第12話 【オールジャパン】SFPエッセイ212

 いくつになっても、何か新しいことを身につけられるというのは、悪くない。なかなかいいものだ。


 とはいえ寄る年波にはかなわない。まだ終わりたくないと考えるということは、つまり自分でも終わりが近づいていると感じているということの裏返しでもあり、そのことは否定しようもない。だから若者のふりをして無茶をするようなことは、もうない。食事の量も「普通」サイズで十分になった。かつては「料金同じで大盛り」などと言われたら迷わず大盛りを選んでいたものだが、今はそんなことをするなんて考えられない。


 にも関わらず、いまだに自分のことを若造のようにみなしている部分がある。チームに最年少メンバーとして加わったせいもあるだろう。あれからもう30年以上経っていることを考えると、我ながらどうかしているとは思うけれども。それでも自分はいまだに若造だと考えてしまうし、ろくに何も知らず経験も不十分で、常に学び続けようと考えている。ただ若造のスタンスがいけないのかというとそんなことはない。その態度は間違ってはいないとさえ考える。


 だから間もなく60歳になろうとしているが、口笛の吹き方を教わることについても抵抗はない。抵抗はないが、唇がかさかさに乾燥していることは口笛を吹く上ではどうやら不利なようだ。こればかりは気ばかり若くてもどうなるものでもない。唇を舐め舐め練習するのだが、いったい何をどうしているのかさっぱり検討がつかない。そしてこれは声を大にして言っておきたいのだが、唇を舐めるのは一時的には潤いをもたらすが、結果的にはより深刻な乾燥をもたらしてしまうのだ。だからどんどんがさがさになる唇をすぼめたり突き出したりして四苦八苦している。


 口笛の師匠は12歳になるクリスで、彼女は実に見事に口笛を吹く。少女ゆえに高い音が得意なのだろうが、それにしても程があるというほどの高音をのびのびと鳴らすことができる。低音部も大人の男顔負けの低い音を鳴らせるのだが、なぜそんなことができるのかわからない。ピッコロでも篳篥(ひちりき)でも小さい楽器は高音しか出ないものと相場が決まっているではないか。


 それだけではない。演奏技術もすばらしい。口笛のことを演奏と言っていいのかどうかよくわからないが、クリスがやっていることは演奏と呼んでいいレベルだと思う。音が正確だとか表現力が豊かだとかいった月並みな言い方しかできないが、実に感動的なのだ。たった一人で口笛を吹いているのに、あたかも何人もの人々が加わって合奏しているかのように聞こえて圧倒される。


 しかし名選手が必ずしも名コーチとは限らないように、クリスも教えることについてはあまり関心がないようだ。

「なんで音が出ないの?」

 それは私が知りたい。

「ヒューって吹くの。ヒューって。やって」

 それができたら苦労しない。

「ただ吹くんじゃなくて口笛を吹くの!」

 そのやり方を教えて欲しい。


 教師としてはともかく、すばらしい演奏をする先達としての彼女のことは心から尊敬している。その点ではやはり自分は若造であり、彼女が先生だと言っていいだろう。クリスが師匠であり、自分が弟子であることには間違いない。ある意味では、教え方が上手でない師について、その一挙手一投足から極意を盗み取ろうとすることの方が徒弟制の修行としては正しいあり方なのかもしれない。


   *


 チームが結成された30年前、辺境の衛星カスカベは地球人の移住先として非常に大きな期待が寄せられていた。巨大惑星に属する第三衛星。サイズこそ小さかったが、酸素が22%含まれた大気、場所にもよるが平均で摂氏13度という気温、人間にとって毒性の少ない環境、重力、大気圧、そして何と言っても豊富な水に恵まれた衛星カスカベは第二の地球と呼ぶにふさわしかった。


 人類初の試みとして、居住を目的として──つまり、地球への帰還を想定せず──チームが送り込まれたのが今から32年前のことだ。百地教授を筆頭に12人編成のチームの目的は、第一には衛星カスカベを定住の地にするための調査研究だったが、もっとなまなましい大人の事情を言えば日本がカスカベを独占するための実績作りだった。


 あれは異常だった。12人は5世代さかのぼって審査されアイヌ民族、ヤマト民族、ウチナー民族のいずれかに属していることとが求められた。移送船の建造は請け負った会社の国籍はもちろん、部品や制御系プログラムやその開発ソフトウェアに至るまでことごとく純国産にこだわり、オールジャパンのプロジェクトだと喧伝された。


