第2話 【三世の書】SFPエッセイ202
【三世の書】ルパン三世じゃないよ。サンゼノショって読むんだ。そう。3種の時間、過去と現在と未来について記した本だ。読んでるそばから時間が過ぎるので読めるのはいつも現在の書だけ。これから読むところは未来の書だけど、読み終わるそばから過去の書になるのさ。 #140SFP
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過去と現在と未来、と当時は書いたけれど、本当は三世とは前世と現世と来世だ。過去世、現在世、未来世と呼ぶこともあるが、要するにいま生きている一生と、その前後、生まれる前の別な一生と、死んだ後の別な一生だ。三世の書にはその全てが書かれていると言う。そんなもの、存在するはずがないとも言えるが、存在するかしないかというのは実は大した問題ではない。
肝心なのはどうして人は三世の書のようなものを思いつくのか、あるいは必要とするのかということだ。
もし三世の書があったら何を知りたいのだろう。過去世を知って、因果応報について知りたいのだろうか。いまどうしてこんな風になっているのか、その理由を知りたいのだろうか。あるいは未来世を知りたいのだろうか。現在世については諦めて、未来世がどうなっているのか知りたいのだろうか。いずれにしてもその前提には、現在世に納得できていないという思いがあることを意味しているように感じられる。
これは幽霊をめぐる話にも似ている。
夜、タクシーに乗った客が目的地についてもお金を払おうとしない。振り向くと客は忽然と消えている。後部座席が濡れている。そんな話をぼくらは子ども向けのこわいお話の本で読んできた。同じような話ははるか大昔からある。言ってしまえば手垢のついたありふれた怪談だ。けれど同じ現象はいまも起こっているし、起こり続けているし、少なからぬ数のタクシー運転手がそれぞれに体験している。このぼくを含めて。
一度に大勢の命が奪われるような大きな災害が起きると、同様なエピソードが噴き出してくる。
幽霊がいるかいないかが問題なのではない。多くの人がそのようにして幽霊を見るということが大事なのだ。いわゆる想定外の災害によって、予期せぬタイミングで突然断たれた命の無念さは、残された者には到底計り知れない。計り知れないが、そのことを考えないわけにいかない。上手に泳げるようになりたい、喧嘩した友達と仲直りしなくちゃ、部活を頑張るぞ、もっと勉強して合格するんだ、思い切って告白しよう、今日こそプロポーズするぞ、赤ちゃんができたことをどう伝えよう、子どものバースデープレゼントは何にしよう、新しい事業を成功させる……そんないろいろな人の「これから」が突然断ち切られてしまったのだ。その断ち切られた思いの行き場はどこにあるのだろう。
そうして我々は幽霊を見る。あなたたちの無念な思いをちゃんとわかっていますよ、受け止めていますよ、どうすることもできないけれど、どうにかしたい思いはありますよ。そんな意思表示として、我々は失われた人の足音を聞き、失われた人をタクシーに乗せ、失われた人のメールを着信するのだ。
*
行きつけのバーで、マスターが試作品ですがと出してくれたカクテルの名前が〈三世の書〉だったのは、偶然かもしれないし、何か意図があったのかもしれない。チベット周辺のどぶろくをベースにしているというそのカクテルは、試作品のためか、お世辞にも美味しいと言えた代物ではなかったが、甘酒にちょっとベリーの風味を足したような、できそこないのデザートのような味だった。
「惜しいね。炭酸を加えるか、果汁の種類を変えるかすれば、もっと飲みやすくなるだろうけど」とコメントをしつつ尋ねた。「で、どうして〈三世の書〉なんて大げさな名前をつけたんだ?」
「思いつきですよ、いつも通り」
マスターがはぐらかすのもいつも通りだ。
「あなたも飲まされたんですか、それ?」一つ先のスツールから品のいい年配の女性が声をかけてくる。「ただの甘酒じゃないのって言ってやったんだけど」
声を上げて笑う老婦人にグラスを掲げつつ、ぼくからも意見を追加した。
「てっきり前世か来世を見られるものだと思いましたが、名前負けしていますね」
老婦人は閉じた口角に笑みをたたえて、こくこくと頷いてから、しばらく黙って私の顔を見つめた。そして言った。
「タクシーの運転手さんなんですって?」
「え? はい」
「さきほどマスターから聞きました」
「はあ」
どういうことかよくわからないままにマスターを見るが、いまは向こうの小さな赤ん坊を連れた家族連れの相手をしている。
「わたしがこのカクテルを飲むと、あなたが店に来ました。あなたがそのカクテルを飲むとあの赤ちゃんが店に来ました」
「はあ」
「タクシーの運転手さん、あなたがわたしの来世なのかもしれません。あなたにとってはわたしが前世」
「え」
「そしてあなたの来世は、あの幸せそうなご夫婦の赤ちゃんなのかもしれませんよ」
そこまで話したところでゆっくりと意識が戻ってきて、もちろん店内には老婦人も家族連れもいない。いつもどおり仕事帰りのスーツ族と、近所の常連が数人いるだけだ。三世の書に何が書かれているのかは知らない。けれどそういう書物があって、そこには今の自分とは全然違う一生が描かれているのなら、それはそれで悪くない。いつか機会があったら、後部座席の客がいなくなる前にこの店に連れてきてあげられたらと思う。
(「【三世の書】」ordered by 堤 純一-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・バーなどとは一切関係ありません。
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