続けた。いわゆる瓦礫や大量の倒木を片付けたとして、そこには元あった街はない。建物もないし、道もわからなくなっている。肝心の住民も大勢犠牲になっていなくなってしまった。何もかもがずたずたにされて、どうがんばっても元通りにはならない。元通りをめざすのはどだい無理な目標だ。1日の作業を終えてふと見上げると、わずかに夕焼けの余韻を残す紺色の空を背景に1本の木がそびえていた。葉を失った枝先を伸ばし、その先には一番星が輝いていた。


 その瞬間に「空港」が果たすべ役割がわかったのだ。失われたものを大切に思いつつも、目標にすべきは、いまここから先をどうするかという次の目的地の姿を思い描くことなのではないかと。こうしてわたしの「空港」が生まれることになる。「空港」からは、もちろん過去を訪ねることができる。失われた街を訪ね歩くことができる。人々に出会い、その時代で暮らすこともできる。そこには以前の会社で開発した技術がそのまま使える。


 でもそれだけではない。わたしの「空港」では未来に行ける。いまいるこの土地がこれからどう変わっていくのか、どんな人が住み、どんな生活をしているのか。それを体験することができる。未来の時間に暮らすことができる。その未来は、体験する人のフィードバックを受けて徐々に変わり続けていく。わたしの「空港」では緯度経度情報は動かない。時間軸を過去にさかのぼり継承すべきものを体感し、未来を先取りして進むべき方向を共有し模索し修正することができる。


 失われた過去を惜しみつつ、一歩踏み出すべき未来を手探りする人は日本中に、というよりも太平洋に面するすべての国にいた。完全な体験ができる施設はあまりにも高額で誰にでも体験できるものではなかった。逆にお金を払える人はいくら出してでもいいから体験したいと言った。だから彼らから資金を調達し、その代わりに誰でも家で利用できる帽子型のVRマシンを極めて廉価で提供した。いまみなさんのお手元にある帽子型時間空港「CAP(Chrono Air Port)」がそれだ。


 たそがれの木は明星を指していた。葉をむしられ根元は塩水で浸されかつて繁り栄えた面影はもうない。復活して以前通りになるのかどうかは今はわからない。けれど立ち姿は今も変わらないし、その枝先は天を指し、その先には夜空で一番明るく輝く星がある。このようにしてわたしの「空港」は生まれた。そして、その情景の通りでありたいと願う。


(「【ガレ木】」ordered by 南 圭子-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・製品・サービスなどとは一切関係ありません。

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