第19話 夏の雪と氷
【文披31題】DAY19 テーマ「氷」
「だめ」
暑い日差しを避けるように、街路樹の影がかかる植え込みの近くにしゃがみ込む女性を見ていると、目の前を影に覆われた。真っ暗なだけで
「いや、でもあれは」
「人ちがう。だからだめ」
「わかってるって。ただあの人は助けないと」
「なんで?」
少しだけずれて視界を開けてくれると共に、
「知ってる相手だからだよ。それになにかあったらお前が助けてくれるんだろ?」
「むぅ。頼りにされても嬉しくなんか無いぞ」
「はいはい、そうですか。日除け頼むぞ」
「……道具じゃないぞ」
「知ってるよ、とても賢い影だ」
「……嬉しくなんかないