第9話 ダーウィンの話


「そういえばジーサン。ダーウィンとガリレオとコペルニクスって誰だ?」

「ダーウィンは進化論の推進者だ。人間は哺乳類であるサルの仲間から進化して誕生したと推測した。ガリレオは物理の天才で、地動説を推進した。コペルニクスはガリレオが信じた地動説を最初に唱えた人物だ」

「??? 俺にも分かるように話してくれ」

「三人のうち、一人を説明するのにも大変な時間がかかる。今日はダーウィンの話をしようか」

 ジーサンは肩を竦める。俺の頭に手を置いて、髪を掻き回した。



 ダーウィンはイギリスの自然科学者だ。医学や博物学を学んだあと、イギリス海軍のビーグル号に乗って、世界中を旅した。ガラパゴス諸島に立ち寄った時、ゾウガメの変種を確認し、各島々の変種の分布を発見した。

 その他、イグアナやツグミなどでも同じような変種を確認して、ボンヤリとした仮説を立てた。

「一番近い南米大陸から1000km離れた島々では、大陸にいる同じ生き物と、島の生き物の形に変化があったのだ。例えばゾウガメの甲羅がドーム型になっていたり、鞍型になっていたりする違いだ」


 ジーサンはそう言って、地面に亀の甲羅の形を書いた。丸かったり細長かったりしている。

「??? 同じ亀なのに、甲羅の形が違うのか。どうしてだ?」

「その島ごとに、食べるものや住む場所が違っていたのかもしれないな。そして長い年月が過ぎ、身体の形が異なってきたのだろう。リュカやダイアナ、そしてケンタも同じ人間だが、見た目が大分違うだろう?」

「話す言葉や好きな食べ物も違うぞ」

「そうやって生き物は環境に合わせて、自分の身体を造り替えていく能力があると考えたのだ。これを自然淘汰説という」

「進化論はどうしたんだ?」

 ジーサンは苦笑いする。


「そこに辿り着くまでには、長い説明が必要なのだが、銭谷が言いたかったことは、別にある。ダーウィンは長い間の研究を『種の起源』という本にまとめた。これが世間に出回ると、教会を中心に物凄い反発が起ったのだ」

「教会は関係ないだろう?」

「その当時、教会の指導者はある意味、国王よりも影響力があった。人の生き方は聖書が決めていたと言っても言い過ぎではない」

「聖書に『種の起源』が間違いと書いてあったのか?」

 ジーサンは首を振る。

「そうは書いていない。問題になったのは、人間は神様が作ったのであって、猿から進化したとは認められなかった事だ」


 それはそうだよな。俺のジーサンのジーサンの遠い昔のジーサンが猿だと言われたら、びっくりするよな。

「教会の圧力によって、ダーウィンは大変な批判を受けた。しかしまだ彼の時代は恵まれていた。銭谷はコペルニクスとガリレオを挙げていたな。彼らの時代では、教会の考えに反した学説を唱えたという事で宗教裁判にかけられてしまった」

