第8話 神様の話


 三日後、学校が終わって河原に行くと、ジーサンと知らないジーサンが居た。何やら真剣に岩の化石を覘いている。写真を撮ったり、寸法を測ったりしているようだ。


「おい、ジーサン」


 俺が声をかけると、二人が同じタイミングで振り返った。余りにタイミング良く同時に振り返ったから、後ろで愛美が噴き出す。見知らぬジーサンは、丸眼鏡をかけていて禿げ頭だ。ポケットが沢山ついたチョッキを着ている。背はジーサンより少し高い位か。

「おぉ、ケンタと愛美か。銭谷。彼がこの化石を発見した少年だ」

 銭谷と呼ばれたジーサンは、片方の眉を上げて軽く会釈した。ジーサンは俺の後ろを確認する。

「トオルは、どうした?」

「トオルは、まだ授業中じゃないか?」

 ジーサンは肩を竦めてため息を付く。

「何と勿体ない。銭谷博士の講義を聞き逃すとは」

 ハカセは苦笑いをして、土手の上に上がってきた。分厚い掌を俺の頭に乗せる。

「君がケンタ君か。良く話は聞いているよ。なかなか見どころがあるらしいな」

「そんな事ないぞ。勉強なら愛美の方が出来るし、運動ならトオルの方が出来る」

「勉強と運動か。確かに大事な事だが、もっと大切な事が沢山ある」

 何だかハカセもジーサンと同じような事を言うな。皆で土手の土砂が崩れないように張ったブルーシートを乗り越えて、化石のある岩に近づいた。愛美も興味津々で覗き込む。

「本当だ。ユリみたい。でも葉っぱが無いねぇ」

「おぉ。可愛らしいお嬢さん。大した観察眼だ。これはウミユリという棘皮動物だ。花のように見えている部分は、触手という器官だ。この触手で海中のプランクトンなどを捕まえてエサにしている」

「プランクトンってなんだ?」

「水の中を漂う、小さな生き物たちの総称だ。目立つ存在ではないが、様々な生き物を養うための大切な生物だ」

「???」

 頭を抱える俺を見て、ジーサンは川の中で小さなタモを使い始めた。タモの中身を透明なガラス瓶に移す。

「これがプランクトンだ」

「何にも見えないぞ」

「ケンタ! ちょっと待って」

 愛美はビンの底に目を凝らす。あ、本当だ。何か小さい点がピンピン跳ねている。

「おぉ。何かいる」


 ジーサンは目を細めてガラス瓶を見た。

「恐らくヌマエビの幼生だな」

ヌマエビだったら分かる。水槽のコケを食べてくれる小さなエビだ。釣りの餌にも使う。

「その頃の海にはプランクトンとウミユリしかいなかったのか?」

「古生代の海には沢山のプランクトンがいた。古生代は今から5億年前から2億5千年前までの期間を指す。何しろ2億5千年の期間だから、様々な生き物が栄えては滅んでいった」

「その頃の人間は何をやっていたんだ?」

「まだ人間は現れていない。人間の祖先は200万年前に初めて地球に現れた」


 200万より2億5千年の方が数は大きいんだよな。良く分からないけど、凄い昔なのだろう。

「人間が居ない大昔なのに何でどれ位、昔か分かるんだ?」

「良い質問だ。測定機器が発達してなかった昔は、地層が大きなポイントになる。古い年代の地層程、深い所にあることが多い」

「???」

「さらに測定機器が発達した現在では、もっと精密に測定することが可能になった。これを放射性炭素年代測定法という。放射性の炭素は安定していないから、時間の経過と共に余剰のエネルギーを失って、窒素に代わる。今では電子スピン共鳴年代測定法もあり……」


「ちょっと待ってくれ!」

 俺は頭を抱えた。ハカセが何を言っているのか全く分からない。愛美はフンフン頷いている。

「愛美。お前分かるのか?」

「分かるわけ無いじゃない。でも、調べる方法があって、それでどれだけ古い物か分かるのだってことは分かるわよ」

 愛美は胸を張って答えた。それでいいのか?


「お嬢さんの言うとおりだ。細かい理屈は、興味があれば後で勉強すればいい。少し前まで人間は、このような科学的な調査方法が確立するまで、地層の年代に大きな興味が示されなかった。国の指導者や高名な科学者でさえそうだった」

 ハカセは肩を竦める。苦笑いしたジーサンは、内ポケットから小さな金属の水筒スキットルを取り出してハカセに勧めた。ハカセは蓋を外して匂いを嗅ぐと、ニヤリと笑う。

「これは上等なスコッチだなぁ。遠慮なくご馳走になるぞ」

 ハカセは水筒の中身をチョッピリ呑むと、幸せそうなため息を付いた。

「素晴らしい化石を前に、旨酒を酌み交わし、若人と交流を深める。何と素敵な一日であろう事か」

 何を言っているのだという顔をしたジーサンも、肩を竦めて水筒の中身をチョッピリ呑んだ。


「昔なら、この化石は放っておかれたのか?」

「そういう事もあったろう。この酒を造ったイギリスという国では、化石は神様の失敗作として扱われていた」

「アダムとイブだな」

 ジーサンの答えにハカセは水筒を持ち上げて答えた。ジーサンが続ける。

「昔のヨーロッパでは、人間を含めた地球上の物全てを神様が作ったものだと考えていた。当時の知識階級者は、教会に所属している人が多かった。獣や植物、星や太陽も全部その神様が創った事になっている」

