第15話 これって、普通に両親への挨拶みたいだよね…

 今、神崎恵令奈かんざき/えれな先輩の家の敷地内にいる。

 土曜日でかつ、幸せな時間を満喫しつつあり、先ほどスーパーを後に、先輩の家に到着したところである。

 彼女の家の扉前に佇んでいるのだが、なかなか緊張して入れないのだ。


「ねえ、入らないの?」

「今から入るよ……」


 それにしても、恵令奈先輩の家は大きかった。

 両親から、誰かとの結婚を取り決めるほどの家柄であり、それなりの家に住んでいてもおかしくはない。


 どんな仕事をしている家庭なのかは不明だが、阿久津久人あくつ/ひさとは緊張した面持ちで、買い物袋を持っている彼女の代わりに扉に手をかけ、開けたのである。


「お、お邪魔します……」


 久人は裏声になっていた。

 なんか、気まずい。

 初めての発言が変な感じになってしまうとは……。

 気恥ずかしすぎて、今すぐにでも、この場所から逃げ出したくなった。


「久人。早く入って、いいから」

「うん」


 背後から先輩の声が聞こえ、一先ず、玄関に入ることになった。

 その後に、スーパーの買い物袋を持った彼女が入ってくる。


「お帰りなさい」


 家の奥の方から、声が聞こえる。

 大人びた口調であり、落ち着き払った話し方。


 多分、家族の人だと、久人はそう察し、顔を上げ、玄関までやってきた、その人物を見やった。


 そこに佇んでいる人は女性の方であり、恵令奈先輩と同じく、ロングヘアスタイル。顔つきもほぼ似ていて、爆乳であることも同じであった。

 家族であるから雰囲気的なところも似ている事だろう。


 でも、姉なのか母親なのか、一瞬区別がつかなかった。

 それほど、見た目が若く綺麗だったからだ。


 ただ、恵令奈先輩は、姉がいるとは言っていなかった。

 だとしたら、この正面にいる人は……?

 母親なのだろうか?


 そうこう考え、真面目な顔で押し黙っていると、目先にいる女性から、“大丈夫”と話しかけられたのである。


 久人はハッと現実を引き戻された感じになり、視線を再び、その女性に向けた。


「久人?」


 背後にいた恵令奈先輩からも問われ、今まさに、爆乳に囲われている状態だった。


「んん、なんでもないです……」


 久人は急に恥ずかしくなった。

 現状を意識すればするほどに、爆乳のことばかりが脳内を激しく巡りまわるのだ。


「それとね、こちらは、私の母だからね」

「え?」


 右隣にやってきた恵令奈先輩は丁寧に説明してくれた。

 久人は驚くように顔を上げて、彼女の母親を見やる。


 その母親は余裕のある笑みを見せてくれたのだ。


「いつまでもそこにいるよりも、こっちに来てくれないかしら?」


 母親からの問いかけ。


「じゃ、行こ、久人」

「はい……」


 久人は恵令奈先輩に案内されるように、玄関で靴を脱ぎ、上がることになった。

 先輩の家は広く、結構な部屋が存在している。


 外観的に二階建てであり、それを考えれば、もっと多くの部屋があってもおかしくないと思った。

 お金持ちなのだろうが、両親がどんな仕事をしているのか、余計に気になってしまう。

 そんなことを思いつつ、彼女に誘導されながら先へ進む。


 途中の部屋で立ち止まることになり、先輩の母親は扉を開け、久人に入るように促してきたのだ。






「では、お二人ちょっと待っててね」


 ――と、母親は愛想笑いのような感じの笑みを浮かべ、部屋の扉を閉め、どこかに行ってしまった。


 二人はテーブルから少し離れた場所で、向き合うように正座していたのだ。


「……」

「……」


 急に二人っきりになると、何を話せばいいのかわからなくなった。

 久人ひさとは何かを話さないといけない気分になり、必死に脳内で考える。


「……久人? き、緊張しなくてもいいからね」


 恵令奈えれな先輩はそんなことを言っているが、彼女の方もそれなりに緊張している感じだ。声が震えていた。

 けど、そんな姿を見て、久人も気が楽になったのである。


「恵令奈先輩。今日はここで、何をすればいいんですか?」

「それは、この前言った通り、私の両親と直接会って、話すということなんだけど……」

「やはり、先輩の両親と……」


 母親とは先ほど遭遇した。

 両親ということは、父親の方とも顔見せしなければいけないということ。


 どう思われるのだろうか?

 やはり、このTシャツのような服装だと変だろうか?


