2.先にシャワー浴びてください

 ラブホなんて入るのは、何年振りだろうか。

 休憩3時間、4500円。

 制服を着た女の子を連れて堂々と風俗店とラブホが立ち並ぶなかを歩くのもどうかと思ったが、そういうサービスをしているお店の女の子だと思われているのかも知れない。

 ここいらでは見慣れない制服だし、澄ましていれば彼女は自称する年齢よりも大人っぽく見える。

「へー、こんな感じか。なんか想像してたのと違いますね」

 部屋に入ると、ヒナタはきょろきょろと視線を動かしてそんなことを言った。

 最近は面白楽しく過ごしたいカップルのために、いろいろと凝った演出や設備をウリにしているようなところもあるが、残念ながらここはそうではない。

 JR池袋駅の北口から出て数分の、主にはデリバリーできる女の子と使うためにあるホテルだ。最低限の設備しかないし、安いビジネスホテルと大差ない。

「どんな部屋を想像してたって?」

「なんかこう、回転するベッド的な?」

「いつの時代の知識だよ」

「はじめてなので、実は」

「あー……」

 失敗したなあ。

 よくよく考えれば、ホ別10を払おうかという男なら、金は相当もっている。

 だから、いままで会ってきた男が用意する部屋はこんなショボいラブホなわけがない。

 帝国的な、ヒルトン的な、シェラトン的な、そういうホテルに違いない。

 だが、残念だが俺にはそんなホテルの部屋を予約できる金はないし、クライアントに経費として請求できるわけもない。

 気づけば、ヒナタが半眼でこちらを見ていた。

 疑っているのか?

 俺が本当に十万を払えるかどうかを。

 実際問題、財布のなかには一万円くらいしかない。

 いや――ラブホ代を払ったので一万円もない。

 アラサーの男が、泣けてくるぜ。

「そりゃ君がいままで見てきたホテルとは、ちょっと違うかも知れないけれども。これには事情があって」

 俺は慌ててそう言った。

 慌てすぎて早口になっている。

「大丈夫ですよ。別に気にしないですし」

 ヒナタが天使――あるいは小悪魔――みたいな笑顔で、くすりと笑う。

 また、赤い瞳がこちらを見ていた。

「じゃあ、先にシャワー浴びてください」

 彼女の言葉を聞くと、なんとなくそうしないといけない気がしてくる。

 俺はリュックを足元に置くと、バスルームへのドアを開けた。

 ジャケットを脱ぎ、ベルトを外してチノパンを脱ぎ、シャツのボタンを開け――

 パンツ一枚になってから、不意に我に返る。

「いや、違うだろ……!」

 シャワーを浴びてる場合じゃねえのよ!

 俺はJKとのエンコー目的のアサラーおじさんじゃない。

 フリーのライターだ。

 君に会ったのは、SNSでそういうことをしている女の子を取材して、雑誌の企画ページの記事を書くため。

 すまないが、取材費は出せない。

 俺への原稿のギャラはくそ安い。

 そんなことを胸中で繰り返しながら、俺は急いで脱いだばかりの服を着た。

「すまない! 聞いてくれ、俺は――」

 ジャケットを引っ掴み、バスルームを飛び出し、俺は見た。

 俺のリュックから財布を取り出しているヒナタの姿を。

「あ……」

 彼女は目をぱちくりさせて、間の抜けた声をもらした。

「な……」

 俺も意味がわからず、動きをとめる。

 お互いが状況を理解するまでに、数秒の時間が必要だった。

 そして、同時に叫ぶ。

「なにやってんだ、お前はよお!」

「ウソ! もう効果なくなった! 魅了の魔眼、超苦手!」

「わけわからねえこと言ってんなよ、その財布を戻せ!」

「それは無理なので!」

「なんで堂々としてんだよ!」

 実際、ヒナタはまったく悪びれた様子もなく立ちあがり、腰に手を当てて胸を張った。

 俺の財布を持ったまま。

「女子高生に手を出すような大人は、膝を砕かれても仕方ないって葵さんも言ってた」

「誰だ、そんなえげつないことを平然言うやつは……」

 いや、心情的にはわかるし、そんな大人は膝くらい砕かれたほうがいい。

「だから、財布くらいはいいと思うわけなのです」

「いいわけねえ!」

 そもそも。

 俺は膝が砕かれても仕方ないことを、しようとしていたわけじゃないんだよ。

 そんな俺の事情など知るわけもなく、ヒナタはびしりと俺を指さした。

 財布を持っていないほうの手で。

「桜井さん、あなたは女子高生をお金で買うド変態だけど!」

「まてまてまてまて」

「この十万に免じて、膝を砕くのはやめてあげます!」

 彼女は高らかにそう宣言すると、ベッドの上にあったスクールバッグを手に取るなり、はめ殺しになっている窓に向かって走り出した。

「おいっ!」

 思わず叫ぶ。

 窓から飛び出すつもりか!?

 お前、ここは――

「四階だぞ!」

 俺の声と、彼女が丸くした身体を窓に叩きつけるのとはほぼ同時だった。

 けたたましいガラスの割れる音が響き、すらりとした身体を猫のように丸めたヒナタが外へと飛び出す。

「冗談だろ!」

 俺は砕けた窓に駆け寄り、階下へと視線をやった。

 そこには、もっと冗談だろと思うような光景が広がっていた。

 空中で身を翻したヒナタは、走っていたSUVのボンネットに勢いよく着地した。

 どごん、という衝撃音。

 金属が拉げる悲鳴。

 突如、空中から降ってきた女の子によってフロントをぐしゃぐしゃにされたSUVは、走っていた勢いそのままに後輪が浮きあがり、派手にスピンした。

 アスファルトを滑っていき、甲高いクラクションを鳴らして停止する。

「マジかよ……」

 そんななか、ヒナタがすくっと立ちあがった。

 なにごともなかったかのように。

 バスター・キートンだろうが、ジャッキー・チュンだろうが、真っ青になるほどのガチンコアクションだ。

 夢でも見ているのか。

 現実に頭がついてこない。

 クラクラする。

 だが、目の前のことは現実で。

 ヒナタはエアバッグが作動した車内の様子を気にして、何度も頭をさげている。

 変なところで律儀なやつだ。

 さらに唖然として足をとめている周囲の人たちにもしきりに謝ってから――

 脱兎のごとく駆け出した。

 彼女が視界から消えて、

「バカ野郎! 俺の財布!」

 俺に我に返って叫んだ。

 財布を抜かれたリュックを掴んで、部屋を飛び出す。

「なんなんだよ、あの女はよ!」

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