10.身体でわからせてあげましょうか?

 アンケートをベースにした社員インタビューなんてものは、きちんと中身があれば簡単なものだ。一日に十人分くらいならなんとかなる。

 だが、回答が一行だったりした場合は、俺がいままでの経験則から勝手に仕事のやりがいだとかを妄想することになる。

 マジで勘弁してほしい。

「半分くらいはスカスカだな」

 俺は作業用のデスクでノートPCを立ちあげて、実相寺からメールで送られてきたエクセルのアンケートシートを確認した。

 十五人は妄想ストーリーが必要だ。

 とりあえず、今夜のうちになんとかまともなアンケート分を片づけよう。

 そうしないと、絶対に間に合わない。

「それにしても」

 思わず声が出る。

 洗濯機が回るごうんごうんという音が、事務所兼用のリビングにも聞こえてくる。

「集中できねえ……」

 洗濯されているのは、陽向の下着だったりする。

 彼女は学校にいく振りをして、スクールバッグに必要最低限のものを詰め込んで家出してきたらしい。それが三日分の下着だったり、使っていた化粧水だとかメイク道具だったりする。

 ちっとも気づかなかったが、ナチュラルメイクをしていたらしい。

 いまどきの女子高生なんて、みんなそうかもしれないが。

 そして、肝心の本人は風呂に入っている。

 ネカフェのシャワーはもううんざりなのです、とお嬢様は言っていた。

 実家の風呂はさぞかし広いに違いない。

 多分、その期待に応えられないくらいには狭いぞ、うちの風呂も。

「JKがうちの風呂を使うときがくるとはな」

 お湯の音が聞こえない程度には壁は厚いし、陽向の入浴姿を妄想して悶々とするほど思春期を引きずってもいないが。

 いつも一人の空間に別の人間の気配があるというのは、どうにも落ち着かない。

 天井を仰ぎ、気持ちを入れ替える。

 うだうだしてても、時間がなくなっていくだけだ。

「仕事するか……」

 俺はメロンパンと一緒に買ってきた安い栄養ドリンクのフタを開けた。

 胃に流し込む。

 空腹のせいで、気持ち悪い。

 いまどきビンの栄養ドリンクもどうかと思うが、いろいろと試した結果、低価格のやつだとこれが一番効くんだよ。

「さて」

 回答がまともなアンケートシートを睨み、使えそうなところを抜き出し、ざっくり構成をつくっていく。

 ライターに必要な能力は、取材力、構成力、文章力、執筆速度、スケジュール管理能力、まあ、いろいろある。

 案件の上流から入り込みたいなら、企画力やプレゼン能力、スタッフへのディレクション能力、なにより人脈をつくるコミュニケーション能力が必要だ。

 俺にはなにもない。

 なにもないが、全部そこそこある。

 だから、一〇〇点や一二〇点のクオリティが必要な仕事は回ってこない。

 実相寺の言ったとおり、俺は七十点でいい仕事で、七十点を出すことが期待されている。

 ゴルフなら、フェアウェイをキープしてパーを取ることを。

 野球なら、内野ゴロや犠牲フライで確実に一点を取りにいくことを。

「七番、セカンド、桜井恭平ってところか」

 俺も昔は四番になれると思っていた。

 だが、それは本当の天才にしか無理な話だった。

 だから、俺は俺の仕事をする。

 集中して一人分を書きあげたところで――

「お風呂、ありがとうございました」

 陽向がリビングに戻ってきた。

 女子用のパジャマなんて気の利いたものがあるわけないで、使っていない俺のスウェットを着ている。

 サイズが合っていないので、全体的にだぼっとしたシルエットになっていて、期せずして萌え袖である。

 上気した頬はほんのりピンク色で、すっぴんになったほうが健康的に見えた。

「ドライヤー、勝手に使っちゃいました」

「好きにしてくれ」

「そう言うと思ったので。でも、女の子用のシャンプーとボディソープを買わないと。桜井さんが使っているものだと、わたしに合わない気がします」

「だから、遠慮ってもんを知らないのか」

「もちろん知ってます。歯ブラシは買い置きされていた予備のやつを見つけたので、それを使います」

