9.ラノベの設定か?

 実相寺との打ち合わせを終えて帰宅すると、自称・吸血鬼のJKはソファで丸くなって寝息を立てていた。

 制服のスカートが少しめくれて、太ももがばっちり見えている。

 真っ白い肌、程よい肉づき。

 目の毒だ。

「こいつ……」

 仮に襲い掛かったところで返り討ちにされるだろうが、なにもせずに見てることはできるんだよなあ。

 俺は手にもっていたコンビニの袋をローテーブルに置くと、陽向に呼びかけた。

「おい、起きろ! お前には危機感ってもんがねえのか!」

 まったく反応がない。

 気持ちよさそうに、すやすやしてやがる。

 とはいえ不用意に身体に触るのはNGだ。

 そういう行為はあらぬトラブルを招く。

 俺はコンビニの袋から、晩ごはんとして買ってきたメロンパンを取り出した。

 陽向にファミレスで奢ったときも俺はドリンクバーだけだったので、実に朝食以来の固形物だ。わびしい。

「起きろや!」

 投げつける。

「にゅっ……」

 メロンパンが顔に直撃した陽向が奇妙な声をもらし、わずかに身じろぎした。

 数秒の沈黙のあと、ゆっくりと起きあがる。

「あ、桜井さん。おかえりなさい。くぁ……」

 欠伸を噛み殺し、陽向がそう言ってくる。

「我が家みたいにくつろいでんじゃねえよ」

「いまは暫定的な我が家なので」

「だからって無防備に寝るな。お前、もうちょっと自覚したほうがいいぞ」

「なにをです?」

「いくら俺が善良な男でも、限界があるかもしれないだろうが」

 言わんとしていることがわかったのか、陽向は上目遣いに俺を睨んだ。

「ひょっとして、寝ているわたしに変なことしました? スカートのなかを見たりとか、寝顔を見ながら自分磨きを――」

「してねえわ! 大体なんだその言い方!」

「ですよね。わかってます。桜井さんはそういうことしません」

 うんうんとうなずき、どこか得意げに言ってくる。

「わたし、自分に向けられている敵意だったりとか、強い感情をぼんやり感知できるんです。なんとなくですけど」

 お前は異能バトルに出てくる感知系の能力者か。

 俺がそんなことを思っていると、陽向は自分に投げつけられたメロンパンを手に取って問答無用で袋を開けた。

「家出してから三日間もネカフェに泊まっていたので、ソファですら居心地がよかったんです」

「まてまて、勝手にメロンパン食べるなよ」

「お腹が減っているので」

「減っているので、じゃねえのよ。夕方に散々ファミレスで食べただろうが。胃がバカなのか?」

「失礼ですよ」

 わざとらしく頬を膨らませてプク顔になると、陽向はメロンパンにかじりついた。

「はれは、ほそいお昼ごはん。ほれは晩ごはん」

「容赦なく食べやがって……」

 吸血鬼の犠牲となったメロンパンは、最早手遅れだ。

「口のなかがパサパサです……」

 だろうな。

 安いメロンパンのしっとり感のなさは地獄だからな。

「ちょっとまってろ」

 俺は今日何度目かの深いため息を漏らすと、コンビニの袋から紅茶のティーパックを取り出した。

 リビングとつながっているキッチンでお湯を沸かして、紅茶をつくってやる。

 ペットボトルで買うより、こっちのほうが安上がりだ。

「砂糖いるか?」

 俺の言葉にメロンパンをかじる陽向が首を振る。

「くそ安いティーパックだが、これがいやならコーヒーを飲め」

「いちいちそういう言い方をするのはよくないと思います」

 彼女はそう言いながらマグカップを両手でもった。

 ゆっくりと紅茶を飲む姿は、テレビCMみたいに画になっている。

 このくそ安いティーパックもバカ売れするかもしれないな。

 こうして見ている限りは、陽向が吸血鬼だなんてとても信じられない。

 俺の視線に気づいたのか、彼女が小首をかしげた。

「なんですか?」

「俺が知ってる吸血鬼はメロンパンなんて食べないんだよ。それを言ったら、ファミレスで食事もしないけどな」

「まあ、わたしは吸血鬼と言ってもかなり血が薄まっていますし、ほとんど人間と変わりないですから。桜井さんが知っている吸血鬼のイメージはウソだと言いましたけど、実は間違っていないところもあります。わたしが違うというだけで」

