34.御当主のお言葉は、すべてに優先する

 鹿島葵という名前に、俺はすぐにピンときた。

 陽向の話に出てくる、面白エピソードの人。

 葵さんは実在していたのか!

「はあ」

 突然の来客に、実相寺が間の抜けた声をもらした。

 それは俺も同じで、ただ目の前に現れた女を見ていた。

「桜井恭平だな」

 硬質な声で、彼女は言った。

 肩口で切り揃えたボブカット、鋭い眼光、黒いパンツスーツ。

 隙のない雰囲気は、侍従というよりは大統領なんかを警護するSPのように見えた。

「どのような用件か、すでにわかっていると思うが」

 俺はじっとりしたいやな汗をかいていることを自覚した。

 鹿島葵の言葉遣いは威圧的で、そこには有無を言わさないものがある。

 陽向の話から受ける印象とはまったく違い、親しみ易さみたいなものは微塵もなかった。

「先輩」

 実相寺もそれを感じたのか、ゆっくりとこちらに振り返った。

「マジで制服着せるデリ嬢呼んでたんすか? さすがにドン引きっす」

「そんなわけねえだろ!」

 俺は反射的に叫んだ。

 伏線回収しました、みたいな顔してるんじゃない。

 斜め上の解釈しやがって。

「じゃあ誰なんすか、この女の人は?」

「誰って――」

「仕事以外で女子と会話することがない寂しい人生送ってる先輩と、どういう関係があるっていうんすか」

「流れるように悪口言ってんじゃねえぞ、実相寺、こらあ!」

「痛い痛い痛い、か弱い女子に暴力反対っす」

 俺は実相寺の顔面を鷲掴みにした。

 アイアンクローでぎりぎりと締めつける。

「お前はちょっと黙ってろ」

「痛い痛い痛い――あっ、なんか未知の快感に目覚めるかも」

「うるせえ!」

 俺は実相寺を捨て置いて、鹿島葵に視線を戻した。

 彼女の言うとおり、用件なんてものはひとつしかない。

 世羅陽向を連れ戻しにきたのだ。

 母親の方針に反発して家出をしたお嬢様の行方を、ようやく突きとめたというわけだ。

 遅かれ早かれこうなることは、陽向もわかってはいただろう。

 素直に連れ戻されるつもりはないだろうけどな。

「鹿島――葵さん」

 俺は慎重にその名前を呼んだ。

 デリ嬢呼ばわりされたにも関わらず、彼女は表情ひとつ変えることなく――

「うっ、そうか。あなたも寂しい人生だな。私もそうだ。仕事以外で男と話す機会もないし、寄ってきてもろくな男はいないし」

 まったく別のところが響いていた。

 目頭を押さえ、めそめそと独りごちている。

 あ、やっぱり陽向の話に出てくる葵さんと同一人物だな。

 間違いない。

「……」

 俺の視線に気づいた鹿島葵は、はっとした表情になり、わざとらしく咳払いした。

「んんっ!」

 なにごともなかったかのように、きりりとした表情に戻る。

 いや、それでさっきまでのことはリセットされないからな。

「陽向様はここにいるな?」

「彼女を家に連れ戻すつもりですか」

「あなたには関係のないことだ」

 硬質な声で、ぴしゃりと言ってくる。

 むちゃくちゃ怖い。

 そのとおり。

 関係はないし、家出してきたJKが連れ戻されるのは当然のことだ。

 それが一番、まともな解決方法だ。

 だが。

「あんたはそれでいいんですか」

 俺は思わずそう口にしていた。

 陽向の話が本当だとするなら、彼女は世羅家の道具だろう。

 没落しつつある家の影響力を魔術師ギルドのなかで維持するために結婚をさせられるなんてのは、まったくもってラノベやマンガだけにしておいてもらいたい。

 ましてやいまは、大正や戦前の昭和ではなく、平成もとっくに終わって令和なんだぞ。

「私は世羅の御当主から、陽向様を連れ戻すように命令を受けているのでな」

「あんたは彼女の侍従でしょうが。あいつがいやがってることはわかってるはずだ」

「御当主のお言葉は、すべてに優先する」

 とりつく島もない。

 大魔王の部下みたいなことを言いやがって。

 謎のボンテージを着た悪の女幹部かよ。

「いま、ものすごく失礼なことを想像したな?」

「……エスパーかなんかですか」

 俺は似たようなやり取りを陽向としたような気がした。

「いや、私は吸血鬼だ」

 やっぱりかよ!

 現代の吸血鬼は、本当にもう、吸血鬼らしくしろ。

「え、先輩、この人なに言ってるんすか? そういうプレイ? サキュバス的な?」

「うるせえ、ちょっと黙ってろ」

「ひどー。あたしの扱い雑すぎません!?」

 実相寺が戸惑うことも無理ないが、いまはイチから説明してやる時間もない。

 説明したところでそもそも信じるかって話ではあるんだが。

 鹿島葵は腕を組むと、小さく嘆息して俺を睨んだ。

「その様子だと、陽向様が何者であるのか、おおよそのことは知っているようだな」

「まあな。あんたの面白エピソードもいくつか聞きましたよ」

「は? え? まさか……結婚を約束した相手が詐欺師だったうえに、カツラを使っていて二重に詐欺師だったというエピソードを……!?」

「いや、それは知らん」

「うわあああ……!」

 鹿島葵は目をバッテンにして、頭を抱えてうずくまった。

 なんとなくそんな気はしていたのだが、この人、幸が薄いなあ。

「先輩、えーと、慰めたほうがいいっすかね……?」

「やめとけ」

 慰められたところで虚しくなるだけだ。

 俺はうずくまっている鹿島葵の頭頂部を見る。

「せっかくきてもらって悪いが、陽向はもうここにはいませんよ」

 その言葉に、彼女は顔をあげた。

「バカな」

 のろのろと立ちあがると、またわざとらしく咳払いをしてきりりとした顔になる。

 恐ろしく切り替えが早い女だ。

 むしろこの手慣れた感じが、無理している感もある。 

 なんかいろいろと仕事でストレスを抱えてそうだ。

「陽向様が家出してから数日、ようやく行方を掴んだというのに!」

「いないもんは仕方ないでしょうが」

「なかを改めさせてもらう」

 俺を強引に押し除けると、鹿島葵が事務所にあがり込んでくる。

「おい、土足!」

 せめて靴を脱げ、と俺は思った。

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