第13話 結婚相手さ、私に乗り変えてもいいのに

「ようやく来たね。というか、今日から一緒にやるけど。初日はどうする? この前のように、練習風景を見るだけにする?」

「そうです、ね。そうします」


 金曜日の放課後。

 久人は、剣道着を身に付けている大段東海おおだん/あずみ先輩と、剣道場の入口付近で向き合っていた。


 剣道場では、練習に取り掛かる準備をしている人ばかりが視界に入る。

 そこらへんにいる人らを見やる久人は気になっていたのだ。


「そういえば、あの後輩は……?」

「んん、今日も来てないね。まあ、やめたわけではないと思うしさ。多分、来るんじゃないかな?」


 東海先輩は気軽な感じに言う。

 基本的に立ち去るかどうかは、その本人に決めさせる傾向がある。

 だから、強制的に部活に参加させることはないのだ。


 しかし、久人だけは違い。東海先輩は、再入部させることに熱量があった。

 故に、今こうして久人は、剣道部に所属し直すことができたのである。

 確実に、東海先輩は、久人に好意を抱いているのだろう。


 この前、婚姻届の用紙を渡してきたほどだ。

 東海先輩を対処するためにも、先輩の欠点というか、弱点を見つけなければいけない。


 それができれば、目的はほぼ達成させられる。

 が、先輩はそうそう弱みを見せない人であり、困難を極めるといった感じだ。


 どうしたらいい……。

 阿久津久人あくつ/ひさとは小さく唸り声を出し、思考する。


「ん? どうした?」

「え、あ、いや、なんでもないです」

「そっか。ならいいんだが……」


 東海あずみ先輩は可愛らしさだけではなく、凛々しさも持ち合わせているのだ。

 間近でポニーテイルスタイルの先輩を見ていると、見入ってしまうようだった。


 ――って……これじゃあ、本来の目的と違うって。

 久人は一人で、内心ツッコみをしてしまう。


 ああぁ……もう少し真剣になれって。

 久人の心の声が次第に大きくなっていくのだった。


 そんな中、先輩は部員らがいる方へ正面を向けると――


「じゃあ、皆は今から練習すること、いい? 真剣にやっていない人には普通に注意したり、指導してもいいから」

「「「「「はい」」」」」


 剣道場にいる剣道着姿の部員らが、ハッキリとした口調で返答する。

 室内全体に、その声が響く。


「部長。今日の練習メニューは、先ほど貰った用紙の通りでいいですか?」


 副部長の男子生徒が、東海先輩の元へ歩み寄ってくるのだ。


「ああ、そうだ。頼むからね」

「はい。それと、試合のシミュレーション練習は?」

「それは今日はなし。今のところ、基本練習をすること。一年生もまだ入ったばかりだし。夏休みに入るまでの数週間は基本練習。でも、君の目から見て、優秀だと思ったら、応用した練習をしてもいいから」

「はい」


 男子生徒は礼儀正しく頭を下げ、今日のスケジュール確認を終えた後、そのまま他の部員がいるところまで戻っていった。


 多分、あの男子生徒は久人と同学年だと思う。

 クラスは別だが、かなり先を行った存在だと感じてしまい、自身の今のポジションに心苦しくなってきた。


「……」


 久人は俯きがちになった。


「ひさと?」

「あ、はい」

「気分が悪いのか?」

「そうではないですね」

「そうか? 少し外にでも出るか?」

「外に?」

「ああ。剣道をやらなくなって大分、間が空いてるし、気分が悪くないなら、学校敷地内をランニングする?」

「はい……」


 久人ひさとは一応、頷いておいた。

 久人は先輩と共に、剣道場を後に、学校敷地内の別のところへと移動することにしたのだ。






「東海先輩は、どうして、そんなに俺を部活に引き戻そうとしたんですかね?」

「それはだな。まあ、必要だったから?」

「必要? ですか? でも、副部長の方が優秀な気はしますけど」

「それはそうかもな」


 東海先輩は少々戸惑いつつも、咳払いをして、左隣を歩いている久人を見ていたのだ。

 二人は今、剣道場から離れ、本校舎の裏庭辺りを移動していたのである。


「私ね。ひさとと一緒にいると、なんかわからないけど。安心するんだよね」

「安心?」

「まあ、そうだな。守ってくれるとか、そういう感じの安心とかじゃないけど」


 東海先輩は気まずげに、視線を逸らす。

 頬を紅葉させている先輩は、久人と目線を合わせてくれなくなった。


 先輩はその場で立ち止まると、無言になっていたのだ。

 久人も同様に立ち止まり、先輩の方へと正面を向けた。


「東海先輩……?」


 疑問に思い、久人は先輩の様子を伺うように見る。


「ねえ、久人の好きな人って生徒会長っていうか、恵令奈だよね?」

「はい……」

「でも、どこが好きなの?」

「どこって……」

「ないの?」

「ないってわけじゃないですけど」


 久人はドキッとした感じになった。

 内面を探られているような瞬間。

 久人は必死に考えていた。


 恵令奈先輩のことが好きな理由。

 それはおっぱい……ではなく。

 恵令奈先輩と一緒にいて楽しいからだと思う。


 けど、先輩を好きになった理由は、やはり、豊満なおっぱい。

 爆乳であることは確実である。

 よくよく考えてみれば、好意を抱くきっかけは不埒なこと。


「ねえ、ひさと、実際のところどうなの? 恵令奈じゃないと駄目なの?」

「はい……」

「もう一度聞くけど、恵令奈のどこが好きなの?」

「一緒にいて楽しいからですね……」

「本当?」

「は、はい」


 久人は軽く頷いた。

 少々、心が動揺していたのだ。

 けど、必死に隠していた。


「そうなんだね。でも、ひさとは、恵令奈のことをあまり知らないんじゃない?」

「え?」

「その顔知らないね」

「そ、そんなことは……」


 久人は声が小さくなる。好きな理由がブレはじめ、一瞬、自信を持てなくなったからだろう。


 でも、恵令奈先輩は……。

 決して、先輩はそこまで悪い人ではない。

 直接関わった期間はまだ浅いものの、そういった確信があった。

 だから、迷いが生じていた自身の感情を一蹴し、気分を切り替えたのである。


「まあ、いいわ。ひさとが、今のところ恵令奈のことが好きなら止めはしないけど。ひさとが私のことを好きになってくれるように努力するだけだしな」


 東海先輩は凛々しくも優しい笑みを見せ、距離を詰めてくる。


「そろそろ、ランニングしよっか」


 先輩は、ひさとの耳元で軽く囁いた。


 久人は、そんな彼女の仕草に流されそうになってしまう。

 こんなんじゃ、部活に入部した意味がないじゃないか……。


 久人の心臓の鼓動はそうそう落ち着くことはなかった。

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