19.どうするんだよ、これ
営業をかけると言っても、なにができるかといえば過去に取り引きがあった会社や個人に手当たり次第にメールを送ることくらいのものだ。
これで仕事の依頼が舞い込むなら、メールを送る前から仕事はきてる。
宝くじが当たるよりも確率は低い。
なので結局は、定期的に仕事を回してくれるお得意さんに直接営業をかけることになるんだが。残念ながら俺がお得意さんと呼べる会社は、新宿の雑居ビルに居を構える〈5T〉しかなかった。
「おもろいこと言うやんか、桜井」
打ち合わせスペースの一画。
俺と向き合っている弓削さんは、むちゃくちゃ甘い缶コーヒーをちびちびと飲みながらそう言った。
眼鏡の奥のキツネ目はいつものように笑っているように見えたが、実際はよくわからない。
「吸血鬼なんて擦られすぎたネタやで?」
「いや、ネタじゃないですよ。本物の吸血鬼なんで」
俺は営業のついでに、本当に存在した本物の吸血鬼(JK)のインタビュー企画とかあったらどうですかねー、と何気なく言ってみた。
その反応が、さっきの言葉だ。
「アホか。本物ってなんやねん」
「本物は本物なんですよ」
「なに言うとおかわからんわー。まあ、そういう体の企画としてよ。どうやって本物を証明するんや?」
それはそのとおりだった。
なにせ陽向の見た目は普通――というには高スペック――の女子高生だ。
そんな彼女が「わたしは本物の吸血鬼なので」とか言っても誰も信じない。
弓削さんは少しばかり思案するように、首を傾げた。
「本物いうたら、あれか。コウモリに姿を変えたり?」
「それはできないらしいです」
「十字架やニンニクは苦手なん?」
「まったく効果ないらしいです」
「ほんなら聖水は?」
「ただの水らしいです」
「許可ないと家に入れん?」
「入れるらしいです」
「川を渡れん」
「渡れるらしいです」
「太陽に当たると死ぬ」
「平気です」
弓削さんが列挙するいわゆる吸血鬼のイメージをどんどん否定していく。
少し前に、同じような会話を陽向とした気がするな……
「なんやそら!」
缶コーヒーを飲み干すと、弓削さんはわざらしく肩をすくめた。
「そんなん吸血鬼ちゃう。ただの人や」
「まあそうなんですよ。本物の吸血鬼は、そういうものなんです」
「あかんあかん。なんやねん、その設定。差別化しようとして、逆に無個性になってもうてるやん」
どうやら俺が考えた吸血鬼の設定だと思ったらしい。
もし設定だったら、俺だってもう少し吸血鬼らしさを取り入れるわ。
「さすがに血は吸うやろ? 吸血鬼なんやから」
「そうっすね。でも――」
俺は陽向の言葉を思い出し、
「なんかそれはエロいことなんであんまりしないらしいです」
「なんでやねん!」
弓削さんはお手本のような関西弁でのツッコミを入れた。
「桜井、そんな吸血鬼のなにがおもろいねん。そもそもさっきからなんで伝聞形式なん?」
「まー、そう言われているというか、言っているというか」
「せめて教会の異端審問官とか、政府の秘密組織とかに命狙われたりしてほしいわ。それか吸血鬼同士の争いに巻き込まれて、桜井が吸血鬼になったりせえよ」
「いやですよ。吸血鬼になんてなりたくもない」
残念ながら俺が出会った吸血鬼は、現代伝奇異能バトルとは無縁だ。
いや、当事者としてはありがたいが。
誰が好きこのんで教会や国家機関のヴァンパイア・ハンターと戦ったりするかよ。
「それくらいのエピソード・トークもってこいって話や。大手企業のアホな幹部にたらい回しにされて、角という角が取れた提案みたいな吸血鬼をもってくるな」
「返す言葉もないですね」
俺も内心ではわかっていたのだが、現代の吸血鬼というやつはどうしようもなく普通だ。
興味を喚起するフックがねえよ。
陽向の顔を思い浮かべ、俺は大きく息を吐いた。
まったく嘆かわしい。
「吸血鬼の話はいったん置いといて、なんか仕事くださいよ」