「じゃー、神様も大変だな」

「それは大変だ。だから完璧な神様も失敗作を創る事があった。それがこの…」

「化石なのね!」

 愛美が両手をパチンと鳴らした。

「そうだ。神様が失敗作だと思ったものは、積み重ねて置いたら石になった。だから当時存在していた生き物と、化石で出てくる骨や体の形が違う事の説明にしていたのだ」

 愛美はフンフン言いながら、ハカセとジーサンの説明を聞いている。なんだろう。何か面白くない。


「地球には神様が認めた生き物しか、居てはいけないのか?」

 俺はボソリと呟いた。ハカセとジーサンが驚いた顔で俺を見る。

「どんなに神様が凄い奴でも、さっきのプランクトン一匹一匹まで見ていられないだろう? 今の生き物と違う形をしているからって、それが全部失敗作だなんて何か変だ」

 我が意を得たりと、ハカセは大きく頷いた。

「少年よ。その通りだ。当時は測定技術もなく、宗教的な考え方が支配していたから、新しい考え方や発見が中々認められなかった」

 興奮したハカセは水筒を振り回す。ジーサンが慌てて、それを奪い返した。よほど中身が大切らしい。

「ダーウィン然りガリレオ然りコペルニクス然りだ。今、この世の中で正しいとされていること全てが、本当に正しいとは限らない!

 新しい事実は、世の中に認められるまでに大変な時間がかかる。だがしかし!」


「何だ。随分賑やかだな」

 下流からトオルがやって来た。学校から直接来たらしく制服姿だ。

「おートオル。真面目に学校に行っていたんだな」

「ケンタと一緒にするな」

 愛美を相手に演説していたハカセの肩を、ジーサンがつつく。

「おい銭谷。この学生がトオルだ」

「おぉ、連絡をくれた方だね。大変助かったよ。ありがとう」

 ハカセはトオルの肩をバンバン叩いた。それから繁々とトオルの顔を見た。

「良い面構えだ。しかし金髪の坊主頭とは恐れ入った。まるでタワシみたいじゃないか」

 ぐりぐりとトオルの頭を掻き回すハカセ。トオルの顔が引きつっている。俺と愛美は下を向いて噴き出した。


 それからしばらくは、岩の周りの土を退かしたり、土の中から出てくる石を集めたりした。何でも化石が出た近くには、他にも化石が出てくる事があるらしい。


「あれ? これ何だ」

 トオルが声をあげる。手には模様の入った石が握られていた。俺と愛美がのぞき込む。細長いホースに網目模様が入っている。ハカセが石を受け取ると、じっくり眺めた。

「ハチノスサンゴの一種だな。恐らくケニーテス属もしくはファボシテス属じゃないだろうか」

「これも化石なんですか?」

 無理矢理使うトオルの敬語は気持ち悪いな。ジーサンに言われたのだろう。最近、年上の人に対する言葉使いや態度が変わった。ハカセは頷く。

「サンゴの化石だ。蜂の巣のような模様が入っているから、ハチノスサンゴと総称されている。ウミユリと同じ場所で良く出土する」

 おお凄い。化石発見だ。しばらくすると愛美も石を持ってきた。

「これも化石ですか?」

 愛美の石にはゴキブリが一回り大きくなったような模様が、浮かび上がっていた。ハカセはこれもじっくりと眺める。

「コロノセファルス属の三葉虫だな。この辺りで出土するのは少し珍しい」


 皆でワイワイ言いながら、化石を集めた。何だか面白くなってきた。一時間くらい動き回ると、トオルが汗を拭いた。

「学校から直接ここに来て、何も食べてないんだよな。喉も乾いたし」

 ふと見ると、金属製の水筒が置いてあった。何の気なしにキャップを開けて、口に付けようとする。

「トオル! ちょっと待て」

 俺が言った時には、トオルの喉がグビリと鳴っていた。


 ブファー!


 トオルは盛大に中身を噴き出した。異変に気が付いたジーサンが飛んでくる。

「あぁ、アイラ島の魂が…」

 河原でのたうちまわるトオルの背中を擦りながら、ジーサンは悲し気に呟いた。慌ててハカセが腰につけた水筒を取り出し、トオルにうがいをさせた。一息ついたトオルが叫ぶ。

「口の中、燃えてないか? 何か焦げ臭い……」

「うんうん。それがアイラ島シングルモルトの特徴だからな。ラフロイグと見たが、18年物か」

 ジーサンは悲し気に首を振る。ラフロイグに間違いないと思うのだけどなと、ハカセも首を傾げる。

「……25年物なんだ」

 ジーサンの呟きを聞いて、ハカセは目を見開いた。

「学生が噴出した分だけで、五千円分はあるな。何とも勿体ない」


 とぼけたジーサンたちの会話に、突っ込むだけの気力も無いトオルは、河原にへたり込んでいる。しばらく休憩時間となった。ハカセは一人でウミユリの化石の周りをうろついていた。

 愛美は飽きたのか、河原の花を摘み始めた。俺とジーサンは河原に寝転んだ。




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