第8話 【天国に行ける?】SFPエッセイ208
【天国に行ける?】天国に行けるのはどっちか考えよう。言い間違いをした時に謝れる人と、辞書を調べたらあったと言い張る人。問題が起きた時に責任を引き受ける人と、自分には関係ないと言い張る人。都合の悪い話が出てきた時、しっかりと認める人と、しかとする人。 #140SFP
*
このところずっと浦島太郎の玉手箱のことを考えている。どうにかして手に入れることはできないものかと考えている。
浦島太郎の玉手箱について説明が必要とも思わないが、いまここで初めて目にしたという人もいるかもしれないので、簡単に説明しておく。現在一般に流布しているものがたりは、浦島太郎という漁師が海底深くの竜宮城という場所に連れて行かれ、3年ほど楽しく遊び暮らしてから帰郷すると村の様子は変わり、知り合いもおらず、聞けば300年が経っていた。というのが主なあらすじだ。
竜宮城に行くきっかけとして、浜辺で悪ガキにいじめられていた亀を助けたところ、その亀の背に乗って連れて行ってもらうことになったというエピソードがついていたり、竜宮城というのはタイやヒラメが舞を舞っておいしいものを飲み食いできて美しい乙姫が相手をしてくれて、言って見れば最上級の遊郭に泊まり込みで遊び続けるような日々だったという描写があったり、別れ際に乙姫から決して開けてはならないと言って手渡された玉手箱を浦島太郎が開けたところ白い煙が立ち上って浦島が一瞬にして老化したというエンディングが設けられたりしている。
いろいろ不思議である。
助けられた亀はなぜ浦島太郎を竜宮城に連れて行ったのか。なんの権限があって人間界には知られていなかった竜宮城にいきなり人間を連れて行くようなことをしたのか。明白である。亀はあらかじめ誰か人間のオスを竜宮城に連れて行くというミッションを持っていたのだ。それはなぜか。おそらく乙姫が受胎するのに必要だったからだ。
そう考えると、悪ガキにいじめられていたのも、本当に悪ガキにいじめられていたのか、そういう設定を自作自演していたのかあやしいものだ。いじめられている亀を見ても何とも思わず、平気で素通りできるような人間は乙姫にはふさわしくないということなのだろう。あるいは、亀を気の毒に思っても、面倒なことに関わり合いになるのはごめんだと思うような人間も乙姫の相手には望ましくなかったのだろう。
浦島太郎はわざわざやっかいなことに首を突っ込んで、理不尽な暴力を止めて、一方的に迫害されている者を守ろうとした。人間のオスを拉致することを託された亀は、おそらく浦島太郎のような行動をとることができることを王者の資質と考えていたのだろう。しかもたださらうのでは抵抗されてしまうので、いったん助けてもらった上で「お礼をさせてください」ということで巧みに連れ去ることに成功している。
不思議なことはまだある。
物語の原型とされる『丹後国風土記』にはいじめられる亀など出てこない。主人公である漁師は、容姿端麗で風流を解するイケメンとして描かれ、浦島太郎という名前はまだついていない。「筒川嶼子(つつかわのしまこ)」とか「水江浦嶼子(みずのえのうらしまのこ)」などと呼ばれている。この「シマコ」なのか「ウラシマノコ」なのかが釣り上げたのが亀で、しかもちょっと眠っているすきにその亀が美女に変身し、自分は天女だと名乗り、ずばり「シマコ」目当てで来たのだという。この話ではギミックもなにもなく、最初からイケメンに狙いを定めていたのだ。
天女はイケメンに眠るように命じ、次に目がさめるともう目的地についていて、もてなしに出てきた童子たちがプレアデス星団(すばるぼし)とヒアデス星団(つりがねぼし)などと名乗り、どうやら天空の星の世界からやってきたようだ(断っておくが、これはぼくの創作ではない。みんな『丹後国風土記』に書かれている内容だ)。そうなると思い出すのは例の相対性理論によって予言された時間の遅れ、すなわち「ウラシマ効果」だ。
浦島太郎が(初期のイケメンが)たどり着いたのは、実は海底の宮殿ではなく、宇宙からの来訪者の宇宙船、もしくは彼らが構えたなんらかの拠点だった可能性が強まってくる。しかも「ウラシマ効果」があるならば、地球外をほぼ光速で移動していたと考えるべきだ。となると、これはいわゆる宇宙人による誘拐(エイリアン・アブダクション)を扱った話なのではないかと思われる。その目的は交配だと思われ、事実『丹後国風土記』の中に「男女の契りを交わした」ということが明記されている。
不思議のとどめは玉手箱だろう。
決して開けてはならない箱をみやげに渡すというのは一体どういうことだろう。たいへん雑な議論で申し訳ないが、物語理論から考えると「決して開けてはならない箱」は必ず開けられる運命にある。であれば、箱を渡した時点で乙姫(またはエイリアン。面倒臭いのて以下「乙姫」)は、浦島太郎(またはイケメン。面倒臭いので以下「太郎」)が箱を必ず開けるであろうと想定していたはずなのだ。だとすると狙いは何か。