 俺の抱いていた吸血鬼のイメージは、ファミレスですべて否定されたわけだが。

「とはいえ、吸血鬼は怪物でもなんでもありません。人間です」

「へえ、興味あるね」

 JK吸血鬼を取材するにしても、その前提となる知識は必要だろう。

「じゃあ、何者なんだ。本物の吸血鬼ってのは」

「吸血鬼、いわゆるヴァンパイアの起源は古代ワラキアの魔術師だと言われています」

「ラノベの設定か?」

「設定じゃありません!」

 俺の率直な感想に、陽向は少し気を悪くしたようだった。

 まあ、ご先祖の歴史をラノベの設定と言われたら腹も立つか。

「悪い悪い。あまりにもそれっぽいことを言われたから」

「なんですか、それっぽいって!」

「いいから、それで?」

「むー。桜井さんのような、いい歳して社会の底辺に生きる一般人は知る由はないと思いますが」

「言葉の棘がエグいのよ」

 ラノベの設定とか言って、正直すまんかった。

「汝、暴力を受けたれば二倍の暴力を以て返すべし。と、葵さんに教わっていますから」

 また葵さん!

 マジでちゃんと教育しろ。

 昔流行った倍返しが得意な銀行員のドラマじゃねえんだぞ。

「とにかく。桜井さんは知らないと思いますけど、魔術師という人種は思想だとか人種だとか使う魔術の流儀だとかでギルドをつくって、長い時間をかけて色々な国や地域に馴染んできたんです。それはいまでも変わりません」

「ホントかよ……」

「例えば日本でも超有名な大企業の〈カオルーン商会〉は、もともとは八卦魔術を使う中華系魔術師ギルドです」

「ウソつけ!」

 マッチ棒からスペースシャトルまでと言われる、世界最大規模のグローバル・コングロマリット。それが香港の〈カオルーン商会〉。日本本社は神戸にあって、就職先としても学生たちに大人気だ。

「本当なのです。もちろん表社会に進出したいまとなっては、社員であってもそのことを知っている人たちはほんの少しでしょうけど」

「……」

「本当なのです」

「……」

「このように、魔術師は割と結構、そこら辺にいます」

 陽向はいたって真面目だった。

 こんなウソをつく意味もない。

 なので俺は先を聞くことにした。

「……それで、吸血鬼も魔術師だって?」

「そうですね。世界には様々な魔術の流派があるのですけど、そのなかのひとつに錬金魔術というものがあるのです」

「石を金にするってやつか?」

「それは錬金魔術の一端でしかありませんけど。まあ、そういう魔術を使う人たちです。その錬金魔術師のなかでもいつくか党派があるのですが。吸血鬼の起源は自らを不死の研究の人体実験の材料にして魔術の力を手に入れた、ノスフェラトゥ派と呼ばれるワラキアの錬金魔術師の一派なのです」

