8.秘密の社内恋愛してるカップルごっこしましょうよ

 実相寺真夏は前髪にアッシュブロンドのポイントカラーを入れた髪を大胆なショートカットにして、パーカーにショートパンツという姿だった。

 生足がまぶしい。

 一七〇センチ近くあるすらりとしたスタイルは、黙っていればファッション雑誌のモデルでも務まりそうだ。

 だが、しゃべるとうるさい。

「あーあー、仕事を持ってきた発注元をそんな邪見にしていいんすか? そもそもこんな美人なJDと仕事できることを感謝してほしいっすね」

「自分で美人なんて言ってんじゃないよ」

「事実っすから。あたし結構モテるんで」

 実相寺は〈5T〉のアルバイト社員だ。

 本人が言うとおり、現役の大学生。

 俺が通っていた大学の後輩でもある。

 雇用形態なんて関係なく社員に仕事をぶん投げる弓削さんのもとメキメキと成長し、いまでは正社員となんら変わらない仕事をしている。

「先輩、ギャラ安くしてくれるなら、おっぱい揉ませてあげましょうか?」

「逆セクハラやめろ」

「えー、カップ数聞いてきたり、乗り気になるオジサンとかいっぱいいますよ? ちなみにAカップっす。貧乳なんで」

「聞いてねえよ」

 相変わらず、すごいタフなやつだ。

 俺が身を置く業界にはまだ根強くパワハラ・セクハラ文化が残っていて、単に仕事ができるだけでは女子はうまくやっていけなかったりする。

 おじさんからのいじりや下ネタを笑って受け流し、なんなら乗っかることで評価される。

 いやな業界だ。

「ホントに揉ませてんじゃないだろうな?」

「まさかまさか。あたしこれでも処女っすから」

 本当の処女はそんなに明るくカミングアウトしないと思うが。

 真夏は屈託なく笑い、弓削さんの隣に座った。

 入れ替わりに、弓削さんが立ちあがる。

「実相寺、そしたらあとは頼むで」

「了解です」

 敬礼する実相寺に見送られて、弓削さんが会議室を出ていく。

 ドアが閉まると、彼女は上目遣いになって甘い声を出した。

「せ・ん・ぱ・い、これで二人きりですね」

「そうだな。さっさと仕事の話をしろ」

「えー。もうちょっと乗っかってくださいよ」

 わざとらしく残念な顔をしてくる。

「秘密の社内恋愛してるカップルごっこしましょうよ」

「誰がするか。ぶっ飛ばすぞ」

「顔はやめてくださいね?」

 すごいなこいつ。

 返しが淀みない。

 さすが海千山千の業界のおじさんを相手に渡り合っているだけある。

 実相寺はようやく仕事の話をする気になったのか、パーカーのポケットに入れていた缶コーヒーを差し出してきた。

「はい、先輩。うちの事務所、お茶も出ないっすからね」

「そうだな。わかってるなら改善してくれ」

「だからこうして、あたしが自腹で缶コーヒー奢ってるんじゃないっすか」

 俺は黙って缶コーヒーのプルタブを開けた。

 女子大生のアルバイトに缶コーヒーを奢ってもらう、アサラーの社会人。

 泣ける。

「先輩にお願いしたい案件はこれなんすけど」

 実相寺が渡してきたのは、エクセルでつくられた大量のアンケートシートをプリントアウトしたものだった。

 依頼は端的に言うなら、それなりに名前が知られた大手企業の、新卒採用ホームページに掲載される社員インタビューページのライティングだ。

 たまにあるだろ、各部署や職種ごとに何十人も社員が掲載されているようなやつが。

 ああいうのは普通、ライターがちゃんと取材をしてつくる。

 だが、実相寺からの依頼はこのエクセルのアンケートシートのみを材料に書いてくれというものだ。

 人数は三十人。

「一人当たりの文字数は、1000ワードくらいっすね。ワードプレスを実装したサイトなんで更新は楽なんすけど――」

「まてまて。1000ワードったって、お前これ中身がスカスカのやつあるぞ?」

 採用ホームページ用のアンケートなんてものは、人事部の採用担当以外の社員からするとマジでどうでもいい依頼だったりするので、きちんとグリップしておかないと回答は個々人のバラつきが激しいものになる。

 実際、俺に渡されたアンケートの束も、複数の質問項目に対してかなりしっかり書いてくれている社員もいれば、一行しか書いていない社員もいる。

「そうなんすよ」

 実相寺はしみじみと言った。

「これもともとは、シーガルキャリアのクリエイティブが制作プロダクションに丸投げした案件なんすよ。そしたらデザインで揉めて制作進行が破綻したうえに、こんなアンケートじゃつくれないってプロダクションが逆切れして、クライアントからクレームきてプロダクションが外れたんすよ。で、シーガルが建前上は巻き取ったんすけど、それをまたうちに丸投げしてるんすよ」

