7.売れてないフリーは無職みたいなもん

 新宿にある古い雑居ビルに、〈5T〉という制作プロダクションが入居している。

 社員数は数人で、吹けば飛ぶような規模。

 そのくせ、仕事はなくならない。

 得意にしているのは、制作スケジュールが破綻している案件、予算がない案件、担当者が逃げた案件、クライアントがややこし過ぎる案件――そんなどうしようもない仕事を、あれこれどうにかして帳尻を合わせて終わらせること。

 広告代理店のクリエイティブ部門や出版社の編集部が、最後の最後にくそみたいな案件をぶん投げるゴミ処理係みたいな会社だ。

 だが、腕は立つ。

 ポスター1枚、バナー広告ひとつから、キャンペーン用のWEBサイトだろうが、テレビCMやWEB動画だろうが、PRイベントだろうが、雑誌の企画ページだろうが、タイアップ記事だろうが、なんでもござれだ。

〈5T〉に依頼すれば、東奔西走してスタッフを集めて最後はどうにかしてくれる。

 本当にどうしようもなく困ったときに頼む会社。

 そういう、伝説の傭兵みたいな扱いを受けている。

 だから、業界から重宝される。

「ひどい言われようやなあ」

「なにも言ってませんよ」

「いやいや、ひどいことを考えとった顔やね」

 俺はそんな伝説の傭兵的会社〈5T〉の事務所で、電話をかけてきた弓削さんと向き合っていた。

 使い古されたスチールのデスクが置かれた狭い会議室は、刑事ドラマの取調室のようだ。かつ丼どころか、お茶の一杯も出ないが。

「最近どうなん? 忙しい?」

「忙しいわけないでしょう」

「そらそうか。売れてないフリーは無職みたいなもんやからな」

 そのとおりだったので、俺はへらへらと苦笑するしかなかった。

 月の収入が3000円だったときの絶望感といったらない。

「そっちは相変わらず忙しそうですね」

「働けど働けど、僕の暮らし楽にならずやね」

「ホントかよ……」

 俺は弓削さんに、改めて視線をやった。

 美容室できっちりと整えた髪を整髪料で流し、ポールスミスの細身のジャケットを嫌味なく着こなしている。

 ベルギー製のシャレた眼鏡の奥からは、感情が読めないキツネ目が俺を見ていた。

 渋谷にあるスタートアップ企業の社長だと言われても違和感はないが、若く見えるものの年齢不詳、本物かどうかわからない関西弁、とはっきり言ってうさん臭い。

「泥水啜りすぎて、口のなかジャリジャリやわ」

「自分からそういう案件取りにいってるじゃないですか」

「桜井、泥水にはたまに金やダイヤモンドが混じっとるのよ。それをモノにするのがええんやないか。太い鉱脈掘ってなにがおもろいねん」

 楽して金やダイヤモンドが見つかると思うのだが。

 弓削さんはそういう、ナショナルクライアントの何億円という予算の仕事をして、予定調和的に有名になったり賞を取ったりするのが大嫌いな人だからな。

 言ってもはじまらない。

「で、なんなんです。急に呼び出して」

「桜井にお願いした、エンコーしている女の子の取材記事集める企画あったやん?」

「ええ」

「あれ、なくなったわ」

「はあ? なんでまた?」

「それがなあ。発注元も僕らとは別に何人かライター動かしとったんやけど。そのなかの一人が、取材した女の子とホンマにやってもうてな」

 弓削さんは目の前で手首を合わせて、お縄になった、というポーズをした。

 マジかよ。

 世の中、膝を砕かれたほうがいいやつが多いな。

「それで企画がポシャってもうて。でも、桜井はそんなに乗り気やなかったやん?」

「そりゃそうですけどね。こっちはもういくらか持ち出してんですよ」

「ごめんて。なかったことにして」

「可愛く謝っても意味ないですよ」

「そんなこと言わんといてよ。僕と桜井との仲やんか」

「腐れ縁でしょうが」

「悪いと思てるから、こうして直接会っとるわけやし?」

 俺は腕を組んで、深々と嘆息した。

 流れに流れてきた癖のある案件だ。

 こういうことは間々ある。

「それに、埋め合わせの案件、回すしな」

 弓削さんとのつき合いは長い。

 俺が他方から上京してきて入学した大学の先輩だ。

 出会った時点で、大学に八年いると言っていた気がする。

 ほとんど授業に出ずに広告制作会社や編集プロダクションでバイトをして腕を磨き、業界内に独自の人脈を築き、在学中から自分の会社をつくって仕事を請けていた。

 ライター、デザイナー、動画クリエイター、イラストレーター、なんでもいい。クリエイティブな仕事を志望する学生を見つけてきて、安いギャラで仕事を回す。そういうシステムだった。

 そして、俺もそんな学生の一人だった。

 夢を抱く学生にしてみればチャンスだし、弓削さんが求めるクオリティは安いギャラのくせに高かった。

 おかげで、志望していた業界へ就職したり、活躍するクリエイターになったやつも数多くいる。自分の実力を知って、夢を諦めたやつも数多くいる。

 俺はいまだにどっちにもなれずに、こうしてこき使われている。

 なんにせよ。

 弓削晋作という人は、十代の俺が漫画やアニメやラノベで慣れ親しんだ、奇妙奇天烈な大学の先輩をそのままかたちにしたような人だった。

「で、なんなんです、埋め合わせの案件って?」

「それはあたしの案件っすよ、先輩」

「実相寺、お前かよ」

 会議室にひょっこりと顔を出した女の名前を、俺はうんざりした声で呼んだ。

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