第47話 私…元々、久人のこと、好きだったし

 阿久津久人あくつ/ひさとはバイトを終え。夕方ごろ、大段東海おおだん/あずみ先輩の家から後にしたのだ。

 やっと終わったという感想よりも、意外と早く終わったという印象が強かった。


「明日もバイトか……でも、毎日、東海先輩の弁当を食べられるなら、まあ、問題はないのかも」


 バイトといったら、もっと大変なものだと思っていたのだが、そこまで厳しいものではなかった。

 剣道について詳しい東海先輩がいるお陰で、特に何かの問題に巻き込まれるとはなかったのだ。


 久人は自宅に向かって一人。歩いていたのだが、背後から気配を感じた直後、話しかけられる。

 久人はふと、背後を振り返るのだ。


 そこには、外出用の私服に身を纏う幼馴染の早坂汐里はやさか/しおりの姿があった。


「久人。どこに行ってたの」

「どこって、バイト先に」

「へえ、バイトしてるんだ」


 汐里は距離を詰めてくるなり、いつも通りのトーンで話しかけてくる。


 でも、久人からすれば少々気まずかった。

 なんせ、この前、汐里には、強い口調で言ってしまった記憶があるからだ。




「久人、バイトしてるんだぁ。じゃあ、私もバイトしようかなぁ」

「汐里も?」

「うん。ダメかな?」

「ダメじゃないけどさ。どこでやるの?」

「それは、久人と同じ場所」


 汐里は明るい口調で言うと、さらに距離を詰めてくる。

 彼女の胸が強く押し当たったのだ。


「いいじゃん、どこでバイトしてるの?」

「それは、秘密というか」

「秘密? どうして?」

「……」

「もしや、私に言えないほど、エッチな場所とか?」

「違うよ」

「じゃあ、いいじゃん。私、この頃、久人と関われていないし。だからね、久人と同じ場所がいいの」


 汐里は甘えた口調で言う。

 が、久人からしたら、どうしても断りたかった。

 汐里の場合、喫茶店とか明るい感じの方が似合っていると思っているからだ。


 それに、東海先輩の元でバイトしているとか言ったら、色々と面倒なことに発展しそうで怖い。


 久人は口ごもってしまう。


「ねえ、どこ?」

「ここら辺の場所」


 久人は濁すように口にした。


「……ここら辺? バイトする場所なんてあったかな?」

「というか、汐里は、さっきまで何してたの?」


 久人は強引ではあったが、話の方向性を変えることにした。


「……私は、街中に行って、買い物してきたりとかね」

「そうなんだ」

「そうだ、後で私とデートしてくれるって言っていたよね?」

「え、う、うん……」


 デートというか、幼馴染という間柄で遊ぶといった感じである。

 決してデートではない。

 そう断言できる。


 そもそも、久人には、恵令奈先輩という爆乳で美少女な恋人がいるのだ。

 いくら他の女の子に言い寄られたとしても、靡かないと心に誓っている。


 たとえ、幼馴染相手だとしても、デートとしては付き合わないつもりだ。


「ねえ、いつ、デートしてくれるの?」

「デートじゃなくて、遊ぶだけからな。幼馴染としてさ」

「……そんなに、あの先輩の方がいいの?」

「そうだけど。だから、汐里と付き合うとかはないから」

「……」


 汐里は不満げな顔を見せ、少々俯きがちになるのだ。


「ねえ、私だって、好きだったんだけど」

「え?」

「だから、私も久人のことが好きだったの」

「……そんなこと言われても」

「どうして、ダメなの? ねえ、こっそりと付き合う感じなら、いいじゃん。絶対にバレないようにすれば」


 汐里は、顔を久人の耳元に近づけ、囁いてくるのだ。


 久人は内面から湧き上がってくる、胸の熱さを感じた。

 でも、これを受け入れてしまったら後戻りなんてできない。


「いや、俺は、どうしてもダメなんだ。ごめん」

「私とキスしたら、付き合ってくれる?」

「は? いきなりなんだよ」

「キスって、付き合う時にするものじゃない。だからね、ここで、キスをしたら、付き合うって言う意思表示になるでしょ?」

「そ、そんなの強引すぎるじゃんか」

「強引じゃないよ。それを言うなら、久人の方が強引じゃん……恵令奈先輩と勝手に付き合うことにしたし」

「それは、元々好きだったし」

「そういう話だったら。私だって……久人のこと、元々好きだったし」


 汐里からの告白。

 彼女から言い寄られることが多くなり、何となくはわかっていた。

 でも、面と向かって言われると、なんて返答すればいいのか困るのだ。




「ねえ、キスしよ」

「……こんなところで出来るわけないだろ」

「今、誰も見てないよ」


 しかし、ここは、住宅街である。

 夕暮れ時であり、ここら辺では、あまり人がいない。


 キスするなら丁度いい場面ではあるのだが……久人はキスなんてしたくなかった。

 幼馴染のことが嫌いだとかじゃない。

 ただ、超えてはいけない一線というものがある。

 だから、汐里とキスするなんてことはできなかったのだ。


「俺はできない……」

「え?」

「だから、できないんだ」

「……意気地なしじゃん」


 汐里から軽くディスられてしまう。

 彼女はいつにもなく毒舌である。


「ねえ、キスしなくてもいいから。明日から一緒にどこかに行こ」

「バイトがあるんだ」

「バイト? じゃあさ、私、そのバイトに行くよ」

「いや、来られても困るっていうか」


 久人は焦って、何とか誤魔化す。


「さっきもそうだけど、どうしてバイトのことを隠そうとするの? そんなに私にバレたくないところなの?」

「別にそうじゃないけど。あまり知らない方がいいんじゃないかな?」

「……」


 汐里からジト目を向けられる。

 絶対に疑っている瞳だ。


 な、何とか誤魔化さないと……。

 久人は隠そうとすることに必死であった。


「そんなに隠すなら、私、そのバイト先に行くから」

「だから、それは」

「じゃあ、ここで、私とキスする?」

「は? どういうこと。それはさ」

「久人、絶対に隠し事してるじゃん。だから、どっちか選んで」


 久人からしたら、どっちを選んでも辛い状況である。

 しかしながら、バイト先がバレるということは、東海先輩と一緒にいることが明かされることに繋がるのだ。

 それも困る。


 最大級の困難い直面している今、久人は悩んでいた。


「じゃ、キスでいいでしょ」


 汐里は自然な流れで、久人に近づき、キスをした。

 誰も歩いていない、住宅街の道の真ん中。

 車すらも通らない場所で、久人の頬に暖かい感触があったのだ。


 口元ではなかったが、キスされたのである。


「ねえ、これで、一応、キスしたことになるでしょ? だから、私の責任を取ってもらうから」

「そ、それ、強引すぎじゃ……」


 久人は困惑し、たじろぐ。

 目の前にいる幼馴染の瞳は本気であった。

 もう逃れられないと思う。


 久人にとっての夏休みは、まだまだ忙しくなりそうだった。

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