35.深入りなんてしたくねえよ
「陽向様!」
土足で部屋にあがり込んだ鹿島葵が、陽向の名前を呼んでいる。
だが、大して広い部屋でもないし、本当に陽向がいないことはすぐにわかるだろう。
制服を含めて、彼女がいた痕跡は多分にあるが。
「……ったくよお」
鹿島葵を追ってリビング兼打ち合わせスペースに足を運ぶ。
すると彼女は床に両膝をついてうなだれていた。
陽向がいないことがわかったんだろう。
「うぅ……陽向様を連れて帰らないと、お給料がもらえないのに」
ブラック企業も真っ青の仕打ちだった。
むちゃくちゃ厳しい現実だな。
「ご覧のとおりですよ。世羅陽向は確かにここにいたが、いまはもういない。だからもう帰ってくれ」
俺は鹿島葵の背中にそう言った。
陽向が氷室のところにいることを伝える気にはなれなかった。
遅かれ早かれ、あいつは家に戻される。
だが、それを早めてやろうとは、どうしても思えなかった。
無責任だとは思うが、それでも彼女が自由を満喫できる時間は少しでも長いほうがいい。
「桜井恭平」
うなだれていた鹿島葵が、亡霊みたいな声をもらしてゆらりと立ちあがった。
そのまま首だけをこちらに向ける。
はっきり言って怖い。
「陽向様がどこにいったか、知っているな?」
「知るわきゃないだろうが」
「私を、陽向様と同じような中途半端な吸血鬼だと思うなよ?」
鹿島葵の瞳が、赤く輝いている。
怪しく、美しい、宝石のような色。
吸血鬼が力を使う際の輝き。
俺がウソを言っていることを、感覚的に察したのか?
まずい。
もし魅了の魔眼の類なら、口を割っちまう。
「口を割らせるなんてことは必要ないんだよ、桜井」
鹿島葵の赤い瞳から、視線を外せない。
身体も動かない。
完全にはまってる。
「私の感応の魔眼は、思考の断片情報を読み取れるからな」
鹿島葵が、ゆっくりと俺に近づいてくる。
彼女の赤い瞳が、俺の目を覗き込む。
頭のなかを、心のなかを、覗き込まれているような錯覚を覚える。
あるいは、本当にそうなのか。
「本来は、精神をぐちゃぐちゃにして廃人にすることもできる。が、そんなことはしない。生憎と私には、そういう趣味はないのでな」
そいつはありがたいね。
少なくとも、死亡によるバッドエンドのルートにはならないですみそうだ。
視界の片隅にいる実相寺が、なにが起きたのかわからずにこちらを見ている。
そりゃそうだ。
いきなり訪ねてきた自称・吸血鬼の女が、俺を謎の力で拘束してるんだからな。
だが、そこは実相寺だった。
鹿島葵がヤバいやつだと判断して、即座に通報しようとしている。
だが、スマホを取り出したまま、実相寺はぴたりと動きをとめた。
「警察はやめてもらいたい。東京では世羅の影響力が関西ほどは効かないので面倒だ」
「えっ、ちょっ……!? 身体が動かないんすけど!」
「力が劣化した現代の吸血鬼であっても、念動力くらいはお手のものだ。テレキネシスと言ったほうがわかり易いか?」
その言葉は俺に言っているようだった。
彼女が言ったとおり、吸血鬼としては陽向よりも遥かに優秀なのは間違いなさそうだった。
それは裏を返せば、陽向がどれだけいやがろうと、力づくで連れ戻すこともできるということだ。
「そのとおりだ、桜井。私はできればそんなことはしたくないがな。陽向様の態度次第では、そうすることになる」
こいつ、本当に思考が読めるのか。
俺はぞっとした。
陽向の力を目の当たりにしたときよりも、本能的な恐怖を感じる。
それは決定的に自分たち人間とは違う力をもった者に対する、ある種の畏怖だ。
吸血鬼に対して、人間が抱く正しい感情。
彼女の赤い瞳が、俺の頭と心のなかを覗き込んでくる。
まるで剥き出しの神経を直接触られるような。
込みあげてくる不快感に、吐き気がした。
「陽向様はどこだ?」
端的な質問。
声が出せないから、なにも答えられない。
だが、俺は反射的に答えを思い浮かべてしまう。
氷室星夏のところにいる。
それを言うつもりはない。
言うつもりはない、ということを思い浮かべてしまう。
まったく、鹿島葵の言うとおりだった。
口を割らせる必要はない。
質問の答えを知っていれば、どれだけ強靭な意志をもった者だろうと、人間は胸中では答えを連想してしまう。
「氷室星夏? 何者だ?」
クリエイティブ・ブティック〈ランドマークス〉のアートディレクター。
俺の元カノ。
質問に対する断片的な答えを、反射的に連想してしまう。
「場所は?」
氷室の自宅の住所なんて知らねえよ。
「なるほど。まあいい。名前と勤務先がわかっていれば、すぐに割り出せる」
さらりと怖いことを言うんじゃねえよ。
思わず反応してしまう。
鹿島葵から言葉は返ってこなかったが、この思考も読み取られているのだろうか。
と、俺のなかに別のなにかが流れ込んでくるのがわかった。
ノイズ混じりで、まるで電波が悪いラジオを聞いているようだった。
――GHQの魔術師狩りで没落し――
――影響力が低下したとはいえ――
――世羅と筆頭分家の鹿島を侮るなよ――
これは鹿島葵の思考か?
