第6話 本当のバカの話
ボロボロになった俺は、ジーサンに背負われて、家に帰った。連絡を受けていたカーチャンが大声をあげて、家から飛び出してきた。
「何でこんなケガしてるの! ランドセルは!」
「イテテッ。そんなに揺するな! 今、話すから」
ジーサンから降りた俺は、カーチャンに羽交い絞めにされた。苦笑いしたジーサンは、ちょっと真面目な顔で言った。
「骨などは折れていないようです。殴られた顔のケガは酷く見えるけど、大丈夫でしょう。落ち着いたら、念のためレントゲンのある病院に行くといい」
応急手当ては、ジーサンがしてくれた。神妙な顔でお礼を言うカーチャンに、ジーサンは言った。
「今から彼のランドセルを持ってきます。詳しいことはケンタから聞いてください。……今日の彼は立派でした」
学校からの帰り道、俺は河原に寄り道していた。本当は集団下校をするから、こんなことはできない。今日は俺だけ居残りで、算数のドリルをやっていたから一人で帰る事になったのだ。
算数は苦手だ。でもジーサンは根気良くやれと言う。そのうち分かるようになるからって。信じられないなぁ。
河原の石をひっくり返して、川虫を集めている時に、小さい悲鳴が聞こえた。見ればクラス委員の愛美が、金髪の中学生に突き飛ばされている。
ヤバイ。トオルだ。
トオルは近所の鼻つまみだ。体が大きくて乱暴者で、いつも怒っている。髪の毛を金髪にして、中学生なのにオートバイに乗ったりしていた。悪い高校生との付き合いもあるらしい。今も煙草を咥えながら、愛美を蹴飛ばそうとしている。
仕方ない。
俺は後ろからトオルに体当たりする。バランスを崩したトオルの足は、愛美には当たらなかった。でも次の瞬間、俺はぶっ飛ばされる。
「何でケンタが入り込んでくるんだ」
「中学生が小学生をイジメたら駄目だぞ!」
「こいつがウルセー事いうからイケねーんだよ」
愛美は何とか立ち上がっていた。でもガタガタ震えている。
「中学生は、煙草を吸っちゃいけないんでしょ……」
ウルセーと言いながら、トオルが手を伸ばす。愛美は震えて動けない。俺はトオルの足に飛びついた。今度は上手く相手を転ばすことが出来た。
「愛美! 逃げろ!」
「でも!」
「いいから誰か大人を呼んで来い!」
頷くと愛美は走り出した。良かった。これで大丈夫だ。トオルに何発か殴られている時に、愛美の声が聞こえた。戻って来るのが随分早い。
ポロポロ泣きながら、愛美が大人を連れて来た。ヤレヤレ助かった。
あっ、こりゃダメだ。愛美に手を引っ張られているのは、散歩途中のジーサンだった。
「何だ、このジーサンは」
俺を投げ捨てたトオルは、ジーサンに掴みかかった。並んで見ると、頭一つ分、トオルの方がデカい。体重は倍くらい違うかもしれない。飄々と歩み寄るジーサンの胸ぐらが掴まれた瞬間、二人がスキップしたように見えた。
ドスン!
トオルは地面に倒れていた。驚いて飛び起きるトオル。叫び声をあげながら、ジーサンに殴りかかった。トオルのパンチがジーサンの顔に当たる前に、手首を掴まれてトオルはまた、投げ飛ばされていた。
背中から落ちているからだろうか。それほど痛そうな素振りも見せずに、すぐに立ち上がってジーサンに向かっていく。
でも何回やっても同じだった。ジーサンの身体に触ることすらできずに、トオルは投げ飛ばされ続けた。一人で立ち上がって、空気に殴りかかっては転んでいるみたいだ。最後の方は立っているより、地面に倒れている時間の方が長かった。
ジーサンも凄いが、トオルの根性も凄い。そのうち大きく息を吐いたトオルは、倒れたまま動けなくなった。パンパンと服の埃を払ったジーサンが、こっちに歩いてくる。
「偉かったぞ、ケンタ」
「ジーサン。どうやってトオルを投げ飛ばしたんだ? 触ったと思ったら、トオルが倒れていたぞ」
「良く見ていたな。合気道という武道だ」
ジーサンは俺を背負って、トオルの所に回った。
「トオルとやら、もう立てるな。立て!」
フラフラと立ち上がったトオルは、熱湯に入れられた青菜みたいに、シュンとしていた。トオルに俺のランドセルを持たせると、愛美と一緒に四人でジーサンの家に向かった。
ジーサンは家に着くまでの間、事の次第をトオルに話させた。相槌以外、ジーサンは口を挟まない。トオルって、こんなに話す奴だったんだ。いつもはウルセーとか、あっちに行け位しか言わないのに。
ジーサンに話せば話すほど、トオルの背は丸まっていく。ジーサンの家に着いた時には、空気の抜けた風船みたいになっていた。
「今日はもう日が暮れる。トオルは愛美を送って行きなさい。出来るな」
「はい」
明日は雨だ。トオルがこんな素直な返事をするのを、初めて聞いた。
その後、ジーサンの家で怪我の手当をして貰った。まず俺の家に電話をして、カーチャンに連絡した。鼻血を拭いたり、小さな懐中電灯で俺の目を照らしたり、湿布を貼ったり。それからおぶって、俺の家まで連れて帰って来て貰った。
ここまでの話を、カーチャンに話した。上手く話せたかな?
