第15話 発表会のご褒美


「今日の晩御飯は、全員ウチに来てもらいます」


 新聞社からの帰り道。車を運転しながら、カーチャンは宣言した。車には俺と愛美、ジーサンが乗っている。

「ケンタは覚えているよな。県庁の近くに旨い出汁醤油が売ってる店があるのを」

 ボンヤリしていた俺の耳が、ピクンと動く。助手席で万歳をした。

「釜玉だ! 今日は御馳走だぞ! あれ? でも、うどんは?」

 カーチャンは眉を上げた。目元が赤くなっているけれど、何かあったのかな?

「種は仕込んである。今頃トーチャンが切って茹でている筈だ」

「ヤッター!」

 話についていけない愛美とジーサンが、首を傾げていた。



 俺の家では、いつもは母屋の台所で料理する。でも味噌を作る時の大量の大豆を煮る時や、うどんを茹でる時は庭の大きなかまどで料理する。家に着くと玄関に入らず、庭に回り込んだ。かまどに大きな釜を乗せて、トーチャンが盛大に火を焚いていた。

 トオルも手伝いに来ている。ホッペにうどん粉が付いていた。

「トーチャン、もう茹るのか!」

「あぁ、そうだね。大きなザルを持ってきてくれないか」

「分かった!」

 俺は納屋からうどんの水切り道具を持ってきた。愛美が興味深そうに眺めている。

「この手付きのザルは何?」

「これはテボだ。冷たい麺じゃなくて温かい麺を食べたい時、これに入れてゆすぐんだ」

 俺は麺の入ったテボをグラグラ煮立っているお湯に浸けた。へぇーという顔をする愛美。


 トーチャンが打って伸ばして切ったうどんを、釜の中に入れる。俺は麵棒を突っ込んで、うどんをかき回し始めた。


「よし!」


 ゆで上がったうどんをザルに取って、ザックリとお湯を切った。ここからは時間との勝負だ。リュカが勉強している農家から買ってきた卵と、家で育てているネギのみじん切りをカーチャンが持ってきた。俺は丼ぶりにうどんを盛り付けた。

「いいか。卵は黄身だけをうどんに乗せるんだ。白身は、この茶碗に取っておく」

「白身はどうするの?」

「後でカーチャンがクッキーを焼いてくれる。それでネギのみじん切りと、出汁醤油をかけて……」

 俺は丼ぶりの中身を箸でグリグリとかき混ぜた。これを愛美に渡す。

「釜揚げうどんに玉子が入っているから釜玉だ。熱いから気を付けて食ってみろ、美味いぞ!」

「……いただきます」

 恐る恐る愛美は、うどんを口に入れた。


「美味しい!」


 愛美は丼ぶりを二度見した後、物も言わずにうどんをカキ込み始めた。遅れたら大変と、トオルも慌てて丼ぶりに自分のうどんを取る。俺はジーサンの分も作って渡した。

「これ! お代わりは自分で作れよな」

 ニコニコ笑いながらジーサンは丼ぶりを受け取った。

「うーん。これは旨い。西の方のうどんと違って、少し柔らかいのかな? 小麦の香りは、こちらの方が強いようだ」

 俺と愛美とトオルは奪い合うようにして、うどんを食べ続ける。これは俺の分だと、トオルと取り合いをしていると、愛美がコッソリ茹でたてのうどんを自分の丼ぶりに入れている。

「あぁ、ズルいぞ!」

「だって、おじさんが食べて良いって」

 俺たちはギャーギャー言いながら、うどんを食べ続けた。


「余った分を近所に配れる位いっぱい作ったから、喧嘩しなくても大丈夫だよ」

 俺たちの様子に呆れたように、トーチャンは苦笑いする。ジーサンは、うどんを肴にコップで日本酒を吞み始めた。ジーサンの御流れで、トーチャンも酒を呑み始める。たくさん食べて、ようやく丼ぶりと箸を縁側に置く余裕が出来た。

「ケンタ、空を見上げてどうしたの?」

 ボンヤリ夜空を見上げていると、愛美が声をかけてきた。俺は月を指差す。

「釜玉の黄身みたいな満月だな、と思って」

 キョトンとした顔の愛美。しばらくしてクスクスと笑い始める。笑いはなかなか治まらず、終いには涙を流しながら笑い続けた。うどんが変な所に入ったら、咳が止まらなくなる。俺は慌てて愛美の背中を叩いた。


「ケンタ。本当に今日は、どうもありがとう。私がパニックになって原稿が読めなかった時に、代わりに読んでくれて嬉しかった」

「別に気にするな。資料を作ったのは愛美なんだから、全然問題ないぞ」

「それに……」

 愛美は暫く口ごもってから、俺を見つめた。

「質疑応答の時に、ケンタがいつも言っていることを、私が考えたように話しちゃった。ごめんなさい」

「愛美は、そう思って話したのだろう? 思っていなければ噓になっちゃうけど」

「……思ってた」

「それなら何も問題ないぞ」

 ほっとしたように愛美は微笑んだ。それから両手を振り回した。

「でも、全国大会に行けなくて、口惜しいなぁ」

「また次にがんばれ。今度は俺を人数に入れるなよ」


「県で三位だったって? 凄いじゃないか」

 トオルが口にうどんを押し込みながら、俺に話しかけた。口一杯にうどんが入っているのに器用だな。

「凄いのは愛美だ。俺は何もしてないぞ」

「いや、ケンタは立派だったよ。原稿の読み方も堂々としていた。質問への回答は特に素晴らしかった」

 ジーサンはニコニコ笑いながら話し始めた。


「ケンタに質問していた男性は、国立大学の生物学の教授だ。彼と対等に話せる学生は大学生でも、そういないのじゃないかな」

「私は聞いていて、心臓が口から飛び出しそうになりました。そんな偉い先生に、この子は生意気な事を言って」

 カーチャンは大きくため息を付く。

「いやいや。発表会での演者と質問者は対等です。ケンタは生意気な事など言っていませんよ。ほら、ケンタ」

 ジーサンはポケットから定期券みたいなプラスティックケースを取り出して、俺に渡した。

「愛美に聞いたぞ。夏に川遊びが出来なくなりそうで、困っているそうだな」

「これ何だ?」

「川の遊漁権だ。知り合いに貰ったものだが、ケンタが使った方が良いだろう。期限が半年は残っているから、監視員や釣り人に何か言われたら、それを見せればいい」

「これがあれば川で遊んでいても、大人に怒られないのか?」

「あぁ、そうだよ。よく頑張ったご褒美だ」

「ヤッター!!!」


 それを見ていた愛美とトオルが、ジーサンに詰め寄った。

「原稿を書いた私のご褒美は?」

「ジーサン。俺も少し手伝いましたよね?」

「さて、どうしたものかなぁ?」

 ジーサンはコップ酒を呷って、ヘラヘラ笑っている。トーチャンは縁側にコップを置いて、ジーサンに頭を下げた。

「僕と妻にも大変なご褒美を頂きました。ありがとうございました」


 あれ? カーチャンがいなくなっている。トイレにでもいっているのかな? カーチャンは何を貰ったのだろう? 探しに行こうとすると、トーチャンに止められた。しばらく放っておけと言われる。


 何でだろ?


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