感応ってのはこういうことか。
お互いに影響し合っている。
――まずは陽向様のご無事を確かめねば――
俺のなかに断片的に流れ込んでくる彼女の思考からは、硬質な態度とは打って変わって、陽向のことを心配している感情が読み取れた。
彼女に対する不安、怒り、同情、さまざまな感情が複雑に絡み合っている。
だが、根底にあるのは世羅陽向に対する敬愛の念であることがわかる。
と、
「!」
鹿島葵がぎょっとして、視線を俺から切った。
突然、身体が軽くなり、俺はたたらを踏んで床に尻餅をついた。
「これだからいやなんだ。いま、私の思考が逆流したな?」
「……まあな」
俺は吐き気を堪えて、のろのろと立ちあがった。
感応の魔眼ってのは、正確には二人の思考と感情を無理やりに共有して、その断片を読み取る能力ってわけだ。
「あんたも本心では、陽向の味方になってやりたいと思ってそうだけどな」
「……」
俺が断片的に感じ取った鹿島葵の感情は決して冷徹なものではなく、温かいものだった。陽向を世羅家の道具としか思っていないなら、そんなことはないはずだ。
「言ったはずだ」
鹿島葵の目の色は、もとに戻っていた。
「御当主の言葉は、すべてに優先するんだ」
そう言った表情は、少し自嘲しているようにも見えた。
彼女が指を鳴らすと、実相寺が小さな悲鳴をもらしてその場に座り込んだ。
念動力による拘束を解いたんだろう。
「桜井、あなたが陽向様を憎からず思っていることはわかるが、これ以上は深入りするな」
「深入りなんてしたくねえよ」
それは俺の本心ではあった。
陽向との奇妙な共同生活がずっと続くわけはなかったし、一般論で言えば家に帰るべきだと思う。
なぜか保護している氷室のやつが警察に連れていって、それで迎えにきた鹿島葵に連れて帰られる。
俺の知らないところで、そうなってくれていればまだよかった。
まだ、よかったんだ。
「それが賢明な判断というものだ」
「そうかい」
俺は自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
ひどい自嘲か。
苦々しく笑っているのか。
「忠告はしたぞ、桜井」
鹿島葵は俺を一瞥すると、取り出したスマホでどこかに連絡をしながら部屋を出ていった。
結局、ずっと土足のままだった。
一分か、あるいはもっとか。
部屋には沈黙が流れていたが、どうにか平静さを取り戻した実相寺が言ってくる。
「せ……先輩。なんなんすか、あれ。意味がわからないし、えっと、これ、警察呼んだほうがいいっすよね?」
「自分で言ってだろ? あの女は現代の吸血鬼だよ。お前も念動力とやらで、身動きとれなくなってただろうが」
「は? いや、だからって。先輩、頭大丈夫ですか?」
「哀れみの目で見るなよ」
俺はこめかみのあたりを押さえて、深々と嘆息した。
「まあちょっと、落ち着いたら説明してやるよ。俺の身に起こってる、ウソみたいな話をな。信じるか信じないかは、お前次第だ」
「なんなんすか、もう。都市伝説のテレビじゃないんすから」
もっともな反応だ。
俺は実相寺の言葉には答えずに、まったく違うことを独りごちた。
「忠告か。忠告ねえ」
世羅家とその筆頭分家とやらの鹿島には、どれほどの力があるんだろうか。
仮に俺を殺したとして、誰にも知られることなく死体を処分して、警察に圧力をかけて捜査をさせないくらいのことは朝飯前なのだろうか。
この現代日本で?
バカバカしいぜ。
そんな力があるなら、もっと簡単に陽向を連れ戻せそうなもんだ。
「実相寺」
「はい?」
「お前、ここまでなにできた?」
「なにって、バイクできましたけど。あたしの可愛いブイストロームちゃん」
「よし。ちょっと貸してくれ」
「なんでっすか。ってか、先輩、バイクの免許もってたんすね」
「ああ。クルマと一緒に取ったはいいけど、全然乗ってないけどな」
「絶対に貸したくないっす」
「頼む。急ぎなんだよ」
俺は両手を合わせると、神様よろしく彼女を拝んだ。
そう。
知らないところで陽向が実家に連れ戻されたのなら。
仕方がなかった、これでよかったんだ、と俺は自分を強引にでも納得させることができたかもしれない。
だが、そうではなくなってしまった。
だったら俺は、陽向に言ってやらないといけないことがある。
彼女を助けるなんてことはできないが、それでも味方でいてやることはできる。
「んー、それじゃあ、先輩。バイク貸す代わりに、今度、あたしとデートしてくださいよ」
「は?」
「だから。デートっすよ、デート。お持ち帰り推奨ですけど?」
実相寺は口を「ω」にしていた。
あんなことがあったってのに、すでにいつもの調子だった。
こいつのメンタルは、ミスリルかなんかでできてるのか?
「わかったわかった。デートしてやる。赤羽の立ち飲み屋でいいんだろ?」
「いいわけないっす! 伏線無回収しましたみたいな顔するなし!」
「じゃあちょっと考えとけ。言っておくが金はない」
「はー、もう。マジで先輩、あたしにもうちょっと優しくしてもバチは当たらないっす」
実相寺は抗議の声をあげながらも、バイクのキーを渡してきた。
「助かる。この借りはいずれ精神的に」
「いや、デートで返せっす」
俺はスマホで氷室の番号を呼び出した。
住所がわかれば、鹿島葵より先にたどり着けるはずだ。
「先輩。ブイストロームちゃん、あたしだと思って丁寧に扱ってくださいよ。自分が気持ちいいだけの強引な感じとか絶対ダメっすよ」
部屋を飛び出す俺に、実相寺がそんなことを言ってくる。
「うるせえ!」
俺はそれだけを言って、階段を駆け下りた。
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