 陽向の説明によると、吸血鬼の歴史というのはこういうことだ。

 不死の研究の一環で強力な力を手に入れたその錬金魔術師たちの一派は、力と引き換えに様々な代償を負った。

 その代表的なものが太陽光への弱さで、いわゆる世間一般的な吸血鬼の能力や弱点のイメージはそこからきているらしい。

 彼らはヴァンパイアという蔑称で、一般社会のみならず魔術師界隈からも迫害を受けた。

 そして、欧州から世界へと散り散りになりながらも〈仮面舞踏会〉というギルドを形成して、いまや社会に深く根づいている。

 純粋な吸血鬼は自らを錬金魔術によって変態することでしか誕生しないが、力の一部は子孫に遺伝する。

 そうして何世紀にもわたって引き継がれてきた血脈の傍流に、陽向はいるらしい。

 彼女の吸血鬼としての力が弱いのは、始祖である錬金魔術師からかなりの世代を経て血が薄まっているからなのだとか。

「いやはや。俺はなにか? 現代伝奇系異能バトルに巻き込まれていく感じか?」

「それはなんのラノベですか?」

 陽向は半眼になって、呆れた声をもらした。

「世界中の魔術師ギルドは確かに、いまでも深く静かに抗争を繰り広げていますけど、一般人を巻き込むことはまずありません」

「そういうもんなのか」

「そういうものなのです。それに、わたしの家――世羅家は、欧州での迫害から逃れて大陸経由で日本に流れ着いた吸血鬼の家系なんですけど。〈八咫烏〉という日本のギルドの執行部に席を置く名門とはいえ、戦後の占領政策で日本の魔術師の系譜の大半は没落してしまいましたから、そういう話とは縁がありません」

 どうやら、俺の人生は現代伝奇系異能バトルとは無縁だったようだ。

 本当に助かる。

 そうしてざっくりとした説明を終えると、陽向はすっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。

「ちなみに世羅の家は鎌倉時代から続く、堂上家ですよ」

 えっへん、と胸を張る。

 だが、俺はまったくピンとこない。

「どうじょうけ?」

「……桜井さんは、教養がない残念な大人です。がっかりです」

「いや、知らんし」

 勝手に失望されたことは腑に落ちないが、スマホで適当に調べてみる。


『特殊な技術をもって朝廷に仕えた半家と呼ばれる家格で、明治維新以後は子爵となった』


 と、いう情報がすぐに出てきた。

「貴族じゃねえかよ」

「そうですよ」

 育ちがいいどころか、本物だった。

 そして、日本では吸血鬼は朝廷に仕えていたのか……

「吸血鬼のことはわかったけどな。子爵の家のお嬢様がなんでまた家出してきたのか。そこのところを知りたいね」

「それは秘密です」

 陽向は自分の唇に指を添えて、少しばかり挑戦的に笑った。

「なんでも話してしまったら、すぐに追い出されるじゃないですか」

「ちっ」

「いま、舌打ちしましたね」

「いやー、してないねえ」

「絶対しました」

「……」

 まあ、そうね。

 思わず舌打ちしたよ。

 できれば早く追い出したいからな。

「言っておきますけど、わたしはあまり役に立たないことを少しずつ話していって、できるだけ粘るつもりです。もうネカフェはいやなので。お金もないですし」

「自分で役に立たないとかバラすなよ」

 情報を小出しにしてくるつもりらしいので、いまはこれ以上聞かないことにした。

 俺は観念したかのように両手を挙げた。

「わかった、わかった。俺はこれから仕事するから、好きにしてろ」

「こんな時間からお仕事ですか?」

「二十四時間働けますかって、昔のCMも言ってたろ?」

「ちょっとなにを言っているのかわからないですね」

 陽向の話を聞いて、JK吸血鬼のインタビュー企画としてどこかに持ち込む。

 それがどれくらいの金になるかどうかは、神のみぞ知るだ。

 それよりも、いまは目先の売り上げになる、実相寺の仕事を片づける必要がある。

 なにせ三十人分の社員インタビューの原稿の締め切りは、三日後ときている。

 頭おかしいんじゃねえか?

 俺は胸中でそんな言葉を吐き捨てて、深いため息をついた。

 そんな俺を横目に陽向はなにかを少しばかり考え、おずおずと言ってきた。

「あの、そしたら、お風呂に入りたいのです。あと洗濯機を使わせてください」

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