第7話 ウミユリの話


 今日は川普請かわぶしんの日だ。俺の近くにはトオルと愛美、それにジーサンがいる。


 俺が住む地区では毎年2回、住民総出で周辺清掃や草刈りを行う。川の周辺を掃除するときは川普請。道の草刈りや修繕を行うときは道普請みちぶしんという。この辺りを流れている川は釣り人が多くて、引っかかった釣り針やテグスをそのままにしたりする人がいる。

 だから裸足で川に入るのは川普請の前は、かなり危ない。俺は長靴を履いて川に入りテグスを拾ったり、木の枝にぶら下がったルアーを回収したりした。愛美は大きなビニール袋をぶら下げて、河原でゴミを拾っている。

 ジーサンとトオルは草払い機で、背の高い草をガシガシ刈り倒していた。


 トオルは丸坊主になっていた。金髪なのを坊主にしたから、まるでタワシみたいだ。そう言ったら苦笑いして小突かれる。何でもジーサンに合気道を習い始めて、毎日マラソンしたり筋トレしたりしているらしい。

「最近、煙草を吸わないんだな」

「ジーサンに言われているトレーニングを全部こなすと、息が切れるんだよ。煙草って身体に悪いんだな」

 そんな事は箱に書いてあるだろうに。トオルも、あんまり頭が良くないな。


 川普請は朝の8時から初めて、10時には終わった。子供たちはジュースやお菓子を貰って一旦家に帰る。大人たちは河原で豚汁を作ったり、バーベキューの準備を始めた。昼御飯は、川普請参加者みんなで食べるから凄く賑やかになる。

 大人たちはビールを川の深い所に沈めて冷やし始めた。


 ガチャン! ガチャガチャ


 ビールやジュースを入れた網袋が千切れ、缶が下流に流され始めた。仕方がないから俺とトオルで拾いに行こうとする。

「何をやっているのだ?」

 缶ビールを片手にジーサンがやって来た。何だ。もう吞んでいるのか。缶が流されたから拾いに行くのだというと、片手を振って止めておけと言う。

「流れたものは仕方がない。これも運命、諦めなさい。ひょっとしたら350mlのビールが500mlに生長して還ってくるかもしれない」

「鮭じゃないんだから、そんなことあるもんか」

「おぉ、酒と鮭を掛けたのか。なかなかやるな」

 手を叩いて笑い始めた。こりゃ駄目だ。ジーサンを置いて、トオルと川下に歩き始めた。


 しばらく歩くと、流れが緩やかになった所に缶がプカプカ浮かんでいた。トオルと一緒に何本か缶を拾い集める。広い範囲に散らばっているから、全部集めるのは無理そうだ。

「あれ、ここの土手、少し崩れているな」

「前の大雨の時に増水したから、その時崩れたのだろう。ケンタ、危ないから近づくなよ」

「でもあそこにコーラの缶が…」

「止せ! 危ない!」

 首根っこを掴まれた俺は、強引にトオルの側に引き寄せられた。


 ズザザザッ


 俺の目の前の土手が派手に崩れる。トオルに止められなかったら、巻き込まれて危なかったかもしれない。コーラは崩れた大量の土砂の下敷きになって、もう回収は無理そうだ。

「言ったろ。近づくんじゃねーよ」

 俺は頭を叩かれる。あれ? 崩れた土砂の中から大岩が頭を出していた。

「おい、トオル。あの岩に花が描いてあるぞ」

「危ないっていってんだろ! ……本当だ。でもこれ人が描いたのかな?」


「何か大きな音がしたが、大丈夫か?」

 上流からジーサンが歩いて来た。俺が集めたビールの缶を一本受け取ると、ニヤリと笑って上着のポケットに捩じ込んだ。酔っ払いってしょうがないなぁ。

「ジーサン。岩に花の絵が描いてあるんだ」

「それはまた風流な……」

 岩を覗き込んだジーサンは一瞬、真面目な顔になった。


「……トオル。携帯を持っているか?」

 怪訝な顔をしながら、トオルはポケットから携帯電話を取り出した。受け取ったジーサンは何枚か岩の写真を撮ると、どこかに送信し始める。

「ジーサン、自分の携帯は?」

「家にある」

「それじゃ携帯電話にならないだろう」

「これから酒盛りなのに、持って歩いたらどこかに置き忘れるか、落として無くすに決まっとる。これを転ばぬ先の杖と言う。覚えておきなさい」

 ジーサンは偉そうに胸を張る。何を威張っているのだろう?

