17.なにか慰めてくださいよ

 河津川に沿ってずっと続く桜並木は、初夏の日差しを浴びて緑に輝いている。

 水深が浅い川は夏になれば水遊びでもできそうで、水の流れる音は涼しげなものだった。

 整備されている細い道には、ほとんど人の気配はない。

 犬の散歩をしている地元民を時折見かけるくらいのものだ。

 桜の季節の二、三週間だけは、露天がずらりと並んでぎゅうぎゅうに観光客が訪れるみたいだが。いまはそんな気配は微塵もない。

「こんにちわー」

 すれ違ったコーギーを散歩させている老夫婦に爽やかに挨拶しながら、陽向は俺の前を歩いている。

「可愛いですね。なんて名前ですか?」

 コーギーがつぶらな瞳で陽向を見あげ、頭を撫でられて尻尾を激しく振っている。

 なんて社交的なやつだ。

 夜の住人――と、あらゆる創作物で設定されている――の吸血鬼のくせに。

 俺はと言えば、ぎこちない愛想笑いを浮かべて老夫婦に会釈をするだけだった。

 仮に陽向が高校の同級生で同じクラスだとしたら、絶対に同じグループにならないだろうと思った。

 俺は教室の隅にいるクラスの二軍だったからな。

 陽向は間違いなく一軍の中心にいるようなやつだ。

 女子だけではなく、男子とも仲がよくて、教師からの受けもいい。

 そんなやつ。

 もっとも。

 陽向はクラスの序列を無視して、平気で話しかけてくるタイプのような気もする。

 本当にたまにいるんだよ。

 よくも悪くも空気を読まない、それでいて誰からも好かれるようなやつが。

「バイバイ」

 コーギーとお別れした陽向は、笑顔で手を振ってから再び歩き出す。

 かれこれ二時間くらい歩いている。

 桜並木は川の左右にあるから、写真一枚を頼りに両岸を歩いて探すことになるのだが、運動不足の俺はかなり前から足が重い。

 初夏の気温とも相まって、汗で背中に張りついたシャツの感触が気持ち悪い。

 目の前をいくJKは、化け物みたいな体力してやがる。

 いや、実際に吸血鬼ではあるんだが。

「なんか思い出したか?」

 俺はたまらず、陽向の背中に声をかけた。

 自分でも驚くくらいに、疲労を感じる声だった。

「それが、さっぱり」

 足をとめた陽向がこちらを振り返った。

「やっぱりダメですね。そんな簡単にはいかないか」

 そう言って笑う。

 ついさっきの犬に向けていた笑顔とはまったく別の、どこか寂しそうなものだった。

 写真一枚で目的の場所を見つけるなんてことがそう簡単にいくわけがないことは、俺だってよくわかってる。

 ただ。

 一度きたことがある場所なら、なにかをきっかけに思い出すこともあるんじゃないかとも思っていた。

 駅前では無理でも、桜の下を歩けばあるいはとも思ったが。

 世の中、やはりそう都合よくはできてない。

「あ……ちょっと休憩しましょう」

 俺がへばっていることにようやく気づいたのか、陽向は少し慌てたようにして言った。

 すぐそこにある階段を指差す。

 川へと降りることができるようになっているもので、整備された土手に緩やかな段差が続いていた。

「疲れたら言ってくれればよかったのに。わたし、意外と体力あるので」

「意外でもなんでもねえよ」

 俺は階段に座り、まったく疲れていなさそうな陽向を見あげた。

 俺の知ってる吸血鬼ならとっくに滅んでるくらい太陽を浴びている。

 だが、現代の吸血鬼は太陽なんて平気だし、むしろ運動不足の俺のほうが滅びそうだった。

 少し先にある自動販売機が目に入る。

 この階段がある場所は、ちょっとした休憩場所みたいな扱いなんだろう。

「そこの自販機で飲み物買ってきてくれ」

「おしるこドリンクでいいですか?」

「いいわけない」

 俺は陽向の提案を即座に却下し、一〇〇〇円札を渡した。

