第26話 影と偶像

【文披31題】DAY テーマ「標本」


「……優史ゆうしくん」

「げっ、月島つきしま社長……!」

「待ちなさい」


 顔を合わせた瞬間に駆け出そうとしたが、そっと肩に手を置かれて阻まれた。

 真昼間に町中を歩くような相手じゃないのになんでこんな所に居るんだ。


 ようが不思議そうに顔を覗き込んでくるが、俺が首を左右に振ると、一瞬出された赤い舌が引っ込んだ。

 観念して振り返ると、爽やかな笑みがそこにあった。


 アイドル時代の事務所の社長――月島つきしま千景ちかげと炎天下の、誰も居ない通りで正面から鉢合わせた。

 オレンジ色をベースにした鮮やかな花束を片手に持ちながら、いつものスーツでその人はそこにいた。


「『げっ』とは何かな?」

「そりゃ、『げっ』にもなるでしょう、俺がどれだけ会社に損失出したと思ってるんですか……」

「損失は出てないな。将来的に『こうだったらいいな』が無くなっただけで、最小限に抑えた」

「……結構急だったと思いますけど」

「君は体調が優れないことに気づいた時点で素直に申告して、減らしてあっただろう」

「そうは言いましても……」

「元を辿れば『もう二度とやらない』と言って静かに暮らしていた君を、説得して引き戻したのは私だ。最終的に決めたのも私で、気に病むことはない」

「……社長だ」

「私は社長だとも?」


 本人もアイドルから……いや、元を辿ればバンドマンかこの人は。アイドルをしていただけあっていい笑顔をしている。


「ところで、社長はどうしてここに?」

「ああ、友人のところに行こうと思ってね」

「……入院中ですか?」


 花束を見て何気なく問いかけると、空いている方の手で空を指した。


「随分遠くへ『先に行って』しまってね」

「あ……すみません」

「気にすることはない。君も来るか?」

「……え? いや、邪魔しちゃ悪いですし」

「君とは一度しか会えなかったはずだから、喜ぶと思うんだけどなあいつは」

「業界の人ですか?」

「作曲家・火村ひむら風早かざはや。うちの事務所に居たら一度ぐらいは聞いたことがあるだろう?」

「え、あ、そりゃそうですけど……!」


 誰かの『影』として曲を書き続けた彼の為に、月島つきしま千景ちかげが自分の歌唱力で戦い売り出す為の場所として作った事務所。

 サウザントムーンプロダクション――通称・千プロ。

 他の大手に比べれば弱小事務所であるにも関わらず、それなりに仕事があり能力の高い人物が多いのはその立ち上げも理由の一つになっている。


「暇なら私と行かないか、墓」

「そんなカフェに行くぐらいのノリで誘われましても」

「賑やかなのは好きだったんだ、あれは」

「そうは言っても……」

「付き合ってくれないか。私自身が退屈してきた頃だ」

「ああ、それなら」


 ようが変な行動をしたらすぐに引き返すけど。

 チラリと視線を投げると、くるぅんとした可愛い目をしていた。なんだ急に、気持ち悪い。


 横並びで目的地に歩いて行く。

 当然のように話かけようとしても頭の中に浮かんでは消える。困り果てた俺の口から飛び出たのは会話のキャッチボールには向かない、あまりにもストレートな豪速球だった。


「社長は、どんな気持ちで俺に『やめていい』って言ったんです?」

「どんな、と言われてもねぇ」


 首を少しだけ傾けて、肩を竦める。

 俺にとっては大きな決断だったけれど、この人はそれよりも前に覚悟してくれていたのかもしれない。


風早かざはやではなく、私がアイドルユニットを組んでいたのは知っているね?」

鈴掛すずかけ秀哉ひでなりさんですよね」

「ああ。彼がね、辞めるときと変わらないと思ったんだ」


 それも随分大事だったんですけど。

 むしろ『人気絶頂期に怪我して引退』って結構な衝撃だったはずなんですけど。

 俺のメンタル壊して引退とどこが変わらないっていうんですか。

 規模の違う事を考えている社長の次の言葉を待つ。


「……もう偶像を続けられないんだなって」


 静かに言われたそれに、頭を殴られたような感覚になる。これ以上無い的確な一言。


優史ゆうしくんも、秀哉ひでなりも、多少の無茶なら……いや、アイドルを続けられる。けど、折れてはならない所が壊れて。そう、例えるなら心の芯が折れてしまったんだろう、と私は思った。理由は聞かないでくれ、そこまで説明できるほど賢くないんだ」


