第4話 ロマの話


 土手の上をブラブラ散歩していると、竹藪が現れた。いつもはこの辺で引き返す。でも今日は晩御飯まで時間があるので、藪漕ぎ(竹藪の中に入り込むこと。慣れないと全身に擦り傷を作ることになる)をしてみる事にした。

 筍の採れる大きな種類の竹藪だったので、藪漕ぎも楽だ。ちょっと歩いたら拓けた畑に出た。この辺りは田んぼより畑が多い。カーチャンがいうには、この地域の昔の主食は米ではなく麦だったんだそうだ。

 アルミパイプを組み合わせた支柱の足元で、何かの苗を植えている大男がいた。手も顔も真っ黒なリュカだ。小さな苗を大きな手で何とか植えようとしている。でも下手くそだ。5分経っても1つの苗を植えて、添え木に結びつける事が出来ない。


 見かねた俺は、リュカの方へ歩いて行った。まだそんなに暑くは無いが、ずっと同じ態勢で頑張っていたのだろう。シャツの背中が汗でビッショリだ。俺は被っていた麦わら帽子を、リュカの頭に被せた。ビックリして振り返るリュカ。

「頑張るのは良いけど、帽子も被らないで作業してたら、バカになっちゃうぞ」

 言葉が通じないから身振りで帽子を被っておくように伝えた。しばらくすると意味が通じたのだろう。俺にニコリと微笑んだ。


「何をしていたんだ?」


 リュカは黒いビニールの鉢に入った苗を差し出した。卵型の葉っぱに紫の軸が特徴的なナスの苗だ。これなら見たことあるし、家の庭でカーチャンと育てたこともある。

 植え付ける位置に掘った穴へ水を入れ、斜めに傾けて苗を植える。斜めにするのは、その方が根っこが多く生えるからだ。その根本に敷き藁を敷く。苗の根元の乾燥を防ぐためと、雨の時に泥が飛び跳ねて、葉っぱに付かないようにするためだ。葉っぱに泥が付くと、ナスが病気になってしまう。

 その後、風で揺すられて苗が傷つかないように、添え木に苗の上の方を紐で結んで固定する。これがナスの苗の植え付け作業だ。


 しばらくリュカの作業を見ていて、植え付けに時間がかかる理由が分かった。リュカは紐で苗を添え木に、固定するのが苦手なんだ。俺はカーチャンに教わったけど、添え木と苗を八の字で縛って男結びで固定する。これは慣れないと難しい。


 リュカが持っていた麻紐を借りると、目の前で結んで見せた。リュカは驚いた声を上げた後、指を一本立てた。もう一回やってくれって事かな?

 何度かやってみせるが中々上手くいかない。リュカの手が大きすぎるんだ。

「何本植えるつもりなんだ?」

 リュカの指差す方向には無数の苗があった。支柱の列は五十メーター以上あったから、一メーターに三本植えるとして、百五十本位以上植えなければならない。

「日が暮れて夜が明けちゃうぞ」

 仕方ない。少し手伝ってやろう。


 手伝おうとした俺をリュカは、そっと押し留めた。そしてもう一度結び方を見せてくれと身振りする。その後、十株くらい一緒に結んだら、何とか形になった。おぉっと思わず声を出すと、リュカはニッコリと笑った。

 晩御飯の時間が近づいてきた。植付けは、まだまだ終わらない。

「晩御飯だから、そろそろ帰るぞ」

 そういうと、リュカは麦わら帽子を返そうとした。俺は首を振る。

「貸してやる。まだ暑いから被っとけ」

 驚いたような顔をしたリュカ。俺が藪漕ぎをして河原に戻るまで、大男は手を振っていた。


 翌日。


 ジーサンが俺の麦わら帽子を持って、家にやってきた。見るとリュカに貸した麦わら帽子一杯に、アスパラガスや小松菜などの野菜が入っていた。アラすいません。と、ジーサンを警戒しているカーチャンは野菜を受け取ると、台所へ引っ込んでしまった。

「リュカが礼を言っていたよ」

 ジーサンは縁側に座って、理由を説明してくれた。


 リュカはアフリカから、日本の農業を勉強しにやって来た。リュカの国では紛争や飢餓で幼い子どもなど、力のない人間から死んでしまうこと。せっかく畑を作っても、収穫までそこに居続ける事が難しいこと。アメリカなどから農業指導に来て貰っても、高価な機械や種、肥料、農薬などを買わなければ作物として収穫できず、お金を払い続けなければ永続的な農業を行う事ができないこと。


「それでリュカは、日本の伝統的な農業を学んでいる。現代的では無いが、その土地にあるものだけで作物を永続的に栽培する事ができる。昨日ケンタに教わった麻紐を使う誘引だって、今は農業用テープを使って、1秒で固定する事ができる。でもそれをリュカは使わない」

