第21話 夜に溶け落ちる

【文披31題】DAY21 テーマ「短夜」


「寝ないのか」

「眠れないもので」


 まんじゅうのように丸まって机の上を転がっているらしい得体のしれない黒い影に、瞳を閉じたまま答える。

 少量の晩飯と、風呂を済ませた後。

 ベッドに横になるでもなく、椅子に座ってぼんやりとするのがいつもの夜だった。


 家で一人でぼうっとしていると、誰かが目の前に座って勝手に話し相手になってくる事もあった。

 けれど、今はようが居るせいなのか誰も出てこない。

 早く寝ろ、とは言われない生活は悪くはない。


「お前は叱ったりしないんだな」

「……寝たくないわけじゃないなら言ったって無駄だろう。眠れないんだから」

「ははは、よく分かってるじゃないか。そう、寝たくても眠れないんだ」

「あれだけ昼に出歩いても、か」

「アイドルの頃のが動いてて、それでも眠れなかったもので」

「……大変だな」

「まあ、ね」


 しばらくの沈黙の後。

 瞼をあげると赤い三つ目と目があった。

 ぴよん、と耳が三つ飛び出して左右にゆっくり揺らし始めた。


「お前さ」

「なんだー?」

「夜は危ないって言ってなかったけ、テンチョウ」

「この家の中なら問題ない」

「……なにそれ」

「とても強い、結界が張られている。闇に飲まれない」

「昔誰かに似たようなこと言われた気がするな」

「そういうのと関わりすぎじゃないかお前」

「昔はもっと接点少なかったし、無視してたんだよ」


 背もたれに体重をかけて、天井の方に顔を向けて目を閉じる。


「境界を超えないようにしてたんだ」

「投げやりになったと?」

「大体そんなところかな」

「どうしてそうなった?」

「……どうしてだろうねぇ」


 この黒い物体になら、話しても問題はないだろうに。

 音にしないまま終わった俺の初恋の話はここでも言葉にする気にはならなかった。


「なんか今日、ふわふわしてるなお前」

「そう? 元々こういう人間だよ俺は。ただ知らないだけ。傍から見た『白鳥しらとり優史ゆうし』と元の俺自身がズレてるだけ」

「……ふぅん。そういうものか」

「そういうものです」


 誰かが居ると素直になんかなれない。

 望まれた良い子。

 望まれるアイドルでリーダー。

 空気の読めるバランサー。

 そこに俺は居るのだろうか。


 考えた所で答えは出ないし、自分が違和感を感じていようとも『それ』として認識されている時間がながければ長いほど『それ』が俺になっていく。


 本当の自分がどうのだなんて言い出したら、それこそ痛すぎて鳥肌が立つ。

 拭えない違和感を抱えたままこのままやっていくだけ。

 誰にも見せてやるもんかと思っていたはずなのに、何故今は俺はこんなにも気を抜いて話してしまっているんだろうか。


 椅子に座り直して指を伸ばして黒い物体の多分頬をつつく。むにゅり、という溶けた氷枕を押した時のような独特な感触が伝わってくる。


「なんだ?」

「気持ちよさそうだったもので」

「どうだった?」

「触り心地抜群」

「そうだろう、ふふん」


 少しだけ角度が変わったのだが、多分これは胸を張っているんだと思う。

 楽しげな影を指先でなぞりながら無駄としか言いようが無い時間を過ごす。

 ゆったりと左右に耳を揺らしながら影は俺を見つめた。


「……お前は境界を超えたいのか」

「さあ、どうだろう」

「自分のことだろ?」

「そうだな。けど、そう。俺は自分に関心がないんだ。自分自身が一番どうでもいい。大事にしろと言われても、どうしたらいいかわからない。暖簾にどれだけ力を込めたって空振りするだろ。そういう感じ」


 薄いガラスの向こう側から、ずっと見ているような感覚。それが自分にとっての世界。

 一側面だけを綺麗に見せ続ける。それは俺にとっては難しい事じゃなかった。他の部分があることを認めて『人らしく生きろ』と言われる方が難しい。


 人間らしい執着は一つだけあればよかったのに、それが保てなくなったから俺は俺じゃなくなった。


 いや、何を考えているんだろう。

 俺はどこまで行っても俺でしか無いのだけれど。

 長い間時間をかけて綺麗に作り上げてきた俺の、アイドルとしての核は壊れてしまった。

 背中にあるライブで負った深い火傷の傷よりも、一族が受け継ぐ片方だけ赤い目よりも、俺にとってはその事の方が俺自身を崩した。

 もしかしたらきっかけを探していただけかもしれない。

 俺がここにある理由はもうない、それだけは事実だった。


「本当に、そうか?」

「どうしてそんな事を聞くんだ?」

「さあ、どうしてだろうな」

「なんだよそれ」


 影は揺らしていた耳を身体にぴったりとくっつけて、またまんじゅうの様に丸まった。

 ころんころんと転がって、俺の膝の上に着地する。その上に手をそっと乗せて柔らかく撫でながら、ゆっくりと目を閉じる。


 カチカチという時計の秒針の音がやけに大きく響いて聞こえる。


 しばらくそうしていて、瞳を薄く開けると窓の外がほんの少しだけ明るくなって来ていた。


「溶けそうになるから夜は好きなのに」


 そう残念がって呟くと、目の前が真っ暗になった。


「……影の前でそんなこといっていいのか」

「そのまま溶かしてくれるなら、本当にいいよ」


 口の端が上がる、笑ってしまう。

 何度も何度も嫌になるほど止められても、闇が心地いいのは変わらないんだ。

 同意の上なんて最高じゃないか。

 消してくれよ、跡形もなく。


「どうせ、僕のことなんか誰も見てないんだからさ」


 サラリ、と舐め取られると意識が遠ざかっていく感覚がする。

 影の中に赤い目が三つ、僕を見ている。

 あれ?


 違うな。


 これは見えているものがおかしいのか。

 もう溶けて行ってしまってるのか。


 確かに何もかも影に覆われているはずなのに、何かの輪郭が中で複数あるような気がした。


 影の中に、ある、これは、一体、なんだ?


 その疑問ごと、微睡みの中に落ちていく中で声がした。


「夏の夜は短いから、朝までは後少しだけど。それでも、少しは眠れた方がいいよねぇ」


 テンチョウによく似た喋り方の何かは、こちらを見て笑っていたような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る