 けど、これでも、今ある服装から真剣に選んで着ているものだ。

 まだ、汚れてもいないし、古臭くはないと思う。


 むしろ、季節は夏。それらしい服装であり、逆に好印象を持たれるかもしれない。

 そんなことを、クーラーの利いている部屋で、久人は考えていた。


「でも、リラックスね。私も、するから」

「はい」

「……」

「……」


 意識すればするほど、二人は無言になってくるのだ。

 どうしたらいいんだ?


「ね、ねえ、久人?」

「何でしょうか?」

「……手を繋がない?」

「急ですね」

「べ、別に嫌なら断ってもいいんだけど……手を繋いだ方がリラックスできると思って……その……」


 恵令奈先輩の頬は紅葉している。

 彼女なりに勇気を振り絞って口にした言葉なのだろう。


 スーパーに向かう途中の道では手を繋ぐことができなかったのだ。

 これはチャンスだと思う。

 久人は先輩と距離を縮め、手を繋ごうとした。


 刹那――


「ごめん、お待たせして」


 部屋の扉が開かれたのだ。


 そこには、トレーに飲み物を乗せ、やってきた先輩の母親がいたのである。


「あれ……もしかして、タイミングを間違えちゃったかしら?」


 母親は申し訳なさそうに言う。


「だ、大丈夫です……はい」

「んん……」


 恵令奈先輩は、不満そうに頬を膨らませ、母親をジーッと見ていたのだ。


「まあ、暑いでしょうし。オレンジジュースでもいい?」


 母親は、部屋のテーブル上に、二つのコップを置いた。

 そして――


「では、本題に入りましょうか」


 母親は真剣な表情を見せ、二人の姿が見える位置へ移動し、正座するのだ。


「今日、ここに来たということは、そういうことですよね?」


 母親は真面目な顔つきで久人と恵令奈先輩を交互に見、問いかけてくるのだ。


「はい。そのつもりです……それと、お父さんは?」

「あの人は、仕事があるということで、今はいません。急に仕事だとか、何とか言って居なくなったんですから」


 母親は少々怒り交じりの口調で、恵令奈先輩に言っていた。


「まあ、今日は私一人で、二人に意思の確認を行いますが……。二人は、付き合いということでよろしいでしょうか?」

「はい。そのつもりです」


 先輩は堂々と言った。


「久人さんといいましたよね?」

「はい」

「そのつもりでよろしいでしょうか?」

「……はい。そのつもりです……」


 急に問われると、顔を向けられなくなり、俯きがちになった。


「まあ、そのような考えでもよろしいですが。今のところ、一つだけ条件があります」


 母親は提案する姿勢を見せた。


「一先ず、結婚というよりも、久人さんが、私の娘のことをどれだけ好きなのか確かめさせてもらいます」

「どんな形で、でしょうか……?」


 久人は、ゆっくりと顔を上げ、母親の様子を伺うように見やったのだ。


「それは――、私の娘である恵令奈が、どんな状況に追い込まれても、久人さんが助けられるのか試させてもらいます」

「それだけでしょうか?」

「……」

「はい、わかりました……」


 久人は母親の真剣な視線に怯え、無言の承諾をしつつ、押し黙ってしまった。


「まあ、結婚以前に、本当に好きなのか見極めることが重要ですし。そういうことで、よろしくお願いしますね」


 言いたいことを話すと、母親は表情を緩ませ、笑みを見せてくれた。

 そんな表情を見るだけで、久人の心は救われた感じになったのだ。


「基本的なお話は終わり。お父さんがいたら、他にも話すことがあったんだけど、私一人ですし。今日はここまで。あとは、久人さん。ゆっくりとしていいですからね」


 母親は立ち上がり、軽くお辞儀をして、部屋を後にしていったのだ。


「……」

「……」


 真剣な環境からの開放感は凄まじいものだった。

 無言のまま、二人は視線を合わせられなかったのだ。


「えっと……久人? 私、料理を作ってくるね」

「え?」

「さっき、スーパーでカレーの材料を買ってきたでしょ?」

「はい」

「だから、キッチンの方で作ってくるから、待っててね」

「わかりました」


 久人が頷いた時には、恵令奈先輩は立ち上がり、買い物袋を持ち、部屋を後にしていたのである。


「……はあぁ……疲れたぁ、というか緊張したな……」


 久人は小声で、肩の荷を下ろし、軽く息を吐いた。

 そして、テーブルにあるジュースを飲むために立ち上がろうとしたものの。正座していたことで、足が痺れ、再び跪いてしまったのだ。


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