「……どうしてだ?」

「テープが無くなったら、どこにも代わりが無いからだ。それならどこにでもある麻紐を使った方が、その土地で続けて農業をすることができる」

 ああ、それからとジーサンは続けた。

「ケンタが手伝ってくれるのを断ったことを謝っていた。全ての作業を自分で出来るようにならなければならないから、申し訳ないことをしたと言っていた」

「そんな事、気にしなくていいのに」


 台所にいるカーチャンに出かけてくると声をかけて、ジーサンの手を引いた。

「おいおい。どこに行くんだ?」

「リュカに教えてやらなくちゃいけないけど、言葉が通じない。ジーサンも来てくれ」

「ケンタが彼に、何を教えるというのだ?」

「二つある。一人で水も飲まずに、あんな所で作業していたらぶっ倒れちまうことと」

「もう一つは?」

「何でも一人でなんて出来ないってことだ。リュカは力持ちなんだから、そういう仕事をすれば良い。細かい手作業は、俺みたいな子供にだって出来る」


 ジーサンは驚いたような真ん丸な目で、俺を見つめた。それから俺の頭に手を置き、クシャクシャと髪を掻き混ぜた。

「ケンタの言う通りだ。リュカに教えてやろう」

 俺たちはリュカが作業している畑に歩き出した。


 畑に着くと、今日は頭にタオルを巻いたリュカが、昨日と同じ場所でナスの苗を植えていた。野菜をありがとうとジーサンに訳して貰う。リュカはニコリと微笑んだ。それからさっきの二つの事を、リュカに話した。

 ジーサンの話を聞いて、びっくりしたような顔をしたリュカは、俺の前にかがみ込むと何かを一生懸命話した。

「ケンタが教えてくれたことは、絶対に忘れない。日本の小さな友達。と言っている」

 ジーサンが言った時、茅葺屋根の農家からリュカを呼ぶ声がした。


「3時の休憩だぞぉ!」

 リュカに手を引かれて、茅葺屋根の軒下に行った。そこには日本人もいるけど、いろんな国のアンチャンやネーチャンがいた。縁側に良く冷えた麦茶と糠漬けや簡単な食べ物が並んでいる。ジーサンを見たアンチャンたちが、先生、先生と言ってまとわりついてきた。

「ジーサンは先生なのか?」

「そんなに大したものでは無い。ただ、彼らを此処の篤農家に紹介しただけだ。ケンタも食べられるものをご馳走になるといい」


 俺が沢庵を齧っていると、ジーサンはアンチャン達に囲まれて話し込み始めた。差し出された手書きのノートには、植物の絵と日本語ではない言葉がギッシリと書かれている。ジーサンはそれを見て、あーでもないこーでもないと話していた。

 それを聞いてみんなは、またメモを取る。何か皆、真剣だ。


 そのうちギターを抱えたリュカが戻ってきた。それを見たアンチャン達が母屋にある、いろんな楽器を持って集まる。リュカは話す。

「日本の小さな友人に、私の国の歌を聴いて貰いたい。と言っている」

 リュカは小さな音で調弦した後、ギターを弾き始めた。スキップが出来そうな軽快なテンポで、もの悲しい旋律だった。それに合わせて周りのアンチャン達も手拍子を打ったり、楽器を鳴らす。

 ネーチャンたちは両手を上げて踊り始めた。リュカは地面を揺らすような低い声で歌い始める。寂しいような悲しいような歌声は、やがて何かを訴えるような力強い歌声に変わった。


「これはロマの音楽だ。ジプシーという非定住民族とかかわりが深い」

 ジーサンは教えてくれるが、俺にはロマもジプシーも分からない。でも何故か、リュカから目を離せなくなった。

 短いような長いような時間が過ぎ、曲が終わった。皆は拍手をして楽器を片付け始める。これからまた農作業なのだろう。しばらくボンヤリしていると、ギターを片付けたリュカがやって来た。

 俺を見て、ニカリと笑う。また良く分からない言葉で話し始めた。

「今日は来てくれてありがとう。と言っている」

「リュカは歌を歌えて、楽器もできて凄いな」

 リュカはニコリとして返事をした。ジーサンが訳してくれる。

「大したことはない。ケンタにもできるとさ」

「そんなに色々できるなら……」

 俺はジーサンに耳打ちした。


 ブハッ!


 ジーサンは噴き出す。余計な事なら訳さなくていいぞと俺が言うと、真面目な顔でリュカの肩を叩く。そして周りの人にもわかるように、幾つかの言葉で俺の言葉を伝えた。

「そんなに色々な事ができるなら、早く日本語を覚えろと、小さな友人は言っている」

 それを聞いた皆は、ゲラゲラ笑い始める。リュカは一寸困った顔をして、肩を竦めた。それから俺の前で、ピエロのような気取ったお辞儀をする。それを見て、また皆が大笑いした。



 その日の晩御飯の時に、リュカの話をした。麻紐の話、ロマのジプシーの話。全部上手く話せたかな?

 トーチャンはウンウン言いながら、俺の話を聞いていた。カーチャンは俺の話を聞き終わった後、台所からアスパラやいろんな野菜の入ったサラダを持ってきた。

「これが今日貰った野菜だ」

 皆で一斉に箸を出した。凄くうまい。エグく無いし、いい匂いがする。

「あそこの農家で作った野菜なら、美味しいはずだよ。全部買い手が決まっていて、普通では手に入らない品物だから」

 トーチャンはニコニコしている。カーチャンは何だか納得できないように、唇を尖らしていた。

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