第11話 ハリガネムシの話


 俺は水筒を持って、愛美を日陰に連れて行った。

「こんな暑い日に水を呑まなかったら、倒れちゃうぞ」

 愛美を木陰で休ませて、俺は田植えの列に戻った。ゴールまで後十メートル位で、植え付けが終わる田んぼの表面の水がザワザワと動き始める。五メートル進むと、水面が沸騰したようにバシャバシャ音をたてた。

 余りの迫力にビックリしている愛美に、網を持たせて沸き立つ田んぼの水を汲ませた。一回掬っただけで網の半分くらい生き物が入って、ビビビッと網を震わせている。

「ギャー!」

 愛美は叫び声をあげた。網を田んぼに投げ捨てようとするから、慌てて受け取った。網をきれいな水が流れる、水路に入れて中の泥を落とす。バケツに水路の水を汲んで、網の中身を移した。


 いつの間にかリュカ達もバケツを覗きに来ていた。小エビの仲間、オタマジャクシ、ドジョウなどの小魚にゲンゴロウなどの昆虫。量も多いが種類も凄い。

「うわっ、キモ! 何でこんなに生き物が集まっているの?」

「ここの田んぼは農薬を使っていないから、生き物が多いんだ。それで一列になって、田植えをしただろう」

 愛美はしばらく考えてから、手を打った。

「そうか! 田んぼの中で生き物の追い込みをしていたんだ!」

「そうだぞ。だから珍しい生き物を捕まえることができるんだ」

「これ何? カマキリみたい」

「ミズカマキリだ。お尻に細長い管があるだろ。これで息をしている」

 ジーサンが俺の言葉をリュカ達に説明し始めた。何人かはノートに何かを書き始めている。


「これは?」

 愛美は茶色くて十cm位あるカメムシのような昆虫を指さす。嘴が尖っていて凄い迫力だ

「タガメだ。気を付けて触れよ。刺されるからな」

 タガメは自分より大きなカエルや魚だって、エサにしてしまう。田んぼの昆虫の王様だ。東京の親戚の子供は、これを見ると大騒ぎする。デパートで五千円位で売っているんだそうだ。

「ええっ! そんなにするの!」

 途端に愛美が興味を示し始めた。五千円と言えば、俺のお年玉の総額と同じくらいだ。これ、どこかで売れないかなぁ。


 その後、二十cm位あるドジョウを見つけた。リュカが興奮しながら指さす。ジーサンは俺に聞いた。

「リュカが食べられるのかって聞いている。この辺の人は食べるのかな?」

「そんなに食べる人はいないけど、食べられるぞ。でもどうせ食べる生き物なら……」

 俺は田んぼの脇の水路に入り込んだ。小石交じりの土砂を手で抄う。水の中で揺すると、泥と小石が落ちていく。後に残ったのは、小さい二枚貝だ。

「おぉ、これはシジミだな。ずいぶん大きい」

「これは美味いぞ。後で少し取って行こう」

 大人たちも、しばらくシジミ拾いを始めた。結構な量が取れたから、みそ汁にでもしよう。


「……これ何?」

 愛美が木の枝の切れ端を使って、茶色で長細い紐のようなものを持ち上げた。リュカがゴミか何かだろうという顔で、指でつまみ上げた瞬間、叫び声をあげた。

「!!!!!」

「悪魔だと言ってるな」

 ジーサンがリュカの叫び声を訳した。茶色い紐はウネウネと動き、リュカの黒い指に絡みついている。見た目が相当グロい。手を振り回して紐を地面に叩きつけたリュカは、両手を固く組み、空を見上げて何かを唱え始めた。何のおまじないだろう?

 俺は茶色い紐をじっくりと眺めた。地面に叩きつけられたからだろう。動きが鈍くなっている。指でつまみ上げると、周りのアンチャンやネーチャンが悲鳴を上げた。


「これ悪魔じゃないぞ。ハリガネムシだ」

 そう言って田植えに戻ろうとした。でもリュカ達が怖がって田んぼに入ろうとしない。

「おいジーサン。ハリガネムシって英語で何て言うんだ?」

「馬の毛の虫というな。馬の尾やたてがみの毛が水に落ちて、この虫になると言われている」

「そんなわけないよな。この辺りに馬なんかいないもん」

「まぁ西洋では、そう言われているというだけの話だ」


 その後は作業を中断(全然作業が進まないな)して、ジーサンにハリガネムシについて教わった。ハリガネムシは大型の昆虫(カマキリや首切りバッタなど)の寄生虫だ。水の中で卵から孵った幼虫は、カゲロウやヤゴの幼虫に食べられる。その身体の中に住み着き、生長せずにジッと待つ。

