第24話 影の奥底で叫ぶ

【文披31題】DAY24 テーマ「絶叫」


 ――人間なんか大嫌いだ。


 深く深く沈んでいく。

 叫んでも、喚いても、暴れても。

 すべてその手で押さえつけられて助けなんか来ない。

 手足を縛られて、重りをつけられて、動けないのに。

 何かを揃って言う人間達に囲まれながら僕は冷たい水に打ち付けられる。

 縛られているから動いても縄が食い込んでいくだけ。

 血が滲んで痛みが増していくだけ。

 ただでさえ冷たいのに、暗くなっていく。


 どうしてこんな事をするの?

 僕が人間に何をしたっていうの?


 あの頃はそんな事は考えられなかったけれど。

 言葉を教えて貰ってから、繰り返し見た夢の中で問いかけをやめられない。


 動けなくなって、それでも意識があって。

 真っ暗な中、まだ落ちていく。


 大きな何かが僕の事を一瞬見た。


 ――なんだ、兎か。それはいらない。


 そんなふうに言われた気がして、残念そうにされると大きな『それ』はそのまま僕を無視した。

 何故だかわからないけれど、『それ』の為に僕は放り込まれたはずだった。

 意味もなく、このまま沈んでいく。

 僕は、何のために、ここに在るのか。


 そもそもどうしてこんな目に合わなきゃいけないのか。

 人間なんか、大嫌いだ。

 ゆっくりと、まだ深く沈んでいく。

 いつまでこうしていなくちゃいけないのか。


 そう思っているとなにかが僕に触れた。

『それ』の近くを、それの下を、この辺りを。

 漂っている真っ黒な、大量な『何か』の束。

 そこから抜けでて影が纏わりつく。


 ――いらないのなら貰ってしまおう。


 ――そのままじゃ可哀そうだ。


 ――もしかしたら、出られるのかもしれない。


 口々に言う知らない何かは、僕の中に入り込んできて。




 三つ分の『記憶』と『感情』が一気になだれ込んでくる。




 身体が引きちぎられそうな、頭が割れてしまいそうな。

 痛みに身を捩り、誰にも届かない叫びを上げる。

 その叫びは今あげているものなのか。

 それともここに来るまでに体験した事をもう一度瞼の裏で見ているのか。



 何が起きてるのかわからなくなる。




 僕が僕でなくなる。

 今ここにいるのは誰なのか。




 僕自身も分からない。




 溶けて混ざる中で、錆びた赤い門のような、鳥居を抜けた気がした。





 のたうち回って、叫んで、這いずって。

 そうしているうちに、浜辺に出た。


 水面に映った自分に驚く。


 身体は真っ黒になってしまったけど。

 目も耳も三つになってしまったけど。


 それでもまた地に足をつけられた事が嬉しくてぴょんぴょんと跳ねる。


 そうしているうちに夜が来て、昼が来て。

 生きるために動こうとしても上手くいかない。


 何を食べたら良いのか分からなくて。

 今まで食べれた物は食べられなくて。


 せっかくあの暗い場所から出て来れたのに。



 ―― 辛い、苦しい、痛い、疲れた。



 今ならよくわかるそういう感情に包まれて動けなくなった。

 地面に転がって居ると、僕に『よう』という名前をつけたあの人が優しく抱き上げた。


「……うん。まだ、生きてるね」


 穏やかで落ち着いた声でそう言いながら、優しく額に手を置いて撫でる。

 何故か満たされて行くような気がして、目をゆっくり開ける。


 そこには整えられた茶色い髪の、和装の男の人。

 あの時は分かっていなかった。

 撫でられるだけで満たされることの意味。

 それ程の  が彼の内側から溢れ出ているということ。

 けほ、と軽く咳き込んで、苦しそうにした後。

 彼はオレを抱いたままゆっくりと歩き出した。


「ここで君に会えたんだ、私の物語はもう少しだけ、続けても良いみたいだ」


 力なく笑ってふらついていたのが、僕と一緒に居ることで少しだけ良くなったように見えた。

 あの人が柔らかく撫でながら何度も僕の言葉を受け止めてくれた。


「人間なんか大嫌いだ」

「そうだろうねぇ」


 気の抜けた声で、ゆっくりとした語り口で。

 掴みどころがなさそうで、突然難しいことを言い出す不思議な人。


「……でも、そんなものの為にキミが汚れることはないよ」


 彼の言葉が頭の中で何度も繰り返される。

 人間なんて襲ってしまえばいいのに。

 何度も考えたけれど、僕を『よう』にしたあの人が、寂しそうに言ったものだから。

 それから楽しそうに言ったから。


「嫌いでも良いから、関わらずにいておくれ。これは私の勝手な願い事だ。どうするかはキミに任せるけどね、よう


 そんな風に言われたら、出来ない。

 僕は貴方の事が大好きだったから。


 それでも奥底でくすぶるように、消えない。


 ――人間なんて大嫌いだ。


 貴方が汚れても、人はそんなことしらない。

 貴方が泣いても、人はそんなことしらない。


 壊れていく貴方を止められなかったのは僕も悪い。

 でも、それでも自分の事を大事にして、貴方を壊した。


 人間なんて大嫌いだ。


 貴方が居なくなって、随分経って。

 それでも言葉が頭の中を通り抜けて、だから襲わないようにしていた。


 でも随分経って、僕はふと思った。

 助けてやる必要なんかないじゃあないか。

 あの人の事は大好きだった。

 言うことは全部聞きたかった。


 でも、いつまで?

 もう戻ってこないのに。

 お前たちのせいで失くしたのに。


 胸の中に満ちる黒い感情が、耳の先まですべてを支配して行く。

 もうすぐいつもの店につく。

 そうすれば夏の終わりまで休んで、僕はまた一年人を襲いたいなんて思わなくなる。

 でも、これ以上歩みを進める気になれなかった。

 どうにでもなれ、と舌を伸ばした。


「痛ッて……!!」


 ゴッ、と鈍い音と痛みと同時に声を上げる。

 片方の目が赤い、眼鏡の青年が僕を見ていた。


 この青年が石を投げたんだろう。


 目の前の青年は、どうやら飲み込もうとした人物とは関係ない。

 ただ、助けようとしただけらしい。

 関わらなければ良かったのに。

 そう思って近づいてみると、彼の胸の奥に  が在るのを感じた。


 いつもは繰り返されない、あの日の『彼』の言葉の続きが頭を駆けていく。


 ――でもね、よう。私はそれでも、誰かを助けようとしてしまう、そんな人間が大好きなんだよ。

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