第17話 本当に偉い人の話


 ジーサンと、しばらく会っていない。なんでも仕事で、アフリカに行っているらしい。ジーサンと会わない間、俺は愛美に算数を教えてもらったり、トオルに鉄棒を習ったりした。

 夕方、トオルのランニングに自転車で付き合っていると、ジーサンの家の前に、黒くてデカい車が止まっていた。車体の長さがトラック位ある乗用車だ。

「ロールスロイスのリムジンだ。すげーな」

「トオル。はやく親指を隠さないと」

「バカ。霊柩車じゃねーよ」


 車の中から見慣れた大男が出て来た。ダイアナ先生も一緒だ。トオルと二人で、車に走り寄る。

「おー。リュカだ。アフリカから帰ってたんか。ジーサンは?」

 俺の顔を見た瞬間、黒人の大男が泣き出してビックリした。大人の男って人前で泣くんだ。外人だからかな?

「トオル。ちょっと」

 ダイアナ先生とトオルがジーサンの家の中に入った。しばらくして真っ青な顔をしたトオルが出てきた。


「……ジーサンが死んだ」

「トオル!」

 先生が慌てて、トオルの手を引く。

「いいんだよ。先生。こいつは変に勘がいいから、ごまかしたって無駄だ」

 車の中から、真っ白なシーツを被ったような服装の、ひげ面の黒人が出て来た。なんだか偉そうなオッサンだ。何か偉そうに言っているが、全く何を言っているのか分からん。また、フランス語か?


「偉大な方を失ってしまいました。祖国を代表してお詫びに参りましたって言っているわよ」

 ダイアナ先生が訳してくれた。明日には大勢の人がここに集まるから、部屋の掃除だけでもしなければならない。俺は家に帰って、カーチャンにそう伝えろと言われた。



 次の日、俺やトオル、愛美の家の人が朝から、片づけを手伝いに来た。俺も手伝ったけど、本以外、本当に何もない家だった。埃っぽい廊下を雑巾がけして、窓を拭いていたら、外にすごい数の車が集まってきた。


 後でカーチャンに教えてもらったけど、車のほとんどは外国の大使館というところから来たものだった。ジーサンは貧しい国へ行っては、その国の農業や学校の設立を手伝う専門家だったんだ。

 ごつい車は10台以上来たから、ジーサンは10か国以上の場所に行って、仕事をしたのだろう。黒人だけでなくアジアや中東という所からも、偉そうなオッサンたちがやってきた。


 オッサンたちは皆、ジーサンのあばら家を見てビックリした後、深いため息をついた。高名な有名人なのに、こんな所に住んでいたなんて。ということらしい。

 ジーサンの骨の入った箱の周りは、あっという間に花や感謝状、贈り物で一杯になった。近所の人が、ジーサンのあばら家を遠巻きに見物を始める位、賑やかになった。


 リュカがジーサンの死んだ顛末を話してくれた。通訳はダイアナ先生だ。ジーサンが働いていたアフリカの国では、恐ろしい伝染病が流行していた。その病気にかかると、鼻や耳、目なんかの穴という穴から、血を流して死んでしまうらしい。

 他の外国人が怖がって行こうとしないその場所に、ジーサンとリュカは仕事に行った。そこで病院を作ったり、すぐに食べることのできる植物を植える畑を作ったりした。


 伝染病にかからない為には、高価な薬が必要だったけど、その地域の人にはその薬を買えるような金がなかった。薬は一杯持ってきたけど、後から後から人が来て、あっという間に薬は無くなった。


「彼は自分の分の薬を、親のいない子供達に与えました」


 リュカの目は真っ赤だ。トオルはダイアナ先生の言葉を聞いている間、ずっと下を向いていた。

 日本で薬は飲んだけど、繰り返し飲まなければいけない薬を、ジーサンは少しずつ飲まなくなったらしい。余った分を現地の人にあげていたのだ。


「私は、私の分をキチンと服用していました。彼の行動に気づかず、本当に恥ずかしい」

「飲まなきゃ死んじゃう薬を飲むことは、恥ずかしいことじゃないぞ」

 俺の言葉を訳してくれた途端、リュカと一緒に来た偉そうなオッサンは唇を噛みしめて、一言も話さなくなった。


「いつかジーサンを、ぶん投げてやるつもりだったのに。勝ち逃げじゃねーか」

 トオルは呟いた。文句を言っているが暴れることも少なくなったし、トオルの評判は最近悪くない。きっとジーサンに合気道を教わったからだろう。


 俺がボンヤリしている間にも、様々な国の偉そうなオッサン達が、入れ替わり立ち代わり部屋にあがって、演説をしていった。

 身寄りのないジーサンに届けられたお金は、遺言で高価な薬に変わり、全てリュカ達の国へ送られるらしい。周りのオッサン達も余分に薬を買って、送る算段を始めた。合計で一万人分の薬になることが分かった。


「偉いジーサンだな。自分一人の命を一万人分に変えやがった」

 トオルが言うと、愛美も相槌を打った。

「私もお爺さんに、色々教わったんだ。これからクラスの子にも教わったことを伝えるよ。本当に偉い人って、いるんだね」

「しかし、すごい弔問客だこと。ケンタは偉い先生に色々教わって、良かったね」

 カーチャンに背中を叩かれた。どうやら俺の背中が丸まっていたらしい。


「ジーサンが偉いかどうかは、俺には分からん」

 喉に小石が詰まって、うまく言葉が出なかった。我慢していたけど、もう駄目だ。

「でも、もうジーサンに会えないのが俺は悲しい。凄く寂しいぞ」


 うわーん


 俺の泣き声を聞いて、偉そうなオッサン達、トオルや愛美も下を向いた。リュカが何か俺に話しかける

「ケンタに聞いて欲しい話があるって」

 ダイアナ先生が訳そうとするのを、リュカは断った。辿々しい日本語で、俺に話かけた。死ぬ前にジーサンが言っていたことだそうだ。


「ミエナイケド、アル。ケンタニハ、ヤサシイキモチト、ツヨイココロガアル。ミエナイケド、ココニアル」


 俺の胸を指でつつきながら、やっとそれだけ言うと、また下を向いて話さなくなった。


『だからもう、そんなに泣くな』


 見えないけど苦笑いしたジーサンに、そう言われたような気がした。

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