3.大切なことなので、二回言いました

 珍しい制服を着た女子高生の目撃情報を追っていくのは、比較的簡単だった。

「ついて、こないで、くださいよ!」

「そんな、わけに、いくかよ!」

 全速力で走りながら、俺は悲鳴じみた声をあげた。

 もうすでに太ももの筋肉が限界だし、ぜえぜえという自分の情けない喘ぎ声が耳に届く。

 池袋駅への階段を二段飛ばしに駆けおりて、いき交う人にぶつかりながらも追いかける。

 あの女、むちゃくちゃ足速え!

 全然追いつかない。

 それでも淡い青色の制服の背中をどうにか見失わずにいると――

 ヒナタがど派手に転んだ。

 ヘッドスライディングするみたいに、東口側の改札の近くで。

「おお……!」

 神のご加護か!

 俺は毎年の初詣を欠かしたことはないくらいには神を信じている。

「ざまあ、みろ、クソJKが」

 転んだままぴくりとも動かないヒナタに追いつき、俺は息も絶え絶えに言った。

 全力で走りすぎて、それ以上の言葉がすぐに出てこない。

 駅を歩く連中は、俺たちに目をやりながらも早足にとおり過ぎていく。

 都会は他人に無関心なやつらだらけだ。

「うう……」

 ヒナタがのろのろと身を起こす。

 まるで俺が、女子高生を無理やりに追い詰めているヤバイやつみたいじゃないか。

 客観的に見れば、そのとおりではあるが。

「お前なあ、とりあえず財布返せ」

 言いたいことは色々あったが、俺はまずはそう言った。

 財布を渡せと右手を差し出すと、ヒナタは飢えた獣みたいな目で俺を睨んできた。

 ちっとも懐かない野良猫かよ。

「いいか、よく聞け」

 俺は仕方なく、恥を忍んで言った。

「財布には十万も入ってない」

「え……?」

「多分、一万円も入ってない」

「はあ……?」

 ヒナタは眉間に皺を寄せて、露骨にいやな顔をした。

 俺の言葉を確認するかのように財布の中身を見て、その事実に固まっている。

「そんな。あんなリスクを冒してこれっぽっち……そもそも、十万って条件で会ったのに。ウソじゃないですか! 最低! ヤリ逃げするつもりだったでしょ!」

「でかい声を出すな!」

 言葉のすべてがヤバい。

 いますぐ通報されても仕方ない案件。

 そもそも俺が悪いという言われようもどうかと思うが。

「そっちこそ端から財布を盗むつもりだったんだろうが」

「だって、おにーさんは膝を砕かれても仕方ないんですよ?」

「その物騒な発想から離れろや」

「ああ……!」

 俺は彼女の手から財布を引ったくった。

「まってまって。わたし、さっきので力を使い過ぎて、もう、限界で……」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ヒナタの身体から力が抜けるのがわかった。

 糸が切れた人形みたいに、こっちに倒れてくる。

「おい!?」

 俺は反射的に、彼女を抱きとめてしまった。

 自称JKの身体は華奢で、ウソみたいに軽い。

 髪の毛はさらさらで、いい匂いがする。

「ごめんなさい。立ち眩みです」

 ヒナタが消え入りそうな声で言った。

 実際、駅の喧騒であまり聞こえない。

 だが――


 ぐうぅ~


 と、彼女の腹が盛大に鳴るのは聞こえた。

「…………」

「…………」

 数秒の間、沈黙が流れた。

 こんな状況で気の利いた言葉が出てくるほど、俺は経験が豊富じゃないんだ。

「……ので」

 ヒナタがなにかを言った。

 本当に力が入らないのか、まだ俺にしがみついたままだ。

「なんだって?」

「お腹が、減ったので!」

 開き直ったかのように声量をあげるな!

「ホントに、力が、入らないんです」

 迫真の演技というわけではなく、本当に弱っているように見えた。

 黙っていると、ヒナタはこちらを見上げた。

「お腹が、減ったので」

「なんで二回言う……」

「大切なことなので、二回言いました」

 彼女の瞳は、いまは赤くない。

 捨てられた子犬のような目である。

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