24.桜井さんの血が吸いたいんだ

 すっかり自分の領地になったベッドに身体を投げ出して、世羅陽向は無機質な天井を見あげた。

「むー」

 なんだかこれはよくない、と思う。

 彼女の胸中では、言葉にならない感情がぐるぐるしていた。

 原因ははっきりしていて、桜井恭平のせいではあるのだが。

 彼が元カノとデートをしようが、陽向になにか言う権利がないことは、彼女自身もよくわかっている。

 そもそも二人は、お互いを利用し合っている関係だ。

 いろいろなことを天秤にかけて、打算したうえでこうなっている。

「それにしたって、ちょっと人がよすぎだなあ」

 自分のことを善良な男だと言った恭平の言葉を思い出し、陽向はくすりと笑った。

 口は悪いし、世の中を斜に構えて見ているし、吸血鬼である陽向をネタに一山当てようとしているのだから、善良なわけはないのだが。

 それでも彼は、本質的なところでは悪人ではない。

 むしろ利他的であるとすら思う。

 なにせいまのところ、陽向が享受しているメリットのほうが遥かに大きいのだ。

 現代の吸血鬼――少なくとも世羅陽向は――が、普通の人間とあまり変わらないことくらい、彼はもうわかっているはずだ。

 世羅の血統には古の錬金魔術師が生み出した人外たる吸血鬼の力はほとんど残っていないし、陽向は特にそうだ。それが彼女自身の才能によるものなのか、薄くなり続けてきた血統の限界なのかはわからないが。

 なんにせよ。

 ネタにならないなら、追い出されても文句は言えない。

 だが、桜井恭平はそうしない。

 おかげで、まだ実家に連れ戻されないですんでいる。

 なんの当てもなく飛び出してきたなかで、母親はすぐに根をあげて戻ってくると思っていたに違いない。

 だが、そうはならなかった。

 ざまあみろだ。

 少し気かがりなのは、彼女の友人であり姉のような存在でもある鹿島葵は、ずいぶんと心配しているに違いないということだった。

 陽向は心のなかで葵に謝った。

 次に出会うときはきっと、母親の命令で自分を連れ戻しにくるときなのだろう。

 最近はまっていたクラフトビールを一ケースくらい贈れば、見逃してくれるだろうか。

「いやいや」

 愚かな考えに、陽向は思わず苦笑した。

 鹿島は世羅の分家の筆頭格。

 逆らえるわけがない。

 まとまりのない思考が一周回って元に戻る。

「むー」

 陽向はごろごろとベッドのうえを転がった。

 端っこまで転がっては、反対側へと向きを変える。

 葵のことを頭のなかから追い出して、陽向は転がりながら独りごちた。

「桜井さんがー、なにをしようとー、別に関係はないのでー」

 中央へと戻ってきて、ぴたりと動きをとめる。

 眉間に皺を寄せて、彼女は再び天井を見あげた。

 本当は家族が幸福だったころの思い出を、忘れないようにしたかっただけだった。

 世羅の家のために利用されることはいやだけれど、抗いようのないことだと思っていた。 

 だから。

 せめてものいやがらせに飛び出してきたのだ。

 けれど。

 桜井恭平が言ったように。

 バカみたいなことでも楽しい未来を考えていれば、それなりに楽しいものなのかもしれなかった。

 このまま実家に連れ戻されずに父親を探し出して会えるといいな、と陽向は思った。

 もし出会えたなら。

 家を出ていくときにわたしを連れていかなかったことを、散々に怒ってやろう。

 それでもって、旅をするのだ。

 窮屈な世羅の家で落ちぶれた魔術師たちの権力闘争に血眼になるよりも、トレジャーハンターとして世界中を旅するほうがよっぽど楽しい。

 南の島で沈没した船からお宝をサルベージしたり、東欧なんかにある手つかずの廃城の地下迷宮を探索したりするのだ。

 うん、それはいいな、と陽向は思った。

 想像すると、思いのほかわくわくする。

 いまなら父親の気持ちが、少しはわかる気がする。

「あ、でも、桜井さんはいまの仕事を続けたいかな……?」

 思わず口にした自分の言葉に、陽向は目をぱちくりさせた。

 別にそうなったら一緒にいるわけでもないだろうに。

「むー」

 これはよくない。

 本当によくない。

 もやもやした気持ちの正体を、陽向はなんとなくわかっている。

 彼女はそっと目を閉じて、静かに息を吸い込んだ。

 そのままゆっくりと吐き出す。

 かたちのいい陽向の胸が、それに合わせて上下する。

「わたしは――」

 目を閉じたまま、消え入りそうな声でつぶやく。

 言葉にすると、もやもやした不定形の気持ちがかたちになってしまう。

 けれど、言ってしまいそうだ。

 自分自分をとめられない。

 どうしてこんなことになったのか、彼女自身もよくはわからないのだ。

 なんでもない会話のフィーリング?

 意外と優しいところ?

 文句ばかり言っているくせに、仕事がんばっちゃうところ?

 映画や小説みたいに、劇的で運命的ななにかがあったわけではない。

 それでも。

 そう思ってしまったのだから仕方ない。

 陽向は目を開いた。

「わたしは――」

 いつもは黒いその瞳が、鈍い赤色に輝く。

 艶やか黒髪は闇のように深く。

 真っ白い肌は絹のよう。

 彼女は笑った。

 上品に。

 だが怪しく。

「桜井さんの血が吸いたいんだ」

 それは正しく吸血鬼の笑みだった。

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