 それが直感でわかるのを、見る目があるって言うんだろうな。

 ただのノリと思いつきで何かを言っているように見えて、意外とそうではない読めない人物の横書を見上げる。


「それに、アイドルなんて標本みたいなものだから」

「標本、ですか?」

「そう。自分の思う理想の姿を手のうちに置いておきたい。『本人が幸せなら大丈夫だ』なんて言いながら活動を続けてほしいし、結婚してほしくない人もいる。……針で止めて美しいまま止めてしまおうとしてる」

「そんなに残酷なものですかね」

「少なくとも、写真、動画、その他諸々に切り取られた姿は手元に置いておきたくなるような、そういうものだろう」

「……自分の見たいところを観察することができる、都合の良い持ち物、か」

「そんなところかな。それで、君と秀哉ひでなりは『止められる』部分を作り出せない。次針を指したら、羽も何もかも壊れてしまう。……だからやめてもいいと思った。たとえとしては分かりづらいか」

「いえ、そんなことは」

「なら良いんだが。何にしても、私は社員を不幸にしてまで続けてほしいとは全く思わないんだ」


 格好いいことを言われている気がして見つめていると、元から高いよく通る声で楽しげに急に子供っぽく笑った。


「もう今この会社、私と私のバンド仲間が趣味でやってるようなもんだからね!」

「……あー……聞きたくなかったー……そんなきはしてたー……」

「君は勘がいい方だからね。ここが最適な子も、ここからやり直せている子も居るから辞める気は無いし、これからも守っていくつもりではあるけど。……当初の目的は果たしているから」


 腕の中の花束を見て、少しだけ寂しそうに社長は溢した。

 会社の人にこっそり教えて貰ったけれど、昔の社長はとても真面目で静かで、さほど笑わなかったらしい。

 大事な友人に言われてから、そして失くしてからはより、彼の面影を追うかのように明るく振る舞うようになった、とか。

 あくまでも聞いた話だし、俺も詳しくは知らない。

 俺が知っているのは豪快で、いつもどこか楽しげで、何事も挑戦させてくれる……怖気づいていた俺を掬い上げた社長なのだ。

 それを仇で返したようなものだけど。

 思わずうつむくと、その背中にぶつかってしまった。


「すみません」

「いや、着いたと言えば良かっただけだからね」


 言われて顔をあげると、沢山の墓が並んで居るのが奥まで見えた。

 ようを普通に連れてきちゃったけど、本当に大丈夫だろうか。

 社長が掃除用の水を汲んでいる間に小声で問いかける。


「お前こういう場所は大丈夫なのかよ」

「ウン。問題ない。お前らこそ暑さに気をつけろ」

「それはご忠告どうも」


 短く会話を終えて、水を汲み終わると目的の場所へと向かう。


「あっ」

「どうかしたのかな?」

「い、いえ」


 着いた瞬間、墓の前にようが着地したものだから、気が気じゃなかった。けれど彼は意外にも静かにその場に丸まって、そっと頭を下げた。

 話しかけたいが、社長がいるところでは出来ない。

 あの日見た黒いもやは、黒いうさぎの話は。


 ――よう、お前なのか。


 視線に問いを乗せてみても、まだ頭を下げていた。


「それじゃあ流していこうかー」


 社長が豪快に水をかけたところでようが飛び跳ねて肩に戻ってきた。

 何水ごときで泣きそうになってるんだよ。

 とは言うわけにも行かず、首に手を当てるフリをしてそっとひと撫でした。

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