16.吸血鬼は太陽平気ですー

 桜の季節から外れた河津駅は、一言で言えば寂れた小さな駅だった。

 季節外れの、しかも平日に降りる客なんて、俺と陽向しかいなかった。

 駅舎は運行表示こそ電光掲示板になっているが、改札はなんと駅員が切符を切るスタイルがそのまま残っている。そのくせ交通系ICカードが使える機械だけが増設されていて、なんともチグハグな印象だった。

 駅には窓口と申し訳程度の土産物屋があるくらいで、桜の季節には何万人もが訪れるなんてちょっと信じられない。

「なんにもないな」

「ですねー」

 俺と陽向は駅舎から出て、ただそう言った。

 ロータリーにはタクシーが一台だけ停まっていた。

 背の高い建物は一切なく、五月の突き抜けるような青空が広がっている。

 日差しは強く、はっきり言ってしんどい。

 陽向がスマホの画面を確認しながら、右手側を指差した。

「こっちにいって、川を越えたところにうなぎ屋さんがあります」

「いきいきしてんじゃないよ。日光で滅びろ」

「滅びませんー。吸血鬼は太陽平気ですー」

 陽向が口を尖らせて言ってくる。

 それから不意に笑って、太陽の光を浴びるようにしてくるくるとその場で回った。

 そのままスポーツドリンクのCMにでもできそうなくらい爽やかだ。

 なんなら俺のほうが、太陽の光に体力を奪われている。

 加齢による衰えを実感せざるを得ない。

「ほら、いきますよ!」

 陽向はふんすと気合いを入れると、ずんずんと歩き出した。

 俺は大きく嘆息すると、爽やか女子高生の背中を見ながら、とぼとぼと後ろをついていく。

 客観的に見ると、ストーカーにしか見えない。

 歩いて五分もせずに河津川にかかる橋が見てきて、同時にいやってほどに緑が飛び込んできた。

 川沿いに植えられた桜は、いまは新しい葉をこれでもかと茂らせていた。

 見頃である二月に訪れたなら、見渡す限りが桜色に染まっているんだろう。

「緊張とかしないのかね」

 俺は前をいく陽向を見ながら、ぼそりと言った。

 母親へのせめてもの抵抗で家出をしてきて。

 幸せだったころの家族の思い出の場所を探してる。

 それが見つかるかも知れないって割には、陽向はいつものとおりだ。

「……っと」

 陽向が橋の真ん中くらいで急に立ちどまったせいで、俺は思わずぶつかりそうになった。

「どうした?」

「実感がないんです」

 陽向はそう言って振り向いた。

「あの写真の場所がここだったら、幼かったわたしもここにきているはずで。なにか思い出すかもと思ったんですけど、ちっとも思い出さなくて」

「そんな都合よくいくかよ」

 子どものころの記憶が、急に鮮明によみがえる。

 そんなことが、そうそう起きるわけがない。

「でも、ここだったらいいなあとは思います」

 川の両岸に沿って、延々続く桜並木。

 ここのどこかに、家族三人が写っていた写真の場所があるのだろうか。

 陽向は小さく笑い、風で流される黒髪をかきあげた。

 黙って澄ました顔になると、途端に大人びて見える。

 笑ってしまいそうなほどに絵になる。

 そこだけ切り取れば、まるで映画のワンシーンに思えた。

 だが、陽向の表情はすぐにもとに戻った。

「帽子とか用意してくればよかったなあ」

「買わんぞ」

「なにも言ってませんけど?」

「そういう目をしていた」

「いやだなあ、桜井さん。もしわたしが本気でそう思ったら、魅了の魔眼を使うこともできるんですよ? ふふふ」

 陽向は両手を腰に当てて、自信満々にそう言った。

 悪の組織の間の抜けた幹部にこういうやつがいそうだ。

「まあでも? 善良な桜井さんが、わたしにうなぎを食べさせてくれるということでね! やっぱり善意には甘えないといけないと思うわけなのです」

「お前、マジで世が世ならヴァン・ヘルシング呼び寄せてぶっ飛ばしてるからな?」

「原作版だとおじいちゃんの学者なので全然怖くないですー」

「お前のその変な教養はどこからきてるんだ?」

 俺は半眼になってうめいた。

 これも葵さんとやらの教育のたまものなのだろうか。

 本物の吸血鬼に、吸血鬼を題材にした小説を読ませるなんてのはなんとも皮肉だ。なにせそこに出てくる吸血鬼の設定は間違いだらけなんだからな。

 そうこうしているうちに、うなぎ屋の建物が見えてくる。

 一軒家を改装した店で、数千円するうな重のオーラを身にまとっている。

 俺はごくりと息を呑んだ。

 なんだこのプレッシャーは。

「ほら、いきますよ」

 重い足を引きずる俺とは対照的に、陽向は軽やかなものだった。

 ずんずんと店の入り口に近づいていく。

 そして、横開きになっているドアの前でぴたりと立ちどまった。

「……どうしたよ?」

 ゆっくりと追いついた俺は、彼女の背中に声をかけた。

「さ、桜井さん……」

 壊れた機械のようにぎりぎりと首を回し、陽向はドアを指差した。

 そこには『まことに申し訳ございませんが、本日は臨時休業いたします』という手書きの貼り紙がしてあった。

 俺は陽向の頭越しにそれをしげしげと眺め、ふっと息を吐いた。

「いやー、これは仕方ない。残念だけど仕方ないなー」

「顔がにやけてますけど?」

 目に殺意を孕んだ光を灯し、陽向が睨んでくる。

 超怖い。

「まあ、落ち着け。休みなもんは仕方ないだろうが。諦めろ」

「ぐぬぬ、ぎりぎりぎり」

 陽向は唇を噛み締めて、肩を戦慄かせた。

 心底悔しそうだ。

 俺は朗らか声で言った。

「今回は縁がなかったってことだ。うなぎ以外のもの食わせてやるから」

 ここにくる途中にあったコンビニのパンとか。

「仕方ありません……」

 消え入りそうな声を、陽向がもらした。

 大きく肩を落とし、いまになって日光が効いてきたのかと思えるほどに弱っている。

 食い意地張りすぎだよ。

 落ち込み様があまりにもひどいので、俺はとりあえず言った。

「うなぎは東京でも食える。この前のギャラが入ったら食わせて――」

「絶対ですよ?」

 すごい勢いで聞き返してくるじゃねえかよ。

 俺の言葉がまだ終わってないだろうが。

「……食わせてやる」

 かも知れない。

 食わせないかも知れない。

「絶対ですよ?」

 懐疑的な視線を向けてくる陽向から顔を逸らしつつ、俺は直近の経済的な危機を脱したことに心のなかでガッツポーズを繰り返した。

 よーし!

 よしよしよし!

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