22.あたしと一緒に勝ちましょう

 仕事の話をしにきたはずなのに、元カノとデートすることになった。

 そんなラノベのタイトルみたいな出来事が、俺の身に降りかかるとはな。

 俺は氷室と別れたあと、吸血鬼が住み着いている自宅兼事務所には戻らずに、慣れ親しんだ新宿の喫茶店に移動して急ぎの仕事を片づけた。

 実相寺に納品した例の採用ホームページのコピー修正だ。

 クライアントに乗り込んだ末にどういうやりとりがあったのかは知らないが、赤字で一言一句修正内容が指示されている状態で戻ってきた。

「よくやるわ」

 俺は指示どおりに原稿を修正しながら、思わずぼやいた。

 恐らく実相寺がクライアント――〈5T〉に丸投げしてきたシーガルキャリアの制作マン――を激詰めして、これ以上の修正が発生しないように完全にフィックスさせてきたのだ。

 俺は自分が書いたコピーに修正が入ることが耐えられなくなるほど、魂を削って仕事をしてるわけじゃないからな。

 死んだ魚の目になって作業する分には、こんな楽な修正はない。

「おー、死んだ魚の目で作業してるっすね」

 背中越しに突然声をかけられて、俺はぎょっとして振り返った。

 誰かはわかっている。

「急に話しかけるんじゃねえよ。びっくりするだろうが」

「それはこっちのセリフっすよ。店に入ったら先輩がいるんですもん」

 そう言って笑った実相寺真夏は、相変わらず場末の喫茶店には似つかわしくない存在感を放っていた。

 ショートパンツに生脚はいつものことだったが、Tシャツのうえからジャケットを羽織っている。クライアントを訪問するにあたって、最低限の格好をしたつもりなのだろうが。とりあえずジャケットを着ておけば、あとはなんでもOKみたいなノリを感じなくもない。