乙姫は「自分とまた会いたいのなら決して開けてはならない」と言って渡したという。つまりそれは再び会うためのパスポートのようなもので、ふたを開けることでその効果がなくなってしまうということだ。白い煙によって失われた歳月が一気に太郎の身に現れたことを考えると、箱に閉じ込められていた煙は太郎の体で300年止まっていた時間そのものだと思われる。
玉手箱を開けなければ太郎は永遠に若いままで、また乙姫に会えたのだろうか。もしも交配が目的のエイリアン・アブダクションだったとしたら、目的を達していなければそもそも浦島太郎が解放されることはなかっただろう。つまりそもそもまた会う気はなかったと考えたほうがよさそうだ。決して開けてはならないと釘を刺したということは、必ず開けるだろうと信じていたということなのだ。
ここで、ふと考える。
地上に戻ってきた時の太郎は、はたして3年分、年をとっていたのだろうか。ウラシマ効果で考えればそうだ。でもこんな風には考えられないだろうか。もしかしたら竜宮に滞在していた期間、太郎は一切年を取っていなかったのではないか。時間が一瞬たりとも進んでいなかったのではないか。肉体的にはさらわれた時のまま。ということは記憶もいっさい蓄積されていなかったのではなかろうか。
太郎は3年分(もしくは地上時間の300年分)の記憶を持つことなく、ただただその刹那刹那を楽しく過ごしていたのかもしれない。そして玉手箱にはその期間の記憶がぎっしり詰まっていた。玉手箱を開けて出てきた煙とは、太郎と乙姫の300年分の記憶なのではないか。300年分の煙を身にまとうということは、乙姫との楽しかった300年分の記憶を一気に手に入れることと同義なのではないか。
考えようによっては、贈り物としてこれ以上のものはないようにも思える。大切な記憶という贈り物。幸せで楽しくいつも笑っていて一緒にいられることがただ嬉しかった日々の思い出。それが共に過ごしだ歳月の分ぎっしりと詰まっている記憶。
もしもそれが手に入るなら、ぼくは一気に300年分年をとってもいい、と思う。家族との幸せな日々の思い出がそっくりまるごと帰ってくるのなら、1000年分だって年をとってかまわない。いまのぼくには家族を失って以降の暗黒の日々しかない。ある日突然ぼくらを襲った、あの謎の空爆で一瞬にして愛する者を失ったあの日以来。
まだ幼かった息子は、ぼくの腕の中で苦しそうに大きく息をしていた。それから絞り出すようにして言ったのだ。「おとうさん、ぼく天国に行ける?」と。ぼくは自分がなんと返事をしたのか思い出せない。「ばかをいうな」と怒鳴ったような気もする。「天国なんかに行くな」と言ったような気もする。だまって頷いたような気もする。何も思い出せない。
世界中に無責任な為政者がはびこり、我こそは最高責任者だと威張り散らしたかと思うと、いざ問題が起きると「自分には関係ない。知ったことではない」と逃げ回り、問題発言を追及されると「辞書を見るとその言葉にはこういう意味があって」と辞書も見ずに言い逃れをする。そんな底の浅い、卑怯者ばかりが世界を牛耳り始め、案の定、世界のいたるところに戦乱が巻き起こり、為政者を支持した者も支持しなかった者も、軍人も民間人も区別なくたくさんの人が死に、たくさんの暮らしが破壊され、地獄が現出した。
かつて140字のSudden Fiction Projectは自然災害後の子どもたちのためのプロジェクトだった。けれどあの日以来、自然災害だけでなく、テロや戦乱によって避難生活を送る子どもたちのためのプロジェクトになった。場合によっては大人たちのためのプロジェクトだと言ってもいいかもしれない。
恐怖と不安に心を閉ざす人たちに、少しでも今を生きる気力と、少しはマシな未来への希望を届けるための、これはとてもささやかな抵抗だ。とてもささやかだが、二度とあんな無責任で愚劣で卑怯な為政者を生み出さないために必要なレジスタンス活動だと信じている。この地獄を逃れ、天国に行けるのはどちらか。断じて彼らではない。彼らであってはならない。
このところずっと浦島太郎の玉手箱のことを考えている。どんな風に笑い合ったか。どんな風に愛し合ったか。どんな風に食卓を囲み、どんな風に喧嘩をしたか。いまとなっては思い出すことさえできなくなった、遠いあの日々の記憶を閉じ込めた箱がどこかにあるのなら、どうにかして手に入れることはできないものかと考えている。ごめんな。おとうさんはお前たちの顔を思い出すこともできないんだよ。
そして息子よ。今なら返事ができる。大丈夫、天国に行けるよ。ぼくらはみんな天国でまた会える。
(「【天国に行ける?】」ordered by 内山 央子-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・時事ネタなどとは一切関係ありません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます