第5話 【Happy Birthday】SFPエッセイ205

【Happy Birthday】目は閉じたまま聞いとくれ。今日はお前の誕生日。シカでもとりたかったがダメだった。ぺんぺん草でもいいから腹一杯食わせてやりたかった。眉毛が主食なんて気の毒すぎる。そこでだ。目を開けろ、イノシシ鍋をあつらえた。誕生日おめでとう! #140SFP


   *


 猫背で腹の出ている中年男子諸君に朗報だ。諸君の猫背はなおる。腹も引っ込む。それも劇的に。一瞬で。取り立てて変わったことをする訳ではない。やることはたった一つ。トレーニングすらいらない。日常の動作の中にたった一つクセのようなものを忍び込ませるだけでいいのだ。わたしはこれをつい先日、ほとんど偶然のようにして体得することができた。夏の終わりのある激しい雷雨の夜のできごとである。ちなみに今宵も外は激しい雨と雷だ。


 夕立、という季節ではもうないのだけれど、今、窓の外ではものすごい勢いの雨が降っていて、屋根屋根やベランダの手すりや植え込みの樹々を打ち付ける音が騒然と鳴り響いている。少し遅れて樋を伝う水音もごぼごぼと賑やかで、音だけ聞いているとまた夏が戻ってきたのかと思う。季節はすっかり移ってしまい、今日だって日中暑くはあったものの、光や風はもう秋で夏はもうどこにもない。


 だというのにわたしがこうしてタンプトップで暮らしているのには訳があって、それは常時自分の筋肉を観察していたいからなのだった。先月の終わり頃だったか、NHK総合で始まった『みんなで筋肉体操』を偶然見て、ついついつられて腕立て伏せをしてしまい、そこから急に「筋肉を追い込む」ということに目覚めてしまったのだ。「筋肉を追い込む」。なんて素敵なフレーズだろう!


 いま外は先ほどにも増してものすごい勢いで雨が降り、雷まで轟き始めて騒然としている。天変地異が好きなものですぐさまわたしは部屋の電気を消して、カーテンを開け放ち天空ショーを楽しんでいる。数週間前の雷は数秒とおかずに次から次に空が光り、雷鳴が鳴りっぱなしという壮絶なものだったが、今日はそれほどではない。それほどではないが、雨の激しさと雷のコラボレーションには毎回ワクワクする。


 そして今年はそれを背景に筋肉体操をするという喜びを得ることができた。こういう激しい雨の時は気温も一気に下がるので、体感温度的には肌寒いくらいになる。だから無駄に汗をかかずに済むのもいい。沛然たる豪雨を背景に胸を床につけるようにじっくり腕立て伏せをやり、稲光と雷鳴に励まされながらハイスピードプッシュアップで追い込みをかける。


 わたしのお気に入りはスクワットと背筋で、特に椅子を使ったブルガリアン・スクワットと、体の前で手を組み左右に引き合ったまま体をひねるだけで逆三角形の背筋を手にいれるマニュアルレジスタンス・ローイングだ。いずれもやってみて初めて「あ、これ好きだ!」と目覚める感覚があるのだ。丁寧に、かつ最大限の力を注いで筋肉を追い込む瞬間の積み重ね。その背景に時折光る空とつんざくような雷鳴。最高である。


 ところで今日、本当に書きたかったことはそんな筋肉フェチ、天変地異フェチの話ではない。猫背の直し方という大変役にたつ話なのである。上にも書いたマニュアルレジスタンス・ローイングをやっている真っ最中に天啓のように閃いたのだ。というか、まさにその瞬間、外では雷光があたりをあかあかと照らし出し、夜の住宅地の屋根を真っ白に染め上げたのだ。


 猫背で腹の出ている中年男子諸君。鏡の前に立ちたまえ。全身の映る鏡がないならば、夜、部屋の電気をつけて、窓の前に立つのでもいい。そして窓に対して正面ではなく、からだの側面を見るように立つのだ。どうだね。背は丸まり、腹はぼってりと突き出して、二目と見られたものではないだろう。でも次の瞬間、諸君のからだは劇的に変化するのだ。


 注目すべきは丸まった背中ではない。突き出した二段腹でもない。クビだ! いや。諸君をいまここで解雇するのではない。クビに注目するのだ。頭を支えるクビだ。いま諸君のクビはいささか前に傾いているのではないか? そうだろう。そうに決まっている。猫背で腹の出た男の頭は必ず前に出ており、支えるクビは必ず前に傾いているのだ。まるでいますぐ刀で斬首してくださいといわんばかりにうなじを天に向けている。


 クビを刎ねられてどうする! しっかりしろ! いますぐ起こすのだ! 顎を引き、だらしなく前に滑り出ているその頭を引き上げるのだ! しゃんとしろ! そうじゃない! 頭を引き上げる向きは後ろ上方だ! できたか? ちゃんとクビはまっすぐになったか? 刀を振り下ろされても生首が飛んでいったりしないようにできたか? 顎は前に突き出していないか? 大丈夫か? できたか? 本当にできたか?


 はい。そうしたら鏡を(あるいは夜の闇を背景に持つ窓を)見たまえ。どうだ。まだ猫背か? まだ腹はぼってりと突き出しているか? 違うだろう。猫背はなくなり、腹は引っ込み、見違えるように凛々しく生まれ変わっているはずだ。これが猫背の直し方だ。やることはただ一つ。頭を引き上げクビを起こすこと。それだけ。


 Happy Birthday!! 猫背でない君の誕生日だ。おめでとう。気を緩めるとすぐに猫背に戻ってしまうが、大丈夫。毎日のようにクビを引き上げていればそのうち、そういう筋肉がついてくる。手っ取り早くやりたければ、マニュアルレジスタンス・ローイングを取り入れればいい。さあ、君もタンクトップを着て鏡に筋肉を映す毎日を楽しもう。


 そうそう。冒頭のツイートについて。ツイッターでまさしく【Happy Birthday】ってタイトルがついたツイートを見かけたので、冒頭にはっておくことにしたんだ。エピグラフみたいでかっこいいだろ? 眉毛が主食とかわけのわからないことを書いてあるけど、そのへんのわけのわからなさもエピグラフっぽくていいと思わないか?


(「【Happy Birthday】」ordered by 渡辺 実子 -san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・個人的筋トレ事情などとは一切関係ありません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る