「つぶつぶコーン」

「違うねえ」

 俺はゆらりと立ちあがると、陽向の端正な顔を鷲掴みにした。

 アイアン・クローである。

 疲労で気が立ってたんだ。

 これくらいは許されると俺の良心は判断した。

「痛い痛い痛い」

 陽向はジタバタと暴れて、信じられない力で俺の手を引っぺがした。

「なんてことするんですか! 吸血鬼にアイアン・クローした人なんて、歴史上で桜井さんがはじめてなので!」

「大人を舐めるとこういう目に遭うんだ。肝に命じとけ」

「ひどいです。ちょっとしたJK吸血鬼ジョークじゃないですか」

「聞いたこともないジャンルをもち出すんじゃねえよ」

「えー、Z世代で大流行ですよ?」

「平然とウソをつくな。聖水ぶっかけられて滅びろ」

「滅びませんー。吸血鬼ヘイトやめてくださいー」

 陽向はわざとらしく舌を出すと、ぷんすか怒りながら自動販売機に向かっていった。

 吸血鬼ヘイトってなんだよ。

 俺はどっと疲労が押し寄せてきた気がして、改めてその場に座り込んだ。

 この様子だと、写真の場所は見つかりそうもない。

 二月に満開になる河津桜があるのは、なにもここだけじゃないからな。

 いきなり本命に当たるってのも、話ができすぎてるよ。

 陽向もなにも思い出す様子もないし、このままだと自称・吸血鬼の女子高生と日帰りで旅行しただけになっちまう。

 話を聞けば聞くほど、現代の吸血鬼ってやつはヒキがない。

 普通だ。

 一山当てる題材としては失敗だったかも知れない。

 俺はぼんやりと川を眺め、小さくため息をついた。

 そうは言っても乗りかかった船ってやつで、どうしたもんだか。

「ひょ――っ!?」

 首筋に唐突に冷たさを感じて、俺は奇声をあげた。

 自分でもどこから出た声かわからない。

「ひょって、なんですか。ひょって」

 いつの間にか陽向が戻ってきた。

 キンキンに冷えたポットボトルを当てられたらしい。

 俺の奇声を聞いて、けらけらと笑っている。

「……うるせえよ」

「コーラとダイエットコーラどっちがいいですか?」

「どういう選択肢だ」

「いえ、冗談です。ちゃんと買ってきたので」

 そう言って、スポーツドリンクのペットボトルを渡してくる。

 陽向のほうは、本当にコーラだったが。

「お釣り返せよ」

「労働には対価がつきものなので」

「お釣り」

「労働には対価がつきものなので」

「……」

 まったく返すつもりがなさそうだ。

 金欠の俺から数百円をむしり取るなんて、血も涙もない悪魔的所業だよ。

 いや、こいつの場合は文字通り吸血鬼的所業か。

「見つかりませんねー」

 俺の隣に座り、陽向がペットボトルの蓋を開ける。

 炭酸が抜ける、ぷしっ、という軽快な音がした。

「現実ってのは、そういうもんだよ」

 俺もスポーツドリンクに口をつける。

 この味がこんなにありがたいのは、部活やってた高校のとき以来だ。

「わかってますよ。でも――」

 陽向は視線を彷徨わせるようにして、ぽつりと言った。

「ちょっぴり、期待してたりしました」

「ちょっぴりねえ」

 俺はなにを言っていいかわからず、ただそれだけを返した。

 陽向の横顔は、ちょっぴりというにはあまりにも寂しそうだった。

「別に写真の場所が見つかったからといって、家族が元に戻るわけじゃないんですけど」

 自身の言葉を噛み締めるように、彼女が俯く。

「確かめておかないと、わたしの心からも消えちゃいそうなんですよね。本当にそんなころがあったんだってことが」

「……そうかよ」

 陽向の表情はよくわからない。

 一瞬、泣いているのかと思った。

 現在も、未来も、見通しが暗いのなら、人は過去を想うしかない。

