第4話
18.へっぽこ吸血鬼がよー
何度見ても信じられない光景だ。
いままでコンビニ弁当かスーパーの惣菜くらいしか並んだことのない、俺の自宅兼事務所のテーブルに、純和食の朝食が並んでいる。
炊き立ての米と味噌汁、だし巻き卵、サワラの西京焼き――
「今朝もまあまあの出来栄えじゃないです?」
それをつくった陽向は、どこで買ってきたのかエプロン姿だった。
俺の自宅兼事務所は、日に日に吸血鬼の侵略を受けている。
事務所代わりにしているリビングは雑然としていた資料やらなんやらがきっちりと整理され、掃除がいき届いた状態になっていた。
自炊と無縁でお茶とコーヒーのペットボトルしか入ってなかった冷蔵庫には、近所のスーパーの特売品と最低限の調味料が格納されていた。
そして。
冷蔵庫には一枚の紙がマグネットで貼りつけられている。
陽向の手書きだ。
それは家事の分担表で、一週間のうち月・水・金と火・木・土で、俺と陽向が料理と掃除や洗濯を交互にすることになっていた。
彼女曰く、
「共同生活にはルールが大事なので。気づいた人がやるという暗黙のルールでは破綻します。タスクを可視化しましょう」
ということだ。
朝のワイドショーでやってる新婚生活が上手くいく秘訣かよ、と俺はうんざりした気持ちになった。
だが。
可視化されたタスクを消化しなければならない強迫観念みたいなものは確かにあり、俺はバカみたいな話だが今朝も掃除機をかけた。
「そもそも。お金がないのに自炊しない時点で、桜井さんは怠惰です」
「七つの大罪のひとつじゃねえかよ」
エプロンを外して俺の向かいに座った陽向は、手を合わせて「いただきます」と言った。
何気なく育ちのよさを見てせくるやつだ。
「それくらい罪深いので。反省して、食パンだけの朝食とか、謎の野菜炒めたやつとか、茹で加減間違えてるパスタとかはやめてくだざい。料理レシピのアプリを一日五時間くらい見て勉強してください。一日置きに不味い料理を食べるのはいやなので」
「返す言葉もねえよ」
俺の生活圏を侵略している吸血鬼によって、QOLがあがったことはなんとも皮肉だ。
俺のいままでの生活は、吸血鬼よりも人間らしくなかったとはな……
「そのくせ全部食べるんだからな」
「そうしないと、つくってくれた人に失礼じゃないですか」
「聖人かな?」
「吸血鬼です」
陽向は自分がつくった朝食を美味そうに食べている。
実際、とても美味い。
俺はきちんと煮干し――関西では炒り子というらしい――で出汁を取ってからつくられている味噌汁をすすった。
いちいち丁寧で芸が細かいんだよ。
だし巻き卵の真ん中に、彩りでほうれん草とか入れるか?
俺が中学生のころに母親からもたされていた弁当には、彩りの概念なんて皆無だったぞ。
「ところで、ご相談があるんですが」
しばらく箸を進めていると、陽向が不意に言った。
「いやだよ」
俺は即座に答えた。
「まだなにも言ってないので」
「なんとなくいやな予感がしたからな」
「服が欲しいんですけど」
「……ちょっと吸血鬼語はわからないなあ」
「いま、わたし、日本語話してますよ!」
「え? なんだって?」
「拳で語ったほうがいいですか?」
「急に言葉が理解できたよ」
俺は「そりゃ服は欲しいだろうなあ」と思ったが、顔には出さなかった。
学校に登校するふりをして家出してきた陽向は、三日分の下着意外は学校の制服しか着るものがない。
さすがに制服を普段着にするのは目立ちすぎると思ったのか、彼女は俺の服を適当に引っ張り出してきて自分のものにしていた。
いまは白いシャツにジーンズという実にシンプルな格好だった。
すらりとした高身長のせいもあって、ジーンズの裾を二回折るだけで普通にはけている。
なんならファッション雑誌にモデルとして載っていても、違和感がないくらいには様になっている。
「自分のものは自分で買えよ」
「正論ですけど、桜井さんに言われると腹が立つのでぶっ飛ばしていいですか?」
「いいわけないだろうが」
俺は箸の先を陽向に向けた。
「そもそもお前がここに居着いてる生活費は俺が出してるんだぞ」
「はー? 居着いてるってなんですか。お箸で人を指さないでください」
陽向は露骨に唇を尖らせると、半眼になって大きく嘆息した。
むちゃくちゃな早口で捲し立ててくる。
「桜井さんはわたしをネタに一山当てたいんですよね? わたしも生活拠点を確保して、写真の場所を探したいし、パパと会う方法を考えたいので。ギブ・アンド・テイクじゃないですか。むしろ自炊して節約してあげている分、感謝してほしいです。一日一万円くらい渡してほしいので」
「金の亡者かよ。にんにくの食いすぎで滅びろよ」
「そんなことで滅びませんー」
いやマジで、ちょっと吸血鬼らしくしてくれ。
ちっともネタにならないんだよ。
「もうこうなったら、魅了の魔眼を使うしかないですね。ふふふ」
「そういうやつだよ」
吸血鬼らしいことに思わず反応してしまった。
「なんですか?」
陽向は不審そうな目で俺を見ている。
「魅了の魔眼で、俺に無理やり服を買わせるなら、ちょっとそれ動画で撮影させてくれ」
「え、いやですよ。なんでそんなにノリノリなんですか。ちょっと怖いので。それに冗談ですよ。冗談。わたしは魅了の魔眼は苦手なので、桜井さんが本能的にいやがっているなら、すぐに解けちゃいますよ」
「マジかよー。へっぽこ吸血鬼がよー」
「へっぽこってなんですか。ド底辺三流ライターの桜井さんに言われたくないので。日本人の平均年収を稼げるようになってからライターを名乗ってください」
「悪口の語彙がすげえのよ」
朝から必要以上に傷ついたわ。
腕力でも、口でも勝てない気がする。
「まあこれを使えば大抵のものは買えるのですが」
陽向は食卓を離れると、財布から一枚のクレジットカードを取り出した。
黒だった。
本当に存在していたのか。
俺なんて定職に就いていないせいで、カードの審査にすら通らないってのに。
「ちょっ、おま、なんてものを!」
「落ち着いてください、家の名義なので、使うとすぐに足がついてしまうのです。なので絶対に使いません」
「だったら見せるなよ」
「わたしがお金の亡者ではないことをわからせようと思ったので。そんな卑しい育ちはしていないのです」
さすが没落していようが貴族は違うぜ。
本当に必要以上に傷ついたわ。
「それで最初のご相談に戻るわけなのですが」
「わかったわかった。服とかそれ以前に、仕事を取ってこないことには生活費だってカツカツなんだ」
俺は朝食を勢いよく平らげると、イスから立ちあがった。
実際問題、ド底辺の三流ライターだから仕事なんてまっていてもそうそうこない。
営業するしかねえ。
まったく、労働ってやつは尊いよ。
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