「それあたしの仕事ですよね? 修正対応ありがとうございまっす」

「なんで向かいに座る?」

「ここしか空いてないんで」

「ガラガラだろうが。お前の目は別の世界を見てんのか?」

「冗談っすよ。死んだ魚の目で作業する先輩に、せめてものお礼っす。可愛い後輩の食事シーンで心を癒してください」

「そいつはどーも」

 俺は棒読みで返したが、実相寺は席を移動するつもりはなさそうだった。

 馴染みの店員にナポリタンと食後のアイスコーヒーを注文している。

 場末の純喫茶のナポリタンが意外と美味いなんてのはよくある話だが、ここの店は別に美味くない。不味くもないが、普通だ。

「ここのナポリタン、普通っすよねー」

 実相寺も同意見のようだった。

「でも、あたしは普通って結構大事だと思うんすよね。普通があるから、たまにすごく美味しいもの食べたときの、ありがたみがわかるじゃないっすか?」

「ものは言いようだな」

「万年コンビニ弁当の先輩に言っても仕方ないことっすけどね。食に興味がないとか、ホントに生きる楽しみの半分は失ってると思いますよ」

「余計なお世話だよ」

 俺はため息混じりにそう言うしかなかった。

 半分かどうかは知らないが、幾分か損をしていることは確かだ。

 そして、なぜか自宅兼事務所に居着いている吸血鬼がつくった料理を思い出した。

 別に大した金をかけたわけでもない、スーパーの特売の食材でつくった料理。

 俺はもう随分と前から、ああいう普通の美味しさすら忘れていた。

「ちゃんとご飯食べないと、ホントに倒れちゃいますよ? 生活力がだらしない先輩のために、あたしがつくってあげましょうか?」

「お前の料理の腕前は、壊滅的だろうがよ。俺が言うのもなんだが」

 実相寺は能力を仕事に全振りしているのか、生活能力という点ではかなり低い。

 なにせ実家住まいで、母親がつくってくれる料理を享受している立場だからな。

 掃除も洗濯もしなくていいし、家賃も払わなくていい。

 まあ、東京に実家があるごく普通の大学生だ。

 弓削さんに見込まれていることを除けば。

「う……そこは愛情でカバーするんでぇ」

「愛情で美味くなるなら、メシマズな嫁なんて存在しねえんだよ。そもそもお前からの愛情なんて、法外なリターンが要求されそうでお断りだ」

「はー? なんすかそれ、失礼な。さすがのあたしも傷つくっす。泣きそう。心に傷を負ったっす。PTSDになる」

 実相寺はその場に突っ伏して、泣く真似をした。

「女の子を傷つけた責任取ってくださいよ。具体的には優しい言葉でデートに誘って、美味しいご飯奢ってほしいっす。コースで五万円くらいの」

「新手のたかりじゃねえかよ」

「ワインもつけてほしいっす」

「赤羽かどっかの立ち飲み屋でいいか?」

「人の話聞いてました? JDにワンカップの日本酒と謎の肉の煮込みを与えようとするとか、どういうセンスしてるんすか?」

 がばりと顔をあげて――当然、泣いてなんていない――、実相寺が半眼で睨んでくる。

「先輩はホント、先輩はホントに一回、女の子の扱いについて小一時間説教しないといけないっす。ちょっと真剣に詰めさせてもらっていいっすか?」

「いやに決まってるだろうが」

「先輩に拒否権はないっすから。断ったらもう仕事回しませんー。知りませんー」

「何時間でも説教してくれ」

「おっと、言質取ったっすからね? えー、いつにしようかな♪ 髪切りにいこー」

 実相寺が笑顔で――俺に説教できることがそんなに嬉しいのか――スケジュールを確認していると、注文したナポリタンが粉チーズと一緒に運ばれてきた。

 昔ながらのなんの変哲もないナポリタンだ。

「それはそれとして、先輩って暇っすよね?」

「暇であることを前提にするんじゃないよ」

「あ、忙しいならいいっす」

「暇だよ!」

「最初から素直にそう言えって話っす」

 実相寺はナポリタンをフォークに巻きつけながら、「やれやれ」みたいな顔をした。

「一緒にやりたい仕事があって。コンペなんすけど」

 実相寺、お前もか。

 依頼があるだけありがたいって話だが、受注が確定している仕事のほうがありがたいのは確かだ。特に日銭を稼がないといけないフリーには。

「そんな露骨にいやな顔しないでほしいっす」

「〈5T〉に流れてくるコンペ案件なんて、代理店が義理で参加する捨て案件だろ?」

「それはそうなんすけど」

 低予算で受注しても旨味はないとか。競合が強すぎて勝ち目がなさそうとか。それでも断ることもできないコンペというものは確かに存在する。そんなときはわざと落ちそうな提案をしてお茶を濁すものだ。ボツになった過去の企画を使い回したり、社内のリソースを割かずに下請けの制作会社に丸っと渡したりする。

 今回の場合は後者というわけだ。

 だが、捨て案のつもりで出した企画が、うっかり受注するなんてこともあるのがこの仕事だ。

「競合は?」

「オリエンがまだなんで正確にはわからないんすけど。一社は確実に〈ランドマークス〉」

「おいおい」

 俺は思わず天を仰いだ。

 よりにもよって、そこかよ。

 しかもこのタイミング。

 全然いい予感がしない。

「案件は醤油屋の創業一〇〇周年のリブランディングっす」

「やっぱりかよ!」

「なにがっすか?」

 実相寺が怪訝な表情でこちらを見てくる。

 案の定、氷室がもってきた案件と同じやつじゃねえかよ。

〈ランドマークス〉に声がかかってるとわかった段階で、どこかの代理店がベタ降りしやがったな。

「先輩!」

 俺の事情など知るわけもない実相寺は、ナポリタンを勢いよく食べると俺を見据えた。

「あたしと一緒に〈ランドマークス〉に勝ちましょう」

「本気で言ってんのか?」

「もちろんっす。マジのマジで言ってます」

 実相寺の目は真剣だった。

「先輩は氷室星夏のこと意識しすぎなんすよ。それで自分と比べて自信なくして。いい加減、先輩は自分に自信もったほうがいいっす」

 年下の女子大生からの言葉とは思えない重みだ。

「賞なんて取ってなくても、評価する人はいるし。少なくともあたしは、ちゃんと見てます。先輩のことずっと見てました――」

 実相寺は最後は早口になり、ため息とともに目を伏せた。

 数秒の間を置いて、彼女が目線をあげる。

「なので!」

 フォークの先を俺に向けて、力強く言ってくる。

「〈ランドマークス〉とやり合って勝ちましょう。そしたら先輩はクリエイターとして氷室星夏を意識する必要もないし、自信もてると思うんで。あたしと一緒に勝ちましょう」

 まさか同じ日に、同じコンペの依頼を受けることになるとはな。

 参加するならどちらかを選ぶ必要がある。

 普通は先に依頼があったほうを選ぶのが仁義ってもんだが。

「ちょっと考えさせてくれ」

 俺はそれだけを言った。

 氷室は初心に帰るために俺と組みたいと言ったが、あのころの俺と氷室は対等だった。実力はともかく、少なくとも気持ちの面で。

 いまの俺と組んで本当に彼女が望んだ結果になるのか、俺にはわからない。

 だからって、実相寺の話にほいほい乗って勝てるほど甘い話でもない。

 クリエイティブ・ブティックに声がかかってるってことは、クライアントのド本命は間違いなく〈ランドマークス〉で、他の競合はコンペを実施したという社内的なアリバイづくりのために呼ばれているだけの可能性が高い。

 俺が無言でいると、実相寺は申しわけなさそうに最後の一言をつけ加えた。

「ちなみに、コンペフィーは出ないっす」

「だろうな」

 言われなくても、知ってるよ。

〈5T〉に回ってくる案件が、大体そうだってことは。

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