「宗教裁判ってなんだ?」

「教会による一方的な裁判だ。有罪になると最悪、火炙りにされる。コペルニクスやガリレオ時代の教会の力は絶対的だったから、発表した説を取り下げなければならなかった」


「言った事を取り下げなければ、火炙りだなんて何だか無茶苦茶だな。大体、教会の人だって人の話を邪魔して、それが何の得になるんだ?」

「教会の権威を守るためだ。権威を傷つけられると、教会は今までの権力を維持できなくなる」

「権威? 権力? それってなんだ」

 ジーサンは困ったような顔をして、腕を組んだ。

「……どう説明したらいいかな。それを持っていると人より偉くなるのかな?」

「そんなの偉くも何ともないぞ。一生懸命考えた人の話を邪魔しているだけじゃないか」

「本当にそうだな。銭谷が言いたかったのも、そのことだろう。今は認められなくても、いつか認められる物事が、この世には無数にあるのだ」

 ジーサンは苦笑いした後、かがみ込んで俺の顔を見た。

「だからケンタ。銭谷は友人や大人に、すぐに認められなくてもダーウィンのように諦めないで、色々な事をお前に学んでもらいたいと言いたかったのではないかな」


「難しくて、良く分かんねーや」


 トオルが立てるようになった所で、河原の勉強会はお開きになった。ハカセはジーサンの家に歩いていった。きっと徹夜で呑み会をするのだろう。



 晩御飯の時、トーチャンとカーチャンに今日の話をした。化石の話。ダーウィンの話。教会の話。上手く話せたかな。

 カーチャンは話を聞き終わると、台所に行って物凄い勢いで料理を作り始めた。

「もう晩御飯は食べただろ。そんなに食べられないぞ」

「ジーサンとハカセは呑んでいるのだろう。どうせ碌なものを食べてないのだから、これを持って行ってやれ!」

 それを聞いたトーチャンは、いそいそと着替え始める。それを横目で見たカーチャンは冷たく言い放った。

「何をしているんだ。料理を持っていくのはケンタだ。お前じゃない」


 トーチャンは悲しそうに肩を落として、上着を脱ぎ始めた。


 いつもは夜中に出歩くなとか言っているのに、勝手なものだ。でもジーサン達が喜ぶなら、それもいいか。

「夜は危ないから、付いていこうか?」

 と、余計なことを言ってトーチャンは、カーチャンにぶっ飛ばされる。それを横目に、俺は料理を持ってジーサンの家に行った。


 ジーサンの家の開かない引き戸でガタピシしていると、ハカセの笑い声が聞こえた。そのうちジーサンが顔を出した。

「おやケンタ、どうしたんだ?」

 俺は料理の入った袋を渡した。

「カーチャンが、ジーサンとハカセに持ってけって」

「それは嬉しいな。帰りは送ってあげるから、ちょっと上がっていきなさい」

 ジーサンは料理を受け取ると、ニコニコ笑いながら中に入った。ハカセは大分出来上がっているようで、禿げ頭が真っ赤になっている。メガネをかけた茹蛸みたいだ。


「おや少年。どうした?」

 返事をするのも面倒くさいので、袋からちゃぶ台に料理を並べ始める。豚かしら肉と葉葱の味噌炒め、揚げ出し豆腐、家で取れたレタスがメインのサラダが並ぶ。ハカセは目を丸くした。

「カーチャンが食べてくれって。きっと今日のお礼なんだろう」

「いやいや、礼をいうのは此方なのに…… いや、美味そうだな」

 ハカセは指でかしら肉を摘まみ上げると、口に抛り込んだ。それから小さなグラスに入った、茶色い酒をキュウッと流し込む。

「うーん。ラフロイグにも負けておらん。これは素晴らしい肴だ」

 それからジーサンとハカセは、楽しいそうに呑み喰いを始めた。俺には分からない、何だか難し気な話をしている。ボンヤリしているとハカセが俺に話しかけてきた。


「少年は川の生き物に詳しいのだな」

「そんな事ない。この辺の子供なら皆、知っているぞ」

「……ヌマエビの幼生は今日見たね。他の小エビを知っているかな?」

「スジエビとかお化けエビかなぁ」

「お化けエビ?」

 ハカセは知らないようなので、メモ用紙に丸っこいお化けエビを書いた。

「おぉ、ホウネンエビだな。これらのエビの違いが分かるかな?」

「スジエビは他の小エビやメダカも食べちゃうぞ。でもヌマエビも動けないメダカやイトミミズを食べることがあるんだ」


「ヌマエビは草食性ではないのか?」

 ジーサンの質問にハカセが答える。

「いや。実際の飼育現場ではヌマエビが小魚の幼魚を捕食していることが確認されている。特に産卵前のメスに多く見られるのだが……」

 ハカセは俺をジッと見つめた。しばらくして俺の頭に手を置いて、髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。

「少年は小学2年生だったな。素晴らしい観察眼だ。仲間に人望もあるようだし、将来が楽しみだ」


 しばらくして、ジーサンに送って貰って家に帰った。これからハカセは徹夜でジーサンと話をするのだろう。何だか、ちょっと羨ましかった。

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