26.わたし、我慢できなくて
巨大な鯉をリリースした陽向は、どことなくぎこちない動きで近づいてきた。
ここ数日、なんとなく様子がおかしい。
「ふーん、ほー、へー、なるほどー」
品定めをする鑑定士のような視線を投げかけて、氷室の周囲をぐるぐると回る。
困惑する氷室をよそに、陽向は腰に両手を当てて嘆息した。
「イマジナリー元カノではなく、本当に実在したんですね」
いい仕事してますねえ、とは言わなかった。
疑いすぎだろ。
インタビュー記事まで見せただろうが。
「おい、ちょっとこい」
俺は陽向の手を掴むと、強引に引っ張って氷室から離れた。
「無理に引っ張らないでください。暴力反対なので」
「大の男をぶっ飛ばせる吸血鬼が言うセリフかよ」
俺は手を離すと、声をひそめた。
「お前、尾行してきたな?」
「いやいや、そんな、いやいや」
陽向はぶんぶんと首を振ると、わざとらしく言った。
「たまたま、猛烈に鯉が釣りたいと思ったんです」
「ウソをつくな!」
「ホントですー。吸血鬼はたまに猛烈に鯉を釣りたくなるんで――って、痛い痛い痛い」
俺は無言で陽向の顔を鷲掴みにした。
ぎりぎりぎりぎり。
「さ、桜井さんが心配だったので!」
「心配? なにが?」
俺は手を離した。
「もう。アイアンクローするのやめてもらえますか? そんな手段で吸血鬼と戦う人が、どこのマンガやアニメにいますか?」
陽向が投げかけてくる抗議の視線を、俺は無視した。
わけのわからない文句を言ってくるな。
元プロレスラーが主人公の、吸血鬼異能バトルとかだったらあるんじゃないか? プロレス技で吸血鬼と戦って、ドラゴン・スクリューで膝を破壊したり、コーナーから雪崩れ式フランケンシュタイナーを決めたりするんだ。
「……妙なことを考えてますね?」
「お前はエスパーかよ」
「いえ、吸血鬼です」
陽向が半眼になって睨んでくる。
とはいえ、本気になったらたとえ現役のプロレスラーであってもパンチ一発で仕留めることができるのが、こいつの恐ろしいところだ。
ほどほどにしておかないと、命にかかわる。
「まったく。いいですか、桜井さん」
気を取り直すようにして、陽向はせき払いした。
「何年間も連絡していなかった元カノと急にデートをするなんて、絶対に裏があるので」
自信満々で言ってくる。
「お金の無心か、宗教の勧誘か、ネズミ講なんです」
「お前、たまにむちゃくちゃ歪んだ価値観もってるな」
「もしくは謎の絵画を買わされるんです」
「私はそんなことしないけれど?」
いつの間にか、氷室が俺の隣に立っていた。
「恭平君、この子は誰?」
「き、恭平君……!」
なぜか陽向が驚愕した表情になった。
「ずいぶんと親しそうだけれど、妹なんていなかったわよね?」
氷室はそう言って、陽向の顔をしげしげと覗き込んだ。
まるで若手デザイナーのデザイン案を品評するような、独特の圧がある。
「んー。やっぱり全然似ていないし……それにあなた何歳なの? かなり若く見えるけれど」
「世羅陽向です。FJK」
俺だったらちびりそうな視線にまったく動じず、陽向はえっへんと胸を張った。
「え、ちょっ、わっか! 目眩するわ」
むしろ氷室がダメージを受けている。
FJK強い。
「で、どういう関係なのかしら?」
氷室は眉間に深い皺をつくって、陽向と俺を交互に見た。
どういう関係かと言われると、どう説明していいものか。
「まあ、話せばいろいろとあるんだが」
「いろいろとありますが、わたしと桜井さんは一緒に住んでいます」
「おい! いろいろを省きすぎだろ!」
「桜井さん、わたしは事実を言ったまでなので。一緒に住んでいます」
「なんで二回言う!?」
「大切なことなので二回言いました」
「は? 一緒に住んでいる? あなたと、恭平君が?」
「はい」
陽向はなぜか勝ち誇った顔でにっこりと笑った。
目の奥はちっとも笑っていない。
まるで不倫相手に正面から立ちはだかる正妻のようなオーラを出している。
「……恭平君」
氷室がぞっとするほど低い声で俺の名前を呼んだ。
いろいろと事情はあるが。
客観的に見れば、だ。
たまにニュースになっている、ネットで出会った家出少女を自宅に連れ込んで逮捕されている連中と変わりやしない。
