第16話 生まれと育ちの話


「うどん、玉子、ネギ、出汁醤油だけのシンプルな食べ物なのに、こんなに旨いとは。どの材料も本当に素晴らしい。このネギは分葱よりは大きいが、普通のネギより小さいようだが……」

「このネギは家のだ」

 俺は庭先に植えてあるネギを指さした。

「千本ネギっていうんだ。植えておくとどんどん増えて、千本になるらしい」

「どれどれ」


 ジーサンは縁側から降りて、ネギを観察し始めた。

「葉ネギの一種かな。どんどん増えるというから、分けつしやすい品種なのだろう。どうやって増やすのかな?」

 俺は庭先の畑から、千本ネギを引き抜いた。ジーサンに差し出す。

「これを2本か4本にまとめて、植え付けるんだ。そうすると勝手に増える。ネギ坊主が出来にくいから、なかなか種は取れない」

「と、いう事は栄養繁殖か。なるほどなるほど」

 ジーサンはネギを眺めながら、コップ酒を呑んだ。トオルもネギを手に取る。

「普通のネギよりも白い部分が短くて、小ぶりですね。種から育てない植物なんて珍しいなぁ」

「そんなこと無いぞ。ジャガイモやニンニクだって、種から増やさない。どっちも花も咲けば種も着くけど」

「あぁ、そう言えばそうか」

「種から増やして、前と同じ野菜になるものと、全然違う形になっちゃう野菜もあるぞ」

「意味が分かんねーな」

「固定種と雑種強勢の事だな」

 ジーサンはネギを置いて、コップ酒を継ぎ足しながら授業を始めた。


 昔の人たちが育てた野菜は自分たちで育てて、種まで取った。この種を蒔くと同じような野菜がまた出来て、繰り返し栽培することが出来る。この繰り返し栽培ができる野菜を固定種という。

 今、園芸店やスーパーで売っている種は、ほとんどが固定種ではない。違う品種を掛け合わせて、品質の良い個体を収穫できるように栽培しているのだ。これを雑種強勢という。雑種強勢の野菜からできた種を蒔いても、親と同じ形の野菜は出来ない。

「???」

 俺は頭を抱えた。ジーサンが何を言っているのか全然分からない。トーチャンが助け舟を出してくれた。


「……ケンタは僕とカーチャンから生まれたよね。でもケンタは僕でもなければカーチャンでもない、別の人間だ」

「そんなの当たり前だぞ。あ、でもクラスの双子は、そっくりだな」

「子供同士はそっくりでも、親とは全く同じではないだろう?」

「そうだよな。ニンジンやダイコンが人間と同じなら、固定種なんてできないよな」


「野菜は動物に比べて、遺伝子型が複雑ではない。だから長い世代に渡って親と、そっくりな種を作る品種が生まれる。これは大切な事だ」

 ジーサンは話し続ける。品質の良い野菜を作る雑種強勢品種は、作るのに大変な技術が必要な事。この技術は大きな種苗会社が独占しているから、種を買うのにたくさんのお金が必要な事。雑種強勢の野菜は、高価な肥料や農薬がなければ上手く育たない事。

「貧しい国で農業援助を行うにしても、雑種強勢の種子を与えては、永続的な農業を期待できない。できた野菜も自分たちで全部食べてしまって、売ることができないから、お金を得ることもできない。

 だからリュカ達が勉強している農業は、固定種を主に栽培する。肥料も自分たちで作って、農薬を使用しない。これでお金が無くても永続的な農業が、自給自足が可能になる」


 あれ?


 俺は不思議に思った。

「固定種のダイコンに雑種強勢のダイコンが掛け合わさったら、どうなるんだ?」

「別のダイコンが生まれる。これも良くあることだ。花粉が風や虫に運ばれやすい所では、交雑がおきやすい」

「じゃあ、固定種と呼ばれている野菜も、少しずつ変わっているのかもしれないんだな?」

「そうだ。地球上の環境は、いつも同じとは限らない。様々な形質を獲得する事で、異なる環境に適応し種の存続を図っている。この前、話したガラパゴス諸島のゾウガメみたいなものかな。厳密にいうと少し違うが」

 俺の質問に、ジーサンは微笑んで答えた。それからトオル、愛美、俺の三人の顔を順に眺めた。コップ酒を目の高さまで持ち上げる。


「これから君たちは、どんどん大きく生長して行く。生まれや育ちが違っても君たちは仲間だ。嫌な事やつまらない事も、たくさん経験するだろう。だが、どうかそれに負けず、助け合ってお互いに素敵な花を咲かせて欲しい」


「おい、ジーサン。俺たちは人間だから、花なんか咲かない…… ギュム!」

 トオルは俺の口を手で塞いだ後、愛美と背筋をのばして、

『はい』

 と返事をした。俺はトオルから解放されて、文句を言おうとしたら、頭を小突かれた。

「お前も返事をしておけ」

「何でだよ!」

「いいから!」


「……はい」


 いつの間にかカーチャンも戻って来ていた。目の周りが少し腫れぼったくなっている。大人三人組はニコニコ笑っていた。たくさん話して、お腹に隙間が出来る。もう少しうどんが食べられそうだ。丼ぶりと箸を持ち上げた俺を見て、トオルが呆れたような声を出す。

「ケンタ、まだ食うのか。どんだけ好きなんだよ」

「別にいいだろ。まだあるんだから」

「私もおかわり」

「じゃあ俺も」


 優しい風が虫たちの声を運んでくる。釜玉の黄身のような満月の下、三人の子供たちは、飽きることなくうどんをすすり続けた。

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