Day 2 金魚
会社からアパートに帰る途中に、草茫々の原っぱがある。いつからかそこに大きな金魚鉢がひとつ捨てられ、中に金魚がいっぴき泳いでいる。
金魚はかなり大きい。遠目から見ると尾びれのついたトマトが泳いでいるかのようだ。
金魚は常に会話に飢えている。暇なのだ。あぶくが弾けるような声で、
「ぱちっ、ぱちっ、空の青いこと、もう七月なのね」
などと言う。なにしろ金魚が小さな脳みそで話すことだから、がんばってこの程度の内容である。
最初は物珍しさからおしゃべりに付き合っていたけれど、内容があまりに薄いので飽きてしまった。でも金魚は私の顔を覚えていて、私が原っぱの前を通るたびに、ぱちっぱちっと鳴いて呼ぶ。可哀想なので無視もし難い。
「この子とおしゃべりなさいよ」
ある日、私は金魚にラジオを買ってやった。防水で電池が長持ちするやつだ。適当なチャンネルに合わせておいたら、金魚はとても喜んだ。
それから日がな一日、金魚はラジオに話しかけ、ラジオに相槌をうち、放送時間内は延々とおしゃべりをして過ごすようになった。
ところが誰かがそのラジオを盗んでいってしまったらしい。金魚の悲しみといったら並大抵ではない。
「あの子、あたしがいないもんだからきっと泣いてるわ」
金魚はそう言って自分が泣いた。涙などは流さないが、確かに泣いていた。
「泣かないで。別のラジオを買ってきてあげるわ」
「別の! 別のですって!? あなたはある日突然、おともだちが別の人に変わってしまっても平気なの?」
金魚はそう言って、またおいおいと泣いた。
しかしラジオに個体差などあるまい。私は家電売り場で前のものとそっくり同じラジオを買って、金魚のところに持っていった。
「はい、取り返してきたわ」
「まぁ、まぁ、まぁ、嬉しい。おかえりなさい」
金魚はまた嬉々としてラジオと話し始めた。やはりラジオの個体差など判別できないのだ。わたしはほっとして微笑んだ。
ああでも、と思った。もしも前のラジオが戻ってきたらどうしよう。ラジオが悲しむことなどあるまいと思っても、脳裏に浮かぶのは、金魚というともだちを失って泣くラジオの姿なのだった。
七月の末に烏に獲られてしまうまで、金魚はずっと新しいラジオとおしゃべりを続けていた。
金魚をとられたラジオが泣くことは、もちろんなかった。
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