「……本当にしょうがないなぁ。どこに写真を送ったんだ?」

「いや、一寸知り合いにな。これは少し楽しみだ」



 昼になって河原にみんなが集まり始めた。農家で勉強しているリュカ達が沢山の野菜を持ってやって来る。ダイアナ先生も来て凄く賑やかになった。

 リュカ達が演奏を始める。ネーチャン達が両手を上げて踊り始めた。側で見ていたカーチャンは、ダイアナ先生に手を引かれて、輪の中へ引き込まれる。最初はヘッピリ腰だったカーチャンのダンスも、曲の終わりには何とか形になっていた。

 一曲終わるとカーチャンはトオルや愛美を道連れに、二曲目に突入する。必死に逃げ出そうとして抵抗するトオルを見て、近所のオジサンやオバサンたちが腹を抱えて笑っていた。


 トーチャンやジーサンもビールから日本酒に切り替えて、ヘラヘラ笑っている。俺も腹は一杯になったし、どこかで昼寝でもするかなと思った時、踊っていたトオルの携帯電話が鳴った。見た事の無い番号だったらしく、少し迷った後、トオルは電話に出る。

「ジーサン。国立博物館の銭谷さんって人から電話だ」

「おぉ。すまんな」

 ジーサンは電話を受け取って、何やら話し始めた。


「おぉ。やはりそうか。 ……うん。興味があるなら案内する。分かった。三日後だな」

 通話を切ったジーサンは、電話をトオルに返す。

「何の電話だったんだ?」

「知り合いの専門家に、さっき撮影した画像を送ったんだ。あの岩の花模様はウミユリの化石に間違いないそうだ」

「あの花、ユリだったのか?」

「花ではない。ウミユリは棘皮動物と呼ばれる動物だ」

「きょくひ…… 何だって?」

「棘皮動物。ヒトデやナマコの仲間で、ウミユリは現代に生存する生きた化石だ」

「??? ヒトデやナマコは海の生き物だろう。なんでこんな山の中に居るんだ」

 俺は眉を顰めた。ジーサンは俺の頭に手を置いた。

「大昔、この辺りは海だったのだ」

「??? ……そうなのかぁ?」


 ちょっと声が大きかったかな。踊り終わった愛美も寄ってきた。

「大昔ってどのくらい前ですか? 鎌倉時代? 江戸時代?」

「1000年や500年前ではない。人間が存在しない遥か大昔だ。5億年から2億5千年前の古生代と言われる頃のことだ」

「何でそんな昔のことが分かるの?」

「今話していたウミユリや貝の化石が出土することも、証拠の一つだ」


 それはそうだよな。だって地面に埋まっているのだから、誰かが埋めたのじゃなければ、昔そこで生きていた証拠になる。それでも愛美は納得していないような顔をしていた。

「私が説明しても良いが、3日後に専門家が来る。その時、質問してみるといい」

「何で専門家が来るんだ?」

「あそこのウミユリの化石に興味があるらしい」

「その化石って高価な物なのですか?」

 さっそく愛美が喰い付いた。石ころに値段なんかつくのかなぁ。

「残念ながらウミユリの化石は、それほど珍しいものではない。ただ触手の形が、あんなに綺麗に残っているのは珍しい」


 トオルはダイアナ先生に捕まって、三曲めのダンスに突入していた。化石が高価なものでは無いと分かって、興味を無くした愛美も踊りの輪の中へ飛び込んでいった。

 俺とジーサンは欠伸をしながら、その場に横になった。腹も一杯だし、ひと眠りすることにしよう。


 夕方になってベロベロになったトーチャンを、カーチャンと一緒に引き摺りながら家に帰った。その間に今日の話をカーチャンに話す。ウミユリの化石の話、棘皮動物の話、古生代の話。上手く話せたかな?


「カーチャン。この辺りは昔、海だったのか?」

「そんな事、私が知るわけないでしょうに」

「世の中は、不思議な事だらけだな。良く分かんねーや」

 カーチャンは俺の顔をマジマジと見て、しばらくしてから微笑んだ。

「君にはゆっくりで良いから、色々な事を勉強して欲しいな。ケンタには素晴らしい先生や知り合いが一杯できたでしょう。私の子供の頃と大分違うから、少し羨ましいよ」


「うーん先生。もう呑めないです…」

 引き摺られていたトーチャンがしょうもない事を呟いた。カーチャンの下あごに、うっすらと梅干の種が浮かぶ。ヤバイ。トーチャンを揺するが全く起きない。

「……前言撤回。馬鹿な大人の真似はしないように」


 ドスン!


 カーチャンに蹴飛ばされた、トーチャンが弱々しい悲鳴を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る