 ハリガネムシの幼虫入りのカゲロウ成虫が、今度はカマキリに食べられる。そうするとカマキリの腹の中で幼虫は生長を始め、ぐんぐん大きくなる。


「そして、今頃から秋口までかな。ハリガネムシ入りの大型昆虫は水辺へ誘われる」

 泳げないカマキリは誰にも教えて貰っていないのに、ザブザブと水の中に入り込む。するとカマキリのお尻からハリガネムシが出て来て、水の中で結婚相手を探すらしい。運よく結婚出来れば水の中で卵を産んで、カゲロウの順番からまた世代を繰り返す。


「どうしてカマキリは水の中に飛び込んじゃうんだ? 泳げないのだから死んじゃうだろ」

「どうやらカマキリの体内に居る時に、ハリガネムシの身体から水辺に誘う物質を分泌しているようだ。寄生主は知らないうちに操られてしまうのだな」

 それを聞いた瞬間、リュカは顔を顰めた。

「やっぱり悪魔だって言っているな。ケンタはハリガネムシの生活環も知っていたのかな?」

「生活環って何だ?」

「卵から生き物が生まれ、成虫になる。その生体が卵を産んで世代を繋ぐ。これが一周で一回の輪になっているから、生活環という」

「俺はこの虫がハリガネムシで、カマキリのお尻から出てくることは知っている。でも生活環なんて知らないぞ」

「いやいや、それでも大したものだ」

 ジーサンは腕を組んで頷いた。愛美は瀕死のハリガネムシを棒でつついて、ギャーギャー言っている。


 その後、やっと田植えの作業が再開した。ハリガネムシは人間には害がないと、ジーサンに言われてリュカ達も、おっかなびっくり田んぼに入る。一刻も早く作業を終えたいのだろう。ふざける人がいなくなった。

 何とか昼ごはんの前に全部を植え終わった。愛美も畔沿いの一列を植え付けることが出来た。用水路で手足についた泥を流して、農家の軒下に集合する。

 ジーサンは既に、ビールを呑み始めている。結局ほとんど田植えも手伝っていないから、ただ呑みだ。本当にしょうがないな。俺はコーラを貰って飲んでいたが、何かモヤモヤする。愛美に話しかけられた。

「ちょっとケンタ。何を難しい顔をしているの?」

「何か言いたいのだけど、上手く言葉にできない」


 俺たちはジーサンと、リュカ達の方に歩いて行った。リュカはニコニコしながら、おにぎりを食べている。俺たちを見ると、両手を広げて近づいて来た。

「今日、ハリガネムシを見たよな。気持ち悪いとか悪魔みたいだって言ってたけど……」

 ジーサンが通訳してくれいる間に、俺は考え込んだ。俺は何が言いたいのだろう?

「ハリガネムシは自分の事を悪魔だと、思っていないんじゃないか?」

 リュカの周りにアンチャンやネーチャンが集まってきた。

「上手く言えないけど、どんな生き物にも役割があって、大切な何かをしていると思う。だから……」

 しばらく考えてから俺は、やっと言いたいことが何なのか分かった。

「……だから見た目だけで、ハリガネムシを嫌いにならないでくれ」


 ジーサンは驚いた様な目で俺を見た。それから言葉を選んで、ゆっくりとリュカ達に伝えてくれた。リュカは両手を何度か振って、口をパクパクさせた。それから肩を落として首を振った。余計な事を言ったかな?

「小さな友人の言う通りだ。と言っている」

 リュカは屈んで、分厚い唇をグニャリと歪める。俺と目の高さを一緒にして微笑んだ。

「また一つ大切なことを教わった。絶対に忘れない。だと」


 アンチャンやネーチャンが一斉に、色んなことを話し始めた。ジーサンも皆に囲まれて、外国語で勉強会になった。あまりにも質問が多かったから、ジーサンは全てを俺たちに通訳する事はできない。

 代わりにダイアナ先生が、内容を俺と愛美に伝えてくれた。愛美は物凄い勢いでメモを取っている。生物の多様性とか、持続可能な農業とかチンプンカンプンで何を言っているのか分からない。

 ハリガネムシ一つで大騒ぎだ。


 夕飯の時、トーチャンとカーチャンに田植えの話をした。愛美がへなちょこだった話。ハリガネムシの話。発表会は持続可能な農業と外国の交流で行くと、愛美が息巻いていた話。上手く言えたかな?


「良い勉強をしてきたね」

 トーチャンはビールを飲みながらニコニコしている。カーチャンは腕を組んで考えている。

「愛美ちゃんの発表が入賞した時、景品は山分けになるのかな……」

「取れるかどうかも分からない物の心配して、どうするんだ?」

 俺は呆れた。カーチャンは唇を尖らし、何か言いたそうな顔をしている。トーチャンは旨そうにビールを呑み干した。


 でも、カーチャンの心配は当たった。発表会で、ちょっとした騒ぎになったんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る