大人になるということは、人を評価することをおぼえることになります。
そして、その評価の基準は、もともとはその人に対する直接的な評価であったものが、過去の言動、それに対する一般的な評価も加味されるだけなら良いのですが、それに風説や噂、憶測などの正確性に欠けるものが加わり、更に事実とは関係のない印象や相性などのファジーなものが加わります。
困ったことに、大人になるほど、そういうことが、社会的な協調性や連帯において、より重要に扱われます。結果、段々、事実と違うことが独り歩きします。
子供はそんなことは関係ないですから、より純粋に目の前の現実に向き合います。時々、子供の目が怖いと思うのは、その純粋な視点に気付かされるからでしょうね。
作者からの返信
清十郎さん、コメントありがとうございます。
そうですねぇ。酔っ払っていると子供の目が痛いです。
自分を馬鹿だと切り捨てるケンタを叱るじーさん……
有り難いって気付く頃にはそういう存在って居ないんだよなぁと。
「怒る」ではなくて、「叱る」をしてくれる先達に感謝を捧げられる人に
なりたいといつも思ってます。
昨年そんな人に出会って叱って貰うことが出来ましたが、素直に受け止める
ことは出来ても、素直に感謝を表せない程度にはひねているので、
耳が痛いし、身につまされるばかりです。
だからエライ人にはなれないんだよなぁ……
作者からの返信
@fts01さん、コメントありがとうございます。
本当にジーサンみたいな人がいたら、良い飲み友達になれますかね?
ひどく悪酔いしてしまうかもしれませんが。
雑草についての物語、とってもいいですね。
そして、じーさん、いったい、どういう関係なんでしょうか。なんだか、養老孟司さんをイメージしてしまいました。
作者からの返信
雨 杜和orアメたぬきさん、コメントありがとうございます。
養老孟司さんって、偉い人ですよねぇ。始めのイメージは酔拳の師匠だったんです。胡散臭いですよねぇ。
>小学生の宿題なんだから、そんなに本格的でなくてもいいんじゃないのか?
ケンタくん、まるで中学も高校も経験したことのあるような言い方ですね。達観しているというか、ませているというか……。家庭環境がそうさせたのでしょうか。
作者からの返信
彩霞さん、コメントありがとうございます。
そうですねぇ。自分に興味があること以外は、とことん淡白な奴だと思ってください。遥か悠久の昔、私が小学生の頃、自分で考える凄い子がいました。
ちょうどその子がこんな感じでした。