 彼女にとっては、家族がバラバラになる前の過去が一番大切にしたいことなのだろう。

 それは決して健全だとは思わないが、俺がどうこうできる類のものじゃない。

 きっと見つかるだとか、生きてりゃそのうちいいことあるとか、そんな無責任な言葉を言うべきでもない。

 だから俺は、なにも言わなかった。

 すると。

「……なにか慰めてくださいよ」

 陽向が俯いたまま言ってくる。

「普通、こういうときは優しい言葉かけません?」

「やだよ。上辺だけの言葉で虚しくなるだけだ」

「……上辺の言葉でも。しんどいときに言われたら、心を開くかも知れないじゃないですか」

「お前がそんな安っぽいやつとは思えないけど――なっと」

 俺はスポーツドリンクを一気に飲み干すと、休んだせいで急激に重くなった足にうんざりしながら立ちあがった。修行用の重りでもつけられてるのか、俺の足はよ。

「心配しなくても、本当に大切な思い出なら忘れやしねえよ」

「……そうでしょうか」

「それに、父親は家を出ていっただけなんだろ? 会いたいなら、どうやったら会えるか考えるほうが健康的だ。思い出を後生大事にしてるよりな」

「……パ、父はどこにいるのかまったくわからないのに?」

「例えば、お前が歌手になって世界的に売れて、アメリカのテレビとか、SNSとかで呼びかければ届くかもよ」

 言っている俺自身、バカみたいな話だと思った。

 それを聞いた陽向はゆっくりと顔をあげた。

 泣いていたわけではないようで、怒ったような、呆れたような、複雑な表情を浮かべていた。

「バカみたいなこと言いますね」

「俺もそう思うよ。けどな――」

 陽向の目を見た。

 大きな黒い瞳が、見返してくる。

「バカみたいなことでも、いい未来を考えてりゃ毎日それなりに楽しいもんさ」

 業界の最底辺で燻りながら、それでも何者かになれると信じていたころ。

 ろくな仕事は回ってこない。

 金もない。

 それでも気持ちだけは確かに前向きだった。

「……」

 陽向はなにも言わなかった。

 そのくせ目を逸らすこともなく、じっと俺を見つめていた。

 ものすごく恥ずかしくなってきた。

 俺はいい歳こいて、なにを偉そうに語ってるんだかな。

「ま……どっかの誰かの話だよ」

 恥ずかしさに耐えられなくなって、先に目を逸らす。

 冷静になればなるほど、かなり痛いやつである。

 もっとちゃんとした上辺の言葉があったはずなんだが。

「はあ、もう。本当に、あなたって――」

 陽向は小さく笑ったようだった。

 それがどんな意味の笑いなのか、表情を見ていない俺にはわからない。

 彼女は立ちあがると、景気づけとばかりにコーラをぐびぐびと飲んだ。

「ぷはっ」

「ビールみたいに飲むんじゃねえよ」

 俺のツッコミを無視して、陽向はきりりとした表情になった。

「確かに、いちいち凹んでいても仕方ないので。桜井さんの言うとおり、いい未来を考えるほうが健康的です」

 彼女は俺の隣に並ぶと、腰に両手を当てて胸を張った。

「わたしたちの戦いはまだ始まったばかりなので!」

 打ち切りになったマンガの最終回みたいなことを言う。

「いや、まて。わたしたちってなんだよ? たちって?」

「え? わたしと桜井さんですけど?」

「え?」

「え?」

 陽向は「なにを言ってるんだこいつは」という表情で俺を見てきた。

「実家の追跡から逃れて、どうやってパパを見つけるか、一緒に考えくれるんですよね?」

 それはなんとも薔薇色の未来だな!

 俺は無言で彼女の顔面を掴んだ。

「痛い痛い痛いです!」

 俺の未来は薔薇色どころか、鈍く輝きもしねえよ。

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