第14話 【簡易トイレ】SFPエッセイ214

【簡易トイレ】諸君。簡易トイレを知っとるかね。大事なものなので、ぜひ覚えていただきたい。つくるのは実に簡単。まず土をならし深く掘り、型にコンクリ流し込み、杭を打ち建物を建て、しかる後に部屋を割り付け、その一つに簡易トイレと名付け完成だ。どうだ簡単だろう? #140SFP


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 どのSNSが優れているかというような話題が時々出てくる。「やっぱりLINEでしょう」だの「LINEはもう終わっていてInstagramですよ」だの「本当にアカウントが生きているのはTwitterだけ」だの「数で言えば圧倒的にFacebookがいまなお影響力大」だの、鼻を膨らませながら得意げに話す人を見かける。ああはなりたくないものだ。


 例えば私はいまFacebookを中心に利用しているが、Facebookが優れているなんて思ったことは一度もない。昔パソコンのOSについて「心はMac、仕事はWindows」などという言葉があったが(いつ頃だ? もうン十年になるか?)、その伝(デン)で言えば「心はTwitter、仕事はFacebook、家族とLINE」という感覚が近い。とはいえ別にFacebookを仕事だけで使っているわけではない。


 日本で暮らしていて、さほどITリテラシーが高くもなく、ごく一般的なインターネットの普及に合わせてその初期から見てきたものとすれば、ネット上で個人が発信する手法はどんどん選択肢が広がっていて、そしてそのどれが優れていてどれが劣っているというような話ではない。例えば日本のインターネット黎明期には「電子メールとホームページ」という形でそれは始まった。


 いまでは「電子メール」なんて言い方をする人はあまりいない気がするが、この実に素朴なコミュニケーションツールはおそらく「BC/AD(紀元前/紀元後)」くらいの大きな変化をもたらした。なんて昔話をしても仕方がなくて、こんなことを言うと「いまどきe-mail使ってるやつなんていませんよ」くらいの言われようをしてしまう。それも全くの間違った偏見なのだが、そういう空気は確かにある。


 特定の個人宛に送るものとして始まった電子メールに対して、ホームページはWWW(ワールドワイドウェブ)を介して不特定の全世界に発信するものとして画期的だった。いまだかつてこんなに簡便に誰もが世界に向けて情報を発信できるツールなど存在しなかったのだから。そういう意味では1990年代の半ば過ぎあたりに起きた出来事は本当に決定的にいろいろなことを変えた。


 もっとも、それが当たり前になったいまからすると「それがどうした」という話でもあるが、まあそういうことだ。マイカーが当たり前の世代に自動車以前の生活を説明しても仕方がないし、カラーテレビが当たり前の世代に白黒テレビのことや家族でラジオを囲んだ時代の話をしても仕方がないのと同じだ。


 画期的ではあったが、何の知識もない一個人にとって、ホームページをつくるのは少々ハードルが高かった。だからブログが出現した時にはすげえ!と思ったものだった。やがて2004年2月アメリカではFacebookが、日本ではmixiがほぼ同時にスタートし、SNSの時代に移行した。自前でブログを立ち上げるのは心理的なハードルがあった人も、とりあえずアカウントを持っておけば書きたい時に書けばいいし、放置していても特に問題のないSNSは「ちょうどいいツール」だったと言えるだろう。


 mixiではタイトルをつけて本文を書くというスタイルだったことが、実はハードルだったと思われ一時期の隆盛はあったものの、やがてTwitterやFacebookにその座を奪われてしまう。最大140文字、極論一文字でもつぶやけるTwitterはハードルを限りなく低くしたし、その結果、それ以前にはネット上に存在出来なかった膨大な数の人々の「気分」を映すメディアが出現した。


 並行して動画投稿サイトのYouTubeや写真のInstagramなど、テキスト以外のものに特化した投稿サイトも個人の情報発信手段として利用されるようになり、さらにはよりパーソナルな位置付けのLINEが勃興し、広い意味でのSNSは、大小さまざま、途中で消えたものも含めればおびただしい数に達した。


 言いたいことは何かというと、自分に合った手段を見つけやすくなっているということだ。メールは古いからダメだとか、ホニャララは一番新しいツールだから信用できないとかケチをつけるような話ではないということだ。タイトルをつけて長文を書くのが得意ならブログでもmixiでも使えばいいし、文字を書くことには何の興味もないけれど写真は呼吸をするように撮るという人はInstagramを使えばいい。発信には興味がないが眺めるのが好きという人は好きなアカウントを取ってロムればいいし、要するにテキストでも写真でも動画でも音声でも自分が一番扱いやすいものを使えばいい。それだけのことだ。


 人間や家畜の糞尿を肥料やバイオガスの原料として利用するのが当たり前の土地においては、糞尿を廃棄するなんてとんでもない話だ。携帯用のトイレなどで凝固剤を使って固めて捨ててしまうと聞くと、何という無駄遣いだとめまいがする。簡易トイレをつくるにしても、トイレとして安全かつ清潔なのは言うまでもなく、糞尿を廃棄するのではなく、資源として活用する上で最も便利なものが望ましい。


 という立場の人間もいるのだ。「正しい簡易トイレ」なんてない。その人に一番しっくりくるものを作って使えばいいのだ。LINEがベストとかFacebookは終わったとか言うのはやめにしよう。mixiが一番いいって人がいたっていいじゃないか。今でもVineのコンテンツを眺めているって人がいたっていいじゃないか。


(「【簡易トイレ】」ordered by Miyuki Tanabu-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・防災グッズなどとは一切関係ありません。

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