「そんな気楽な営業トークあるかいな」
「困ったときの弓削さん頼みってところです。お互い様でしょうが」
「僕かて発注先は選ぶしな。桜井に回せる、どぶさらいみたいな案件あったかな」
「本人の前でなんちゅうこと言うんですか」
「桜井の強みは、五十点でいい案件を七十点にしてくれるところやん?」
「またしても返す言葉もないですね」
別にそうなりたくてなったわけじゃない。
俺だってゲームみたいにステ振りができるなら、別の強みに数字を割り振りたかったよ。
弓削さんは思案する素振りをしているが、この反応は目ぼしいものはなにもないということだ。
なにかあれば、俺の都合など無視して問答無用で案件を突っ込んでくるからな。
「僕やなくて、実相寺ならなんかあるんちゃう?」
「そういや、いませんね」
「桜井に前に頼んだ案件あったやん。採用ホームページのやつ」
「ああ、アンケートから社員インタビューを三十人分書くやつ」
「それな。納品したシーガルキャリアから修正がきたんやけど、そもそも一行しかないアンケートから、桜井が無理っと書いているやつとかもあるやん」
「そうっすね」
「そこに『もっと具体的なエピソード入れてください』みたいな修正入ったもんやから、実相寺のやつがブチ切れて殴り込みにいっとるんよ」
「はあ?」
俺は思わず困惑した声をもらした。
そんな修正を入れてくるやつも入れてくるやつだが、それでも仕事を受けている発注主だ。そこに直接に文句を言いにいくあたり、実相寺のやつアグレッシブすぎるだろ。
「僕はビンタくらいしてきたら言うてんけど、さすがに手は出さんやろ。ボロクソ言うて泣かすもしれんけど」
いやいや、上司のあんたが部下を焚きつけてるんじゃないよ。
とめろ。
「そんなことしたら出禁になりますよ?」
「アホか。そんなんで出禁になるか」
弓削さんは腕を組むと、背もたれに体重を預けた。
眼鏡の奥のキツネ目は、いまは間違いなく笑っていた。
ほとんど裏社会の人間に見える笑顔だ。
「納期と予算が厳しい仕事。クライアントと揉めて炎上した仕事。正社員が逃げた仕事。制作会社が降りた仕事。そういうどこも受けへん仕事は、僕のところに回ってくるんやから。うちを出禁になんかできるわけないやろ」
激戦地にしか呼ばれない傭兵みたいなことを言う。
だが、それはそのおりなのかもしれなかった。
一度使うとやめられない麻薬みたいな会社だ。
「じゃあ実相寺に言っといてくださいよ。仕事くれって」
「喜んで回してくれるんちゃう? 女子大生に慕われるなんてええ感じやん」
「舐められてるだけですよ。俺をからかって遊んでるだけです」
俺はそう言うと同時に立ちあがった。
仕事がないのに、こんなところに長居したくもない。
弓削さんは座ったままで、
「おー、実相寺のやつこれはなかなか厳しいで」
なにがおもしろいのか低く笑った。
特に見送りをされることもなく、俺は〈5T〉の事務所から外に出た。
雑居ビルの古びたエレベーターは、五人も乗れば満員になりそうなほど狭い。
スマホのアプリと連携しているメールにメッセージが届いていることに気づき、俺はなんの気になしに確認した。
『仕事。コンペだけど、話聞く気ある?』
そっけない内容。
送ってきた相手を見て、俺はぎょっとした。
身体が一瞬、固まった気がした。
元カノだった。
氷室星夏だった。
営業メールをとにかく送りまくった際に、俺は元カノにまで送ってしまっていたらしい。仕事用のメールアドレスが残ったままだったのか――
それにしたって。
営業メールから仕事の依頼がくるなんて宝くじに当たるくらいの確率だと思っていたら、その当たりが元カノかよ。
「どうするんだよ、これ」
俺のつぶやきに答えるように、エレベーターが一階に着いてドアが左右に開いた。
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