 えへっと笑う。

 陽向はちょこちょこ歩いてきて俺の手元を覗き込んだ。

 乾かしたばかりの髪をかきあげて、小首を傾げる。

 おかしい。

 同じシャンプーやボディソープを使ったにしては、いい匂いがする気がする。

 俺の気のせいか。

 若い女子の力か。

「お仕事は捗ってます?」

「捗ろうが、捗るまいが、納期までに仕上げるのが仕事だよ」

「え、なんですか? 仕事の流儀ですか?」

「うるせえよ。弄ってんのか?」

 俺は半眼になって陽向を睨んだ。

 彼女にはちっとも効果はない。

 距離の詰め方や仕草も無防備で、油断と隙しかないが、最終的には腕力で勝てるという絶対的な自信がそうさせるのだろう。

 俺は身体を鍛えたり、格闘技のジムに通っている同業者を何人か知っている。

 そいつらが言っていた。

 どんな理不尽な上司やクライアントも、殴り合いになったら自分のほうが強いと思っていれば精神的に優位に立てる――と。

 まったく、そのとおりだと思った。

 まさか、JKを相手に実感することになるとはな。

「にしても……」

「なんですか?」

 洗濯機はまだ回っている。

 サイズが大きいスウェットのせいで身体のラインはわからないが、こいつはいまノーパンノーブラじゃないのか?

 と、陽向が刺すような視線を俺に向けてくる。

「いま、エッチなことを考えましたね?」

「いや、考えてないねえ」

「本当ですか?」

「なにを根拠に」

「直感です」

「吸血鬼の?」

「女の子の」

 シンプルに怖い。

 世の中の女子は、男のエロい視線を敏感に感じている。

 これはマジだ。

「わかったわかった。考えたかもしれん」

 俺は降参とばかりに両手を挙げた。

「む。正直ですね」

「男ってのは、そういう生き物なんだよ。可愛い女の子がいると、妄想が捗るんだ」

「か、可愛いとか、面と向かって言わないでください……!」

 陽向の目が泳ぐ。

 この容姿で言われ慣れてないのは意外だな。

「いくら最後は腕力で勝てるって言っても、お前も自覚したほうがいいぞ。自分が可愛いってこと」

「また言う……!」

「何度でも言ってやろうか?」

 弱点を突くのは戦の基本。

 動揺しつつ、照れている反応はちょっと面白い。

「ぶっ飛ばしますよ?」

 陽向が耳を赤くしながら、半眼で睨んでくる。

「暴力による恐怖支配をやめろ」

「桜井さんは口が悪すぎるので!」

 握り拳を頭上に掲げ、頬を膨らませる様子は可愛げがあるんだが……

 あれを本気で振り下ろされたら、俺は死ぬかも知れないからな。

「身体でわからせてあげましょうか?」

「エロいことを言うなよ」

「エロくありませんー! 言葉のあやです……!」

「どうエロくわからせてくれるのか、やってもらおうじゃないか」

「むー!」

 手足をジタバタさせて悔しがる。

 本当に地団太を踏むやつなんているんだな。

「こうです!」

 開き直った陽向が、マジで殴ってくる。

「うおっ!」

 いわゆる肩パンである。

 痛い。

 普通に痛い。

 パンチが重い。

「やめろ! 痛い! 正直、すまんかった!」

「どうしたんですか、桜井さん? わたしはまだ力の一パーセントも解放していませんよ?」

「ラスボス感……!」

 ごすごすとパンチを浴びて、俺はイスに座ったまま後退していき――

「!?」

 そのまま派手にひっくり返った。

 身体が床にぶつかって、全身が痛い。

「いってえ……」

「ふっ、勝利とて虚しいものですね」

 床に座ったまま見上げると、陽向は両手を腰に当てて勝ち誇っていた。

「これに懲りたら、口の悪さを改めてください」

「前向きに検討していくことを善処することを、今後の課題にさせてくれ」

「それ無回答と同じだって知ってますからね」

 陽向が呆れた声を漏らして、再び半眼で睨んでくる。

 同時に。

 この話は終わりだとばかりに、洗濯機がとまったことを告げる音が鳴った。

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