第13話 トオルの特訓
俺と愛美は、ジーサンの家に入り浸るようになった。始めは家で勉強するようにと、カーチャンは反対していたが、愛美が書いている模造紙を見て考えを変えたらしい。ジーサンの家に行くときに、お菓子を作って持たせてくれるようになった。
ジーサンの家にはトオルも通っていた。勉強では無くて合気道を習っている。平日は朝にランニングをしたり、学校から帰ってジーサンに言われたトレーニングをしているらしい。休日になるとジャージ姿で現れる。
「お休みの日に合気道の練習なんて、トオルは暇なんだな」
「うるさいな。お前は愛美にシゴかれていればいいんだよ。早いとこ勉強しに行っちまえ」
「うーん。それがさっき愛美から連絡があって、来るのが少し遅れるんだと。家に帰るまでもないしなぁ。トオルの練習を見ていてもいいか?」
「面白い事なんて一つも無いぞ」
トオルはそう言って、縁側に回る。俺はヒョコヒョコと後ろをついて歩いた。
庭に立っているジーサンは、いつものネルのシャツを着て、シワシワのチノパンを履いていた。サンダルを脱いで裸足で庭に立っている。二人は向き合うと深いお辞儀をした。
「さて。来るまでにストレッチをして、身体を温めてあるかな?」
「はい」
「では、右半身から体の変更」
ジーサンが身体を動かし始めた。右足を前に出して両手を構える。左足をクネクネと動かして、手をユラユラと動かす。左足が前になったら、また同じ位置に戻る。トオルはジーサンと同じ動きを繰り返す。
それが終わったら左足を前にして、同じような動きを繰り返した。
同じ動きが終わったら、今度は右足を前にして、クルリと向きを入れ替えた。両腕もユラユラと動いている。俺がボンヤリ見ていたら、ジーサンが苦笑いをした。
「黙って見ていては退屈だろう。ケンタも練習するかい?」
「俺はいい。動きを覚えるのに、凄く時間がかかりそうだ」
「合気道は日々鍛錬だ。すぐに出来るものでは無い。トオルだって練習を始めてそれほど時間が経っていない。だが彼は大したものだ。基本動作は頭にもう、入っているのだろう」
急に褒められて、トオルはギョッとしたような表情を浮かべる。二人はまた、同じような動きを繰り返し始めた。しばらくして動きを止めた二人は、またお辞儀をして動きを止めた。
「さて、ケンタ。私とトオルの動きに違いがあったかな?」
「難しい事は、よく分からないけど…… ジーサンが動いている時は、ジーサンの前に人がいる様に見えた」
ホウホウとジーサンは頷いた。
「え、俺の前には?」
「何にも見えない。ただ一生懸命身体を動かしているだけだ」
トオルはガックリと肩を落とした。別に素人の俺に言われたからといって、気にすること無いのにな。
何でも今の動きには、戦う相手との体捌きと技の繰り返しが入っていたらしい。だからジーサンの前には人がいる様に見えたのかな。
そのうち愛美がやって来て、図鑑を調べる時間になった。愛美はウンウンと唸っている。
「どうしたんだ?」
「やっぱり、ウシガエルの画像が欲しい。その方が外来種の説明に、納得してもらいやすいと思う」
「あれから何度も捕まえようとしたけど、駄目だったじゃないか。無理だろ」
「おやおや、どうしたのかな?」
ジーサンがタオルで汗を拭きながら、部屋に上ってきた。トオルはバッタリと庭に倒れて動かない。腹が動いているから息はしている。死んではいないのだろう。
「愛美がウシガエルを捕まえたいって。でも奴はすばしっこいから、俺たちでは掴まえられないんだ」
「それはそれは。トオル、起きなさい。今日の練習の仕上げだ」
「まだ何かやるんすか? もうヘトヘトなんすけど」
愛美とジーサンは意気揚々と、俺とトオルは背中を丸めてトボトボと、近くの三角池へ歩き始めた。
