23.イマジナリー元カノですよね?

 コンペの話が動き出すのはオリエンがあってからだろうが、それまでにどうするのかを決めなきゃならない。

 勝ち馬に乗るなら氷室と組む一択だ。

 十中八九、案件は取れる。

 まとまった金も入ってくる。

 だが、氷室がなんと言おうとそこに俺がいる意味なんてものはない。

 彼女にとっては少しはあるのかもしれないが、クライアントや受注したあとに一緒に仕事をすることになる連中にとって、俺は空気みたいな存在だ。

「いまさらこんなことで悩むなんてな」

 なにを思われようが、へらへらしてやり過ごせばいいって話なんだが。

 俺のなかに燻ってるちっぽけなプライドが、何者かになった連中と仕事するのをビビってる。

 お前はこちら側の世界の人間ではないのだという現実を、真正面から突きつけられるだろうから。

「実相寺の言うとおりだな」

 俺は自信がないんだ。

 自分を信じていれば、誰からなにを言われようと気にならない。

 かといってだ。

 実相寺と組んで〈ランドマークス〉とやり合うかよ?

 竹槍――なんて言ったら実相寺はキレるだろうが――で戦車に戦いを挑むようなもんだ。

 粉々に粉砕される。

 対戦車ミサイルとは言わないまでも、せめて対戦車地雷くらいの武器がほしいぜ。

「目先の金も必要だしなあ」

 コンペフィーを払ってくれる〈ランドマークス〉は本当に良心的だ。

 冷静に考えれば考えるほど陰鬱な気持ちになりながら、俺は自宅兼事務所に帰った。

 今日の料理当番は住み着いている吸血鬼なので、きちんと夕食が用意されている。

 なんて平和な空間だ。

 事務所にしているリビングのテーブル――元々は打ち合わせ用――のうえには、ハンバーグとサラダが鎮座していた。洋食のくせに米と味噌汁が一緒に用意されているあたり、ドラマなんかで見るオシャレな食卓がウソなんだと教えてくれる。

「あ、お帰りなさい。今日は奮発して肉なので」

 エプロン姿の陽向が、えっへんと胸を張った。

「なんでまた」

「え? 桜井さんがお仕事取ってきて、わたしに服を買ってくれるからですけど」

「仕事が決まったわけじゃない。競合コンペの依頼だし、落ちるかもしれんし」

「はー? なんですかそれ、肉にして損しました」

 陽向が露骨に顔をしかめた。

 相変わらず、ころころと表情が変わるやつだな。

 それに損もなにも、原資は俺の金だぞ。

「わたしの労いの気持ちを返してください」

「そんな気持ちで労うな。無償の気持ちで労えよ」

「JKの手料理を食べられている時点で、お釣りがくると思いますけど」

「ホントにJKか? 地に足ついた家庭的な料理つくってんじゃないよ」

 俺は荷物を適当に置くと、改めてテーブルを見た。

 実家に帰ったときみたいな光景である。

「料理は葵さんに習ってたんですけど」

「また葵さん」

 けどまあ、今回の教えはまともそうだ。

 別に女子だから料理ができないといけない、なんてことを言うつもりはないが。

 男女関係なくできるに越したことはない。

 そうしないと俺みたいに、冷蔵庫にペットボトルしか入っていないなんてことになる。

「葵さんが言うには、結局はこういう料理をつくれる女子が、最後は男に選ばれるそうです。オシャレな料理を無理してつくっていた自分はなんだったんでしょうか、と昼間から日本酒をあおって嘆いていました」

「葵さん!」

 動機がむちゃくちゃ不純だし、なにがあったのか想像もしたくない。

 陽向の話に出てくる度に、気になるエピソードを残していくのをやめてくれ。

「わたしの労いの気持ちは無になりましたが、せっかくつくったので食べましょう。ご飯とお味噌汁よそってほしいです」

「わかったわかった」

 陽向はエプロンを外してちょこんとイスに座っている。

 いまの世の中、食卓に座っているだけで手料理が全自動で出てくるほど甘くはない。

 俺は炊き立ての米と豆腐とわかめの味噌汁を二人分用意して食卓に並べた。

「桜井さんはこういうことに文句言わないですよね」

「文句言うやつの気がしれねえよ。昭和でとまってるのか?」

「当番制にしたタスクも守ってくれますし」

「まあな。けど、あれだぞ。背後にあるのは吸血鬼の暴力による恐怖支配だからな?」

「はー? なんですかそれ。わたしはそんな世紀末覇者みたいなことしてないので。褒めて損しました」

 陽向はわざとらしく頬を膨らませ、怒っているという意思表示をした。

 短いため息を漏らすと、笑顔で言ってくる。

「ぶっ飛ばしますよ?」

「いや、正直すまんかった」

「わかればいいです」

 これが暴力による恐怖支配でないとしたら、なんだってんだよ。

 と、俺は思ったがなにも言わずに食卓に着いた。

 平和的な外交の背後には、強力な武力が必要だということがよくわかる。

 そんな俺を見ながら、陽向はきちんと手を合わせて「いただきます」と言った。

「ところで桜井さん、コンペということはいくつかの会社で競い合うんですよね? 一番安いところになるんですか?」

「いや。クライアントからオリエンで提示された予算内で収めること前提だけど、安けりゃ受注するってわけじゃない。あくまでも企画力やクリエイティブの質が問われる。なんなら予算オーバーしても受注するときは受注する」