「なかなかに香ばしい案件だな」

「そうっすね」

「で、回答が一行しかないアンケートをもとに、社員インタビューつくれって?」

「そうっすね」

 俺は缶コーヒーを一気に飲み干し、深く深く嘆息した。

 肺から空気がなくなって死ぬんじゃないかと思うほどだ。

「先輩、こういう死んだ魚の目でやる仕事、得意じゃないっすか」

「得意じゃねえよ。俺をなんだと思ってる」

「どんな案件でも、納期を守って七十点のやつをあげてくれる人っすかね」

「お前なあ――」

 そういう人材を世の中では器用貧乏という。

 あるいは弓削さんの言葉を借りるなら、ステータスのパラメーターを五角形の図にしたときに、きれいなかたちになる五角形人材ということになる。

 つまりは何の特色もない。

 強みもなく、弱みもない。

 細々とした仕事がなくなることはないかもしれないが、圧倒的ななにかを残すことはないし、俺でなければ成立しないという仕事があるわけでもない。

 何者かになることなどない。

 代替え可能な秀才。

 いや、秀才にすらなれない凡才だ。

 俺は天才でもないし、何者かになることなんてとっくの昔に諦めているが、そんな自分の立ち位置を自覚する度にいやになる。

 いまだにそんな気持ちになってしまう、俺自身のちっぽけなプライドにうんざりする。

「そんなションボリしないでくださいよ。いいじゃないっすか、五角形人材。やってやれないことはないとか言って死んだ魚の目で仕事する先輩、嫌いじゃないっす」

「フォローの言葉選べや」

「こういう仕事は、誰かがやらないといけない仕事なんすよ」

 実相寺はイスから立ちあがり、会議室にあるマガジンラックから適当に雑誌を引き抜いた。

 国内外の広告業界のトレンドや、有名クリエイターが手掛けた事例が掲載されている月刊誌の最新号だ。

 適当にページをめくりながら、彼女は言った。

「ここに掲載されてる事例なんて、上澄みの上澄み、業界の一番いいところっすからね。下っ端の兵隊の、日の目を見ない無数の仕事のうえにこれがあるんすよ」

「まあな……」

「あたしは、そういう兵隊の仕事を尊敬してます。低予算でも短納期でも、くそみたいな案件でも。手を抜かないでどうにか七十点までもっていくのって――ある意味では仕事に対して誠実だと思ってるんで」

 実相寺の言葉の最後あたりは、誰に言ったわけでもないようだった。

 その声は会議室の淀んだ空気に溶けて消えていく。

 と、彼女がページをめくる手をとめた。

「あ、また載ってますよ、氷室星夏」

「実相寺、にやにやしてんじゃねえぞ」

「いやいや、するでしょ。先輩の元カノじゃないっすか」

 実相寺が見せてきた雑誌のページは、次代を担う若手クリエイター特集というインタビュー記事だった。そこには確かに俺の元カノが、オシャレなオフィスを背景に居心地悪そうな笑顔を浮かべている。

「いやマジですごいっすよねー。JAGDA新人賞取って、カンヌのブロンズも取って、日本を代表するクリエイターとしてノリノリじゃないっすか。実際、デザインじゃ業界の若手ナンバーワンでしょ?」

「別にすごくねえよ。昔から才能あったからな」

 カンヌは映画祭じゃなく、カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルのことだ。世界中の広告からすごいやつを表彰しようぜっていう、その名のとおりの業界人のお祭りだ。

 JAGDA新人賞は、日本で一番すごい若手デザイナーを決める賞だと思っておけばいい。

 なんにせよ、世の中の大半の人間にはなんの関係もない。

 だが、特定の業界で生きる人間には死活問題的に重要だ。

 俺が知っている氷室星夏は、新宿の場末の事務所で夜中まで働いていた、駆け出しのデザイナーだった。

 それがいまや、世界的に名が知られたクリエイティブ・ブティック〈ランドマークス〉のアートディレクターとして、国内外から注目されている若手クリエイターだ。

「昔は先輩とよく仕事してたんすよね?」

「ああ。下っ端のコピーライターとデザイナーだったからな」

 二人で組んで弓削さんから回ってくる仕事をやりながら、片っ端から色々なコンペに出し、飛び込みで自主提案をしていた。『賞なんてくだらないけどさ。この業界、自分がやりたい仕事をするには誰もがビビる肩書とか箔が必要なの』というのが星夏の口癖だった。

「差がついたもんっすねー」

「うるせえよ」

「まあまあ、先輩」

 実相寺はどこか得意げに言った。

「あたしもいずれカンヌを取って、超有名クリエイターになる予定っすから。ワン・ショウでもクリオでもいいっすけど」

「よくもまあこんな新宿の場末で言えたもんだな」

「安心してください。もしそうなっても、先輩のこと見捨てたりしないっすから。仕事回してあげますって」

「そいつはありがたいね」

 カンヌを取れるかどうかはしらないが、実相寺はこんなところで燻っているやつではないのだろう。

 俺は未来の超有名クリエイターから、七十点で仕上げる仕事の詳細を聞くことにした。

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