第48話 どうした、弥生? ~今日の妹の様子がおかしいのだが~

 阿久津久人あくつ/ひさとにとっての悩みが、また増えてしまった。

 今年の夏休みのスケジュールが破綻し始めている。そんな気がしてならない。


 どうしたらいいんだろ……。


 久人は悩み、考え込みながら岐路についていたのだ。

 幼馴染の早坂汐里はやさか/しおりとは、先ほどの十字路で別れた。


 彼女からは今月中、もう一度デートをしてほしいと言われたのである。

 本当は断ろうとしたけど、できなかった。


 汐里からのキス。

 頬にされただけだが、今もなお、彼女の唇の感触が残っているのだ。

 気恥ずかしさまで感じ、胸の内が熱くなってきた。


 んん……今はそんなことを忘れよう……。


 久人は、家に帰ることだけを考えるようにし、走って自宅まで向かうのだった。






「……ただいま……」


 久人は玄関に入る。すると、エプロン姿の妹――弥生やよいがキッチンの方から姿を現し、駆け寄ってくるのだ。


「お帰り、お兄ちゃん」

「うん、ただいま」

「お兄ちゃん、バイト帰りに買って来てくれた?」

「え?」

「え、じゃないよ。私、買って来てって、メールでも伝えたはずだよ」

「……そうだったか?」


 久人はズボンのポケットからスマホを取り出し、フォルダをひらいて、メールを確認する。


「あ……本当だ」

「でしょ。もー、私、楽しみにしてたのにー」


 妹は頬を膨らましている。


 久人は、バイトの事だけを考えすぎて、妹からの要望をすっかり忘れていたのだ。


「ごめん、今からでも買ってくるよ。何を買ってくればいいんだっけ?」

「メールにも書いてるし。見ればいいじゃん」

「あ、そうか」


 確かにそうである。

スマホの画面を見れば、一発でわかること。

 なのに、焦ってばかりで、そこまで頭が回らなかったのだ。

 今日の自分は、本当にどうしている。


「もういいよ。また、外に出て行ったら遅くなると思うし。明日もバイトなんでしょ? でも、近くの自販機でコーラとか買って来てくれないかな?」

「コーラ? 普通のコーラでいいのか?」

「そこは好きにしてもいいよ。お兄ちゃんが好きなコーラでいいから」


 久人は妹に背を向け、外へ出て自宅の扉を閉めたのだ。


 ヤバい、本当に忘れてたぁ……。


 今日は色々なことに巻き込まれてばかりで苦労が絶えない。


 久人は一先ず、一分ほどのところにある自販機へと駆け足で向かうのだった。






「では、一緒に夕食を食べよ。お兄ちゃんッ」

「うん、じゃあ、いただきます」


 席に座っている久人がそう言うと、リビングのテーブルを挟み、対面上の席に座っている妹の弥生が笑顔を見せてくれるのだ。


 が、久人はそんな気分じゃなかった。


 今日のバイト帰り。汐里と遭遇し、疚しい感情を抱えているのだ。

 この事を、弥生に相談するべきなのだろうか?


 食事中の弥生の姿をチラチラッと見つつ。久人は箸を使って、テーブルに置かれた豪勢な料理と向き合い、食事をとっている。


「……」


 弥生が一瞬、手を止め、久人の方をジーッと見つめてくるのだ。

 怪しいといった顔を浮かべている。


「もしや、隠し事ですか?」

「……」


 なんで、バレたんだ。何も口にしていないんだが……。


 久人は内面を覗かれている気分に陥り、ドキッとしてしまう。


「私にはわかります。お兄ちゃんが何も言わなくても。だって、顔にそう書いてるんですから」


 弥生は、久人の視線の動きを辿り、そう推測したらしい。妹は、本当に何者なんだと改めて思う。

 気が付けば、弥生はいつも久人の近くにいることが多い。


 それにしても、長年一緒に生活しているのだが、わからないところが多々あるのだ。

 血の繋がった存在なのに、不思議だと感じてしまう。


「私、聞きますから。何があったんですか?」

「……まあ、バレてたら隠しても意味ないよな。簡単に言うと。今日の帰り際に、汐里と出会ったんだ」

「ふむふむ、汐里さんと」

「それでさ……なんていうか」


 言いづらい。

 弥生にまじまじと見られている最中、汐里とキスしたとか、羞恥心が勝り、口ごもってしまう。


 でも、ここで言わないと、悩みを抱えたまま夏休みを続けることになるのだ。

 言い出しづらくても、ここでハッキリと相談した方が後々良いに決まっている。


 久人は、頬に残っている汐里の唇の感触をまた思い出すことになり。気恥ずかしく、たどたどしい口調になってしまう。


「……汐里さんとキス? ですか? そ、それは本当ですかッ」

「というか、なんで、弥生がそこまで激しい口調になるんだよ」

「え、な、なんでもないですけど。別に、いいんですけど……でも、ちょっと気になってしまったので。お兄ちゃん。汐里さんとは、どんな感じにキスしたんですか? 直接……ですか? ど、どうなんですか?」


 弥生は手にしていた箸をテーブルに置き、勢いよく席から立ち上がると、久人の方をまじまじと見つめている。

 どうしても明らかにしておきたいと言わんばかりの態度。


「弥生? そんなに興奮した感じに言わなくてもいいからさ。ちょっと、落ち着いたら?」

「……はッ……ごめん、なさい……ちょっと、予想外の発言だったので」


 弥生は普段とは違う雰囲気を醸し出している。何かがおかしい。

 以前、弥生は、久人に対して恋愛感情はないと言っていた。

 恋人として、意識しているわけではないと。


 けど、明らかに、弥生の言動が不思議だ。違和感しかない言動の数々。


 久人も箸をテーブルに置いた。


「俺は別に、直接じゃなくて、頬にされた感じだから」

「頬に? ……で、でしたら、いいですけど」

「どうした、本当に」

「な、なんでもないです」


 すると、弥生は席に座り直し、箸を手にして、再び食事を続けるのだった。




「それで、どうなったんですか?」

「今月中に付き合ってほしいって言われてさ。だから、俺は幼馴染としてならいいって、返答したんだけど。どうしてもデートがじゃないとダメだってさ」

「……お兄ちゃんは、どうしたいんですか?」

「俺は、付き合うっていうか。幼馴染として遊ぼうかなって。そんな感じ」

「お兄ちゃん、そんな感じだと、よくないです」

「え?」

「何かしらの形で、ハッキリとさせた方がいいです。じゃないと、その繰り返しになりますよ……多分、ですけど」


 弥生の言葉が小さくなる。


「ハッキリとか……でも、どうやって?」

「それは、お兄ちゃんが考えてください。汐里さんに、本当の意味で伝えられるのは、お兄ちゃんだけなので。私が、介入しても意味ないですから」

「そ、そうだな」


 久人は再び、テーブルに置かれた箸を握りしめたまま、深く悩み混んでしまう。


 恵令奈先輩という恋人がいながらも、二人の女の子からの誘惑に心が動揺してばかり。


 早く結論を出さなければ、来月の旅行に支障が出てしまう。何とかしなければ。


 久人は思う。

 幼馴染だからと言って、表面上の言葉だけでは、汐里に想いを伝えることなんてできないと――


 何かしらの形で、真剣に汐里と向き合わなければいけない。

 そういった時期に入っているのだろう。


 久人は、今後の汐里との関係を考え、妹と共に静かな夕食を続けるのだった。

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