 大抵は二案か三案出しで、予算内で収めた提案とは別に「追加予算があればさらにこんな素敵なことできますよ」という案ももっていく。そうやってあの手この手で、クライアントの予算を可能な限り引っ張ってくる。

 だが、純粋に提案内容勝負なんてことは滅多にない。

 営業の根回しやら、クライアント側の社内政治も絡んできて、意味のわからない勝ち方や負け方をすることもざらにある。

「はあ、なるほど。そういうものなんですね。あ、ハンバーグ美味しいです」

 ハンバーグをもぐもぐ食べながら、陽向は何度かうなずいた。

 自分で納得できる味だったらしい。

「それで、今回のコンペは勝てそうなんですか?」

「お前は俺の上司かよ」

「服が買えるかどうか決まるので」

「欲望をしまえ。いや、美味いなこのハンバーグ」

「ですよね。スーパーの特売の合い挽きとは思えない出来なので。これはひとえにわたしの腕です。褒めてください」

 陽向は得意げに笑った。

 動機は不純だったが、葵さんの教えがよかったのだろう。

 俺は数秒の間、どう褒めたものかと考えたが、なにも出てこなかった。

「美味い以外に言いようがないだろうが」

「はー、なので。もう。語彙力。文章を仕事にしているとは思えないです」

「うるせえよ。じゃあなにか? しっかりと火はとおっているが肉汁がなかに閉じ込められていてジューシーさは失われておらず、肉の旨味を引き出すソースと一体となってシャッキリポンだわ、みたいな感想を言えってのか?」

「それはどこの栗田さんですか?」

 陽向が半眼になって睨んでくる。

「JKとは思えない的確なツッコミだな」

「そうですか? 日本人の教養として押さえておくべき作品だと葵さんも言っていました。実際に一緒に食事にいったお店で、店主を呼べい、と言っていました」

「俺はもう葵さんがいろいろと心配だよ」

「そんなことより。コンペは勝てそうなんですか、という話です」

 強引に元の話題に戻してくる。

 詰める部下を逃さない上司だ。

 俺は無言で肩をすくめた。

「ややこしいことになってる顔ですね」

「そうか?」

 自分では意識せずとも、顔に出てしまっていたらしい。

 本当にそのとおり、いろいろとややこしいことになっている。

「同じコンペで、別々のところから組まないかって話になっててな」

「それで困ってるんですか? 勝てそうなほうと組めばいいと思いますけど」

 客観的に見ればそのとおりだ。

 なにも難しくない。

「それはそうなんだけどな」

 これは俺が自分で解決すべき問題で、そこを陽向に話す気にはなれない。

「それに――」

「それに?」

「コンペの仕事もってきた元カノとデートすることになった」

「んーっ!?」

 陽向が飲んでいたお茶を盛大に噴き出した。

 変なところに入ったのか、げほげほと咽せている。

 俺は顔をしかめた。

「リアクションがでかいんだよ」

「けほっけほっ、ちょっと、なにを言っているのか、意味がわからないので」

 ようやく話せるようになった陽向が、懐疑的な視線を向けてくる。

「大丈夫ですか、桜井さん。仕事がなさすぎて精神的に参ってますか?」

「俺も自分で言ってみて、ウソみたいな話だと思ったけどな。ホントなんだよ」

「桜井さん」

 陽向は急に慈悲深い――というか、憐れむような表情になった。

「そんな都合のいい元カノなんているわけないので。イマジナリー元カノですよね?」

「変なパワーワードを生み出すな」

「本当に疲れているんですね。今日はもうゆっくりと休んでください。いい病院探しておきますね」

「まてまてまてまて。俺はいたって正常だ」

 俺はスマホで氷室星夏を検索した。

 すぐに彼女を特集している広告関係の記事が出てくる。

 こんなとき有名人は便利だ。

「こいつだよ。氷室星夏。いまは〈ランドマークス〉って会社のアートディレクターだけどな、下積み時代は俺と組んでよく仕事をしてた。そのときにつき合ってたんだよ」

「えー?」

 スマホの画面に表示された氷室の写真を、陽向はまじまじと凝視した。

 それから俺と見比べるようにして、視線がいったりきたりする。

「とても桜井さんには似合わない美人さんですね」

「うるせえよ」

「はっ……まさか、この人のストーカーをしてるんですか?」

「いい加減信じろや」

 この吸血鬼、マジで一回滅ぼしてやろうか。

 俺が本気でそう思っていると、スマホの画面にメッセージが届いたことを知らせるアイコンがポップアップする。

 それはちょうど氷室からのメッセージで、


『土曜日も仕事になってしまったから、日曜日にデートしましょう』


 というテキストの冒頭部分が表示されていた。

「……」

 陽向はじっとりとした目でそれを見ていたが、やがて腕を組んでイスに座り直した。

「くっ……本当みたいですね」

 女騎士がオークに捕らえられたときみたいな顔で言ってくる。

 まったく。

 なんて不貞腐れた態度だよ。

 俺に元カノがいるのが、そんなに気に入らないか?

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