30.私のサービスショットを送ったわ

 財布を奪われたときは必死になって陽向を追いかけたが、今回はそんな気にはなれなかった。

 首尾よく追いついたとして、俺は彼女になんて声をかければいい?

 荷物をまとめて出ていくように説得して、一緒に警察にでもいくのか?

 絶対に戻りたくないと言っていた実家に連行されていくのを、黙って見送ってやるのか?

 そんな後味が悪い結末なら、この数日間が幻だったかのように曖昧なままなくなってしまうほうが少しは気が楽ってものだ。

「情けない話だけどな」

 思わずもれた自分の声には、明らかに自嘲が含まれていた。

 俺自身が蒔いた種でもあるし、後味が悪かろうが、きっちり落とし前をつけるのが立派な大人ってものだろう。

 だがまあ、世の中ってのは立派な大人ばかりじゃないからな。

 俺は重い足取り――気分の問題でもあったし、物理的に腹をぶん殴られたせいでもある――で、自宅兼事務所に戻ってきていた。

 もしかしたら、陽向が何食わぬ顔でいるのではないかと思ったりもしたが、そんなことはなかった。

「まったく、冗談じゃねえぞ」

 一人でいたころとは比べ物にならないくらい整理整頓されて掃除がいき届いている室内は、いっそがらんとして寂しく思えた。

 俺はそんなことを感じた自分に、笑うしかなかった。

 バカみたいな話だが、JK吸血鬼のおかけで俺の生活が変わったのは確かだった。

 俺の人生はいつの間にか、日々の食い扶持を稼ぐために奔走し、仕事関係の人間以外と関わることがなくなっていた。

 純粋に友人と言えるようなやつの顔と名前を、俺はすぐに思い浮かべることができない。

 そんななかで突然に出会った世羅陽向という存在のせいで、俺はとっくの昔に忘れていたことを思い出した。

 それは本当に単純なことで。

 毎日、誰かとくだらない話をすることが。

 案外と楽しいってことだ。

 もっとも――ホテルであったことを思えば、あいつとはもうそんな関係には戻れないだろうけどな。

 俺は小さく嘆息して、がりがりと頭を掻いた。

「それにしたって、どうするんだよ、これ」

 事務所の打ち合わせスペースでもあるリビングには、ハンガーに吊るされている学校の制服が残されていた。

 すさまじくいかがわしいものに思えてくる。

 とんでもないものを置いていきやがって。

 俺はスマホの着信を確認した。

 陽向からは特に連絡はなかった。

 せめて制服をもって帰ってくれ。

 俺が制服を前にして途方に暮れていると、手にしたままだったスマホが震えた。

 画面にはメッセージが届いていることを知らせるポップアップが表示されている。

 氷室からだった。

 いろいろありすぎて、俺はこっちのフォローをまったくしていなかった。

 慌ててメッセージを確認する。


『恭平君のところのJK吸血鬼を保護したから』


 意味のわからない展開に、

「なんでだよ!」

 俺は思わず声に出してツッコミを入れた。

 なにかを返信するよりも先に、次々とメッセージが送られてくる。


『だいたいのことは彼女から聞いたけれど』

『吸血鬼本なんて、変な欲を出したギャンブルはやめなさい』

『それ以前に、彼女はJKなのだから一緒にいるとか不健全』

『本当に手を出していないみたいだから、そこは君の根は真面目なところが出ていると思うけれど』

『さすがにこのまま帰すわけにはいかないから、落ち着いたら警察に保護してもらうわ』


 フリック入力が早えな!

 全然追いつかない。

 どういう経緯で氷室が陽向を保護しているのかは知らないが、どうやら本当に大体のことは知っているようだった。

 陽向が吸血鬼だなんてバカみたいな話を本当に信じたのかと思うが、氷室も魅了の魔眼で操られたからな。一概に否定もできないんだろう。

 俺はなにか返信しようとして、

「……」

 なにを言えばいいのか思いつかなかった。

 このまま氷室に任せておけば、世羅陽向は警察に保護されて、実家に連絡がいくことになる。

 そうしたら迎えがやってきて、世は全てこともなしだ。

 だが。

 それが彼女の本意ではないことを、俺は知っている。

 よろしく頼む、なんてことを返す気にはなれなかった。

 かといって、俺がなにかをしてやれるわけじゃない。

 陽向を実家に帰さずに連れ出して、あいつの父親を探すために二人して世界中を冒険してみるか?

 それでもって、追っ手の吸血鬼や、謎の宗教勢力や、ナチスの残党と戦ったりするってのか?

 そりゃあ大層な本が出せそうだ。

「へっ」

 自分自身の妄想に、俺は笑うしかなかった。

 俺の人生はそういう現代伝奇異能バトルとは無縁だし、そんなことの当事者になるのはこっちから願い下げだ。ああいうのは、フィクションで楽しむからいいんだよ。

 俺は特別な血筋の選ばれし者でも、異世界転生から戻ってきた勇者でもない、アラサーの底辺フリーライターでしかなかったし。

 陽向は家出してきた女子高生――本物の吸血鬼だが――だ。

 そういう二人が一緒に暮らすなんて選択肢はなかったし、冒険活劇なんてものが始まることだってない。

 なにせここは、令和の日本の東京だぞ?

 俺がなにも返信しないでいると、氷室からさらにメッセージが送られてきた。

 コンビニの前で煙草を咥えている自撮りが添付されている。


『煙草美味しい』


 ――なんだそれは。


 思わず返信した。


『恭平君が変にいろいろ考えて悩んでいそうだから』

『私のサービスショットを送ったわ』

『煙草美味しい』


 ――サービスショットの認識がちょっとよくわからん。


『禁煙している人に送る、煙草が美味しそうな写真』


 ――地獄からの使者かよ。

 ――なんで禁煙のこと知ってるんだよ。


『会ったときに、煙草の匂いがしなかったもの』

『愛ゆえに、少しの変化でもすぐ気づくの』

『愛ゆえに』


 俺はスマホをソファに投げつけた。

 いや、怖えよ!

 とんでもない湿度と重力を、たまに見せてくるのをやめろ!

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