 12人に選ばれた当初は素直に喜んでいたのだが、オールジャパンオールジャパンと連呼する様子を見るうちだんだん気がめいってきた。自分はただ、未知の衛星で人類がまだ知らない世界や素材に触れたかっただけなのに。人類の、外宇宙への挑戦でいいではないか。もしくは12人の個人の冒険で。


 2年間の人工冬眠から目覚めて3人が死んでいたのは手痛い犠牲だったが、到着してからの10年間は幸せな日々だった。我々が定住した場所は気候も穏やかで、食料となるものにも事欠かず、結局われわれは地球由来の植物を栽培することなく生き延びることができた。外来種を持ち込まずに済んだのは良かったと思う。小規模ながら発電所を設け、さまざまな加工品をつくれる工場も建設した。9人の共同生活の基地はやがて集会所となり、各人が思い思いに家を建てた。


 自分を含め3人の若い女性はここで出産することが期待されていた。誰かをパートナーにしてもかまわないし、携行した冷凍精子を使うのでも構わないとされた。今でも笑ってしまうが、最初に妊娠したのは、チームの中でもやや年齢が上に属する医師で、みんなでお祝いの言葉を述べながらも微妙な空気が流れていたことを思い出す。


 それが10年目で、そこから事態は大きく変わった。子どもは結局生まれてこなかった。ある日、母親である医師ごといなくなってしまったのだ。なぜいなくなったのか見当もつかなかった。続いて磁気嵐が起きた。まず主星のサイタマに設けた日本との連絡用のアンテナが破壊され、ついでカスカベのあらゆる電子機器が故障した。突然われわれは原始的な生活に戻らざるを得なくなった。


 それから数年のうちに、妊娠した女性が失踪するできごとが続き、もともと高齢だった教授が亡くなり、ネットワークのエキスパートの男性が自殺し、メンバーは半分以下に減っていた。13年前、自分が妊娠した時には緊張が走った。これで最後の女性がいなくなってしまうからだ。子どもの父親である鉱物学者の次郎丸がデビルズ・スネイクを発見し、ビジョンを得るようになったのはちょうどその頃だった。


 次郎丸はわれわれがすべきことを伝えた。ビジョンが何なのか、次郎丸が見る幻覚なのか、何者かがメッセージを伝えようとしているのかわからなかった。でも3人の男達は妊婦である自分を監視下に置き、予定通り無事に出産できたのだった。それがクリスだ。全員がクリスの誕生を喜び、涙を流して歓迎した。とりわけ次郎丸は大喜びし、デビルズ・スネイクで手に入れたという珍しい鉱石をクリスにプレゼントした。 


 クリスという、日本人らしくない名前を赤ん坊につけたのは自分のささやかな抵抗だった。みんなは不思議そうな顔をしたが、特に反対もしなかった。クリスは全員に可愛がられすくすくと成長した。前の磁気嵐からちょうど10年目にふたたび磁気嵐が発生した。この時はもう電子機器には頼らない生活をしていたので、大きな被害はなかったが、逆に前回故障した装置の幾つかが復活して、地球と連絡が取れるようになった。


 地球で暮らすみなさんは百もご承知のように、日本はすでにかつての日本ではなく、大小取り混ぜさまざまな都市国家群に分裂していた。20年前に巨大な隕石が太平洋に落下したそうだが、それがカスカベで体験した磁気嵐と関係があるのかどうかはわからない。オールジャパンなどいうものはとっくになくなっていたわけだ。


   *


「かあさん」

「なに?」

「次郎丸が帰ってきたよ」

「おとうさんと言いなさい」

「だれか連れてきた」

「だれかって?」

「女の人たち」


 外に出るとそこには医師と同僚の女性2人と、その子どもたちとおぼしき3人のヒューマノイドの生命がいた。3人の女性は穏やかな笑みをたたえ、次郎丸も満足そうに笑っていた。

「デビルズ・スネイクでばったり会ったんだ。おれに会いに来てくれた。みんな元気にしていたって。子どもたちもすくすく育って。この星の先住民の遺伝子を受け継いでいるらしい」


 おやまあ。オールジャパンどころじゃないね。オールアースですらない。オールユニバースなら、まあ間違いじゃないかな。ヒューッ!


「かあさん」

「なに?」

「口笛吹いてるよ」


 このようにして自分は口笛を吹くことができるようになったのだった。


(「【オールジャパン】」ordered by 岡 利章-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・埼玉県などとは一切関係ありません。

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