第22話 記憶に残る言葉、残された言葉
【文披31題】DAY22 テーマ「メッセージ」
――その黒いうさぎはね、俺は悪いヤツじゃないと思うんだ。
手を繋いでくれた彼はそう言って爽やかに笑った。
それがいつの出来事だったか、詳細には思い出せない。
子役として毎週放送される怖いドラマに出演していて、頻繁に撮影スタジオに出入りしていた。
入り組んだ作りの場所で、疲れていて珍しく、道を普段は間違えないのに曲がり角がわからなくなった。
スマホはそもそも無いし、携帯は楽屋に置いてきていたから連絡手段もない。監視カメラはあったのかもしれないけど、どうしていいかもわからない。
長い長い廊下に何故か誰も通らなくて、でもこの後撮影は始まるのが分かっていて、流石に泣きそうになった時だった。
「大丈夫?」
見た事の無い男の人が、いつの間にかそこにいた。しゃがみこんで、俺の低い目線に合わせてくれていた。
一度だけ唇を噛んで、笑顔を作る。
大丈夫、慣れている。
「はい、大丈夫です。迷ってはいるんですが」
「そっか、強いね。どこのスタジオに行くの?」
「ええと……」
説明をすると少し考えてから頷いて、男の人は手を差し出した。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「あ、いや、手は繋がなくても大丈夫ですよ?」
声は震えてない、大丈夫。
本当は繋いで欲しい、なんて子供っぽいから言いたくない。子供だからそれでいいのに、なんて思うのは振り返っているからなんだと思う。
「えーっとね、出来たら繋いでもらえるかな。俺、ペースが早いから人を置いていってしまうんだって。友人にもよく怒られてるんだ。どうかな?」
「それ、なら」
差し出された手に、自分の小さな手を乗せる。
嬉しそうに人懐っこい笑顔で彼は元気良く言う。
「ありがとう、じゃあ行こうか。早かったら言ってね」
「はい」
リズムでも取るかの様に、軽い足取りで彼は歩いていく。本当に少し早くて、置いていかれそうになる。声をかけようとした時に、彼は少し苦しそうに咳き込んで立ち止まった。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ、うん、大丈夫。最近ずっとこうで、慣れてるから」
「慣れてるって……」
「ちゃんと薬も飲んでるし病院も行ってるから安心して。心配してくれてありがとう。少し道案内するぐらいならどうってことないから」
知ってる、この笑顔は作り物だ。
だってよく俺も、兄さんもしているから分かる。
この人は無理をしている。
でもそれを言う気にはとてもなれなかった。
優しさで案内してくれているし、それでもここに来なくては出来ない仕事がきっとあるんだ。
「……無理しないでくださいね」
「ありがとうね」
先程よりゆっくりになった事で隣を一緒に歩く。
その間にも大勢人は居るはずなのに、誰も通らなくて疑問を口にしていた。
「どうして、僕があそこに居るってわかったんですか?」
「ん? うーん……」
男の人は少し困った様に笑って首を傾けた後に、何度か瞬きをした。
うん、そうだな、言っても信じないだろうし、なんて一人で頷くと俺の方を見た。
「黒いうさぎがね、教えてくれたんだ」
「黒い、うさぎ?」
「そう。聞いたこと無い?」
「僕はない、ですね」
「そっか。結構この業界だと有名な話だからいつか耳にするかもしれないね」
「そうなんですか?」
「うん。そうだね、気になってしまうだろうし、話しておこうか」
『黒い兎の話』と呼ばれる話。
それは『仕事が上手く行かない時に現れる』。
『三つの耳と、赤い三つの目を持った真っ黒な兎』。
状況が変わるまで、ずっと『傍に居て離れない』のだという。
気味の悪い話だ、とあの頃聞いた時は思った。
でも彼のどこか気の抜けた穏やかな語り口に思ったよりも嫌悪感はなかった。
「でもねぇ、俺はそうは思わないんだ」
「どういう事、ですか?」
「その黒いうさぎはね、俺は悪いヤツじゃないと思うんだ」
見上げた顔は不思議と楽しそうだった。
普段ならそのまま聞き役に徹するはずなのに、その日は気づけば口を開いていた。
「どうしてですか?」
「それはね……あ」
ちょうどそこで目的のスタジオについてしまって、気がつけば周りに人が沢山居た。
さっきまで静かだったはずなのに、忙しなく人が行ったり来たりしている。
僕を連れてきた彼の顔を見ると、多くの人が頭を下げていった。結構有名な人なんだ、と思った。
「それじゃあ、俺はこれで」
「あ、ありがとうございました!」
「どういたしまして、頑張ってね」
作り物ではない元気な笑顔で手を振って、けほこほ、と何度か咳をしながら廊下を歩いていった。
すぐに調べた時は誰かわからなかったけれど、数年後に彼が作曲家で、既に病気で『先にいってしまった』のを知る機会があった。
その時の事は鮮明に覚えていたのに、何故かここ最近は忘れていた。
彼から話を聞いた後も何度か、アイドルをしている間に『黒い兎の話』を耳にした。
不吉の象徴だとか、貧乏神じゃないかとか。
色々な話を聞いたけれど、俺は何故か最初に語った彼の言葉をその度に思い出していた。
多分だけど、悪いものじゃないんだろうなと考えていた。
今ならその、なんとも言えないふんわりとした直感も、もう少し確かなものになって分かる。
――だって彼はあの日、肩に小さな黒いもやを乗せながら笑っていたのだ。
「……っ、ふえっくしゅっ!」
「だぁああ!? きたなぁいいい!!」
ぴよんぴよんと今まさに汚れてしまった黒い耳を揺らしながら得体のしれない影は――黒いうさぎは抗議の叫びを上げた。
ティッシュを手に取りずびずばと鼻を鳴らしながら悪態をつく。
「うとうとしてる人の鼻に風を送り込んで遊んでるからだろ?」
「入れるつもりはなかったの! うわぁああべたべたする取れないぃい〜!!」
「うるせぇよ、両方の鼻に入ったこっちの身にもなれよ」
「ちゃんとベッドで寝ればいいだけの話だろぉー!やぁ〜だぁあ〜!!」
「急なド正論を言いながら喚くなよ、風呂に入れてやるから」
「ほんと!?」
「水風呂な」
「やぁ〜〜〜だぁ〜〜〜〜!!」
「お湯沸かす時間あるから。とりあえず水で拭こうな」
「……ウン。それならいい」
「わー……きたねぇな」
「お前の! せい!」
「はいはい、俺のせいですねー」
ティッシュで耳をおさえて抱き上げようとして、手元に置いておいたメモに文字が書いてあることに気づく。
「……なぁ、
「なに? 水に放り込んだら怒るよ、むぅ」
「しないしない。お前さ、何か書いた?」
「なんのこと? 書いてないよ」
「そう、か」
それは本を読む時に置いてあるメモで、今日はまだ何も書いていなかった。
ここが良かったとか、何ページ目まで読んだとか、そういうちょっとした事を書くモノ。
意識を逸らすために持ち上げた黒いうさぎに縋るように両手で抱きしめる。
「
「良い、汚したの、俺だし」
「どうしたの?」
「なんでもないよ」
「ほんとに?」
「ああ、大丈夫だよ」
手が震えないようにしながら、足早に風呂場を目指す。思い出しそうになって奥歯を噛みしめる。
それは
言われなくても分かっている。
俺は書いた覚えの無い、有るはずの無い、文字。
――あと、少しだね。
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