Day 8 さらさら
むかし住んでいた家は、古かったせいか色々と奇妙なことが起こった。
たとえば深夜寝ていると、さらさらという音で目が覚めるときがある。そんなとき襖を開けると、廊下が小川になっているのだ。幅一メートルほどの廊下を流れる冷たい水をすくってみると、実際に両手が濡れてぽたぽたと水滴が垂れた。
翌朝になると廊下は元通り、水どころか湿気も残っていないので、あれは夜にだけ現れるものなのだろうなと思っていた。これといって害はないが、たまにトイレに行けなくなるのだけは困った。
なにか障りがあると厭なのでなるべく無視していたのだが、その日は恋人と別れてセンチメンタルな気持ちになっていた。深夜、眠れずに悶々としていると部屋の外でさらさらと水音が聞こえ始め、例の小川が流れ始めたことを知る。襖を開けてみると案の定川はそこにあった。
透明な水面が、豆電球のオレンジの光を反射しながら廊下の奥の暗がりに消えていくのを見ているうちに、ふと思いついて指輪を川に落とした。恋人とのペアリングで、内側に互いのイニシャルが彫られているものだった。
得体の知れない川に流れて永遠にどこかに行ってしまえばいいと思ったのに、指輪は翌朝手元に戻ってきた。玄関にあった靴の中に入っていたのだ。スニーカーはびっしょりと濡れていた。それから落とし物をしたり、人にぶつかったりするような小さなアクシデントが相次いだため、あの川にものを捨てるのはよくないことだったのだろうなと遅まきながら理解した。
今は別の街に引っ越してしまったが、まだあの家はあるのだろうか、誰かが住んでいるのだろうかと思うと懐かしく、どこか切ない。色んなことはあったが不思議と怖くはない、そういう家だった。
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