三角池は一辺が二十メートル位の、本当に三角形をした変わった池だ。まわりの田んぼの貯水池で、いつも満々に水を溜めている。ここは餌が多くて、人があまり寄り付かないせいか、珍しい生き物が多く住んでいる。もちろんウシガエルも、たくさん住んでいた。
俺たちはソゥッと池に近づいた。ウシガエルは人の気配を感じると、池に飛び込んで、深い部分に潜ってしまうのだ。しばらく黙っていると、モーモーとウシガエルの鳴き声が聞こえて来た。その方向に目を凝らす。
いた。
ウシガエルは岸辺の草陰に座っていた。俺たちとは十メートル位、離れているけれど、これだけ離れていてもそうとしれる大物だ。ジーサンはヒョコヒョコとウシガエルに近づいていく。残り五メートルの所で、ウシガエルはジーサンから危険を感じたようだ。グッと態勢を低くして、ジャンプする態勢を取る。
俺も、ここまでは近づくことはできる。でもこれ以上近づくと、ウシガエルはアッという間に池に飛び込んでしまうのだ。でもジーサンは歩く速度を変えない。不思議なことに、ウシガエルは池に飛び込まない。変な足取りでカエルに近づいていく。後、三メートル、二メートル、もう少しだ。
ビヨン!
我慢の限界を超えたウシガエルは飛び跳ねた。ジーサンの真正面に。ジーサンは、フワッとウシガエルをだき抱えた。
「ええぇ!!!」
俺たちはビックリして大声を上げた。まるで魔法だ。ウシガエルがジーサンに捕まりに行ったようにしか見えなかった。
「ほら、写真を撮るといい」
ジーサンに渡されたウシガエルは、ズッシリと重かった。愛美はスマホを取り出して、ウシガエルの激写を始めた。
「おい、ジーサン。今、どうやってウシガエルを捕まえたんだ?」
「ケンタが見た通りだよ」
「俺がやると、いつも五メートルくらいの所で、逃げられちゃうぞ」
「己を“無”にして、相手と一体になる。と言った所かな。」
「??? 何言ってるんだ?」
「カエルを捕まえたいとは考えない。カエルが今、何を考えているかを考えたのだ」
それからジーサンはカエルの生態を教えてくれた。ウシガエルは夜行性で、夜の方が活発に動くこと。オスよりもメスの方が大きくて、今捕まえたのはメスであること。ジャンプするときは、頭の向いている方向にしか飛べないこと。
「それはそうだよな。真上や真後ろになんか、ジャンプできないもんな」
「それからウシガエルは、目も良いが耳が恐ろしく良い。頭を向かせたくない方向で足音を強めに立てると、そちらの方向には飛び辛くなる」
ジーサンは俺からウシガエルを受け取ると、三角池から少し離れた広場にカエルを置いた。トオルを呼び寄せる。
「さて。これまでの説明で分かったかな? 素手で、このカエルを捕まえて見なさい」
そう言われたトオルの顔は引きつっていた。トオルも田舎の人間だから大きなウシガエルが、どれだけ捕まえ辛いか良く知っている。逃したふりをしようにも、池から離れたこの場所では逃しようがない。
さっきまでやっていた激しい練習の後に、これはキツイ。それから十分ほど、トオルとウシガエルの追いかけっこが続いた。
「凄い! こんなに近くで動かない、ウシガエルの写真を撮るのなんて初めて!」
愛美は逃げ疲れて飛ぶことの出来なくなった、ウシガエルをスマホで激写していた。ダンス相手のトオルは側でひっくり返っている。
「おいジーサン。トオルに意地悪しなかったか?」
「……何のことかな?」
「トオルがカエルに飛びかかる、何秒か前に足をバタバタさせていなかったか?」
「よく見ていたな、その通りだ。足音の加減でジャンプする方角とタイミングを、若干ズラしたのだ」
「意味のない意地悪をするなぁ」
「何を言うか。これも修行だ。トオルにはカエルの気持ちが分からなかったのだろう」
ジーサンはホクホクと笑っていた。可哀想なトオル。この事は黙っていた方が良さそうだ。
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