「グヘヘヘ。村社会の恐ろしさを、トオルに教えてやるぅ」
話を聴き終わったカーチャンはグツグツと笑い始めた。こんなに不気味なカーチャンを見るのは初めてだ。
今日の晩御飯は唐揚げと、モツ煮だ。どっちも大好物だけど顎が痛くて、唐揚げが噛み切れない。困っていると、
「御免下さい」
ジーサンとランドセルが戻って来た。カーチャンがアラアラすいませんって、愛想のいい声で返事をしたかと思えば、怒鳴り声を上げた。
様子を見に玄関に行くと、ジーサンの後ろにはトオルが立っていた。カーチャンは俺を背中に隠し、トオルを睨みつける。
「今日は、すいませんでした。俺、イライラしていて、愛美やケンタに当り散らしてしまいました。本当に御免なさい」
トオルは深々とオジキをした。
「何言ってんだ! ウチの息子に、こんな怪我を負わして! コッチに来い。同じだけぶん殴ってやる!」
怒鳴り散らすカーチャンを押しのけて、俺は言った。
「もういいぞ。愛美にも謝ったのか?」
「……送った時に謝った」
「腹減ったろ? 今日、晩御飯、唐揚げとモツ煮なんだ。スゲー美味いから、ジーサンと喰ってけよ」
そう言った瞬間、三人の視線が俺に突き刺さった。
何言ってんだ、このガキは…… カーチャン
そんな事出来るわけネーだろ…… トオル
ビックリしたような、まん丸の目で…… ジーサン
「ケンタは、いい男だなぁ」
ジーサンはニコニコ笑っている。
「いいか、トオル。勉強が出来るのも、喧嘩が強いのもいい。でも私が好きなのは、ケンタの様ないい男だ。自分のことより始めに同級生の子、次に加害者であるお前を心配した。
今の世の中では生き辛い、バカ正直で素敵な少年だと私は思うぞ」
トオルはずっと下を向いている。
「おいジーサン。俺はバカじゃ無いんだろう?」
俺のツッコミに、しまったという顔をしたジーサン。
「いやいや。本当のバカと、ケンタは違うんだ。困ったな。どう説明したものか」
「夕飯時分に、突然来られたら迷惑だ」
そう言ったカーチャンの顔を見ると、また下あごに梅干しの種ができている。
ドスドスと台所に向かうカーチャン。
「早く上がれ! 今、追加の唐揚げを揚げるから」
揚げたての唐揚げと、温め直したモツ煮が、ジーサンとトオルの前に並ぶ。ジーサンはニコニコしながら、モツ煮を摘まみ始めた。
「いやぁ、ここら辺りのモツは豚肉なんですねぇ。味噌に特徴があるのかな? これは美味しい」
家の味噌はカーチャンの手作りだ。毎年冬になると大なべ一杯に、地元で採れた大豆を煮豆にする。この煮豆を潰すのも大仕事だけど、塩や麹を混ぜて味噌玉を作るのも大変だ。味噌玉は大きな樽にぶつける様にして並べて、出来るだけ空気を抜く。重石をしたら、半年以上こまめに様子を見なければならない。
貯蔵庫に置いてあっても、ほったらかしにはできない。たまにかき混ぜたり、かびた部分を取り除いたりする。
料理を褒められて満更でもない顔をしたカーチャンは、台所から一升瓶の日本酒を持ってきた。並々と注いだコップ酒をジーサンに手渡す。
「この辺の地酒だ。この酒を作っている麹は、この味噌と同じ物を使っている」
ジーサンは嬉しそうにコップ酒を口に運んで、幸せそうなため息を付く。
「これはたまらない。トオルも御馳走になりなさい」
「でも俺…」
バチン!
トオルの丸まった背中をカーチャンが叩いた。
「姿勢が悪い! 食べて良いと言っているんだから、黙って食べろ」
ヤバイ。カーチャンの機嫌が悪くなる。慌てて俺はフォークに刺した唐揚げをトオルの顔に押し付けた。トオルは、おずおずと唐揚げを齧る。
「……うまっ」
トオルは残っていた唐揚げを口に抛り込んだ。どうだ! という顔をするカーチャン。俺は茶碗にご飯をよそって、トオルの前に置く。はじめは遠慮がちだった箸のスピードは、時間が経つに従ってドンドン早くなった。
その後、トーチャンが帰って来た。ボコボコになった俺の顔を見てビックリしていた。でもカーチャンの様子を見て、何も言わずにジーサンと酒盛りを始めた。いつの間にかリュカも来て、大宴会になる。俺は付き合いきれないのと、腫れた顔が熱っぽくなって来たので、先に寝た。
夜中にトイレに起きたら、宴会は続いていた。日本酒の入った一升瓶を片手に仁王立ちしているカーチャンの足元で、トオルとリュカが土下座をしている。トーチャンは呑み疲れてテーブルに突っ伏していた。ジーサンはヘラヘラ笑いながら、コップ酒を煽っている。
良く分からないけど、酒呑みにはならない方がいいぞ。俺はそう思う。
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