俺は氷室から視線を逸らした。
きっとゴミクズを見るような目で俺を見ているに違いない。
いや、違うんだ。
聞いてくれ。
少なくとも手は出してない。
それだけはマジのマジだ。
そもそも世羅陽向は普通の人間じゃなくて、吸血鬼なんだ。
そんな言葉の奔流が口からもれかかるが、ぐっと堪える。
アホみたいな話だ。
もう少しまともな言い訳を考えろ、と俺なら思う。
氷室が俺の両肩を掴んだ。
「恭平君、大丈夫だから」
そして、予想外にそんなことを言ってくる。
「大丈夫って、なにが?」
「いますぐ警察にいきましょう」
ちょっとまて。
「君が刑務所から出てくるまで、私はいつまでもまっているから安心して。もうこうなったら、支えてあげることができるのは私しかいないと思う」
「まてまてまてまて」
なんだか重い。
氷室からもの凄い重力を感じる。
それから陽向へと向き直り、彼女は諭すようにして言った。
「それから――ええと、世羅さん? 子どものころは、なんだかろくでもない大人が格好よく見えてしまったりするものだけれど。それは気の迷いだし、親御さんのところに帰りなさい」
「ろくでもないは余計だ」
「んー? 客観的に見れば、恭平君は未成年に手を出したろくでもない大人じゃない」
「手は出してない!」
「一緒にいて、そんな男いる?」
いるんだよ。
というか、そんなことしたら俺のほうが簡単にぶっ飛ばされて命にかかわる。
だが、それを説明するには陽向が吸血鬼であることをわかってもらったうえで、なぜ俺の自宅兼事務所に居着いているのかを説明する必要がある。
はっきり言って、荒唐無稽にもほどがある話だ。
「えっと、いいですか」
俺がどうしたものかと考えを巡らせていると、陽向が割って入ってきた。
「桜井さんの言っていることは本当なので」
「世羅さん、恭平君をかばいたい気持ちもわかるけれど」
「いえ、本当なんです。桜井さんはわたしに手を出すことなんてできません。だって――」
「だって?」
「わたしは、吸血鬼なんですから」
陽向は笑った。
無邪気な笑顔ではない、どこか怪しい笑み。
その目が、赤く輝く。
吸血鬼の力を使うつもりか!
「陽向、よせ――」
俺の言葉は一歩も二歩も遅かったし、どの道、陽向には届かなかっただろう。
俺の肩を掴んでいた氷室が、ゆっくりと手を離す。
「今日は釣りを楽しんでくださいね、氷室星夏さん」
「そうね」
魅了の魔眼。
苦手だと言っていたのに、完全にはまってる。
本能的にいやがっていればすぐに解けるんじゃなかったのか?
「がんばって、ちょっと強めにかけたので」
俺が胸中でつぶやいた疑問に答えるように、陽向は言った。
「それに、わたしへの敵意がすごいから」
そういえば、自分に向けられる敵意をなんとなく感知できると言っていた気がする。
それはそれとして、どうして俺は、さっきから言葉が出てこない?
「ごめんなさい。桜井さんにも、かけちゃいました」
陽向は俺の手を取ると、歩き出した。
逆らうこともできずに、俺の足は彼女に従って動いた。
なんで俺にも?
「元カノさんとデートするって聞いてから、わたしはずっと考えていたことがあるんです」
なにを?
「それを見たら、わたしはどう思うんだろうって」
なにを言ってる?
「だから、確かめてみたんですけど」
それで尾行してきたのか。
「やっぱりダメでした」
手を引かれたまま、釣り堀を出る。
「元カノさんと楽しそうに話している桜井さんを見ていると、わたし、我慢できなくて。あなたの■■■■■■■■■です」
最後のほうは、声が小さくてよく聞こえなかった。
俺に言っているというより、ほとんど独り言のようなものだった。
釣り堀を出てからしがらく歩き、陽向は俺の手を離した。
こちらに向き直り、真っ直ぐ見つめてくる。
その瞳は相変わらず赤く輝いていて、まるで俺を射抜くかのようだった。
「なので、桜井さん」
陽向は言った。
「わたしとホテルいきましょ」
俺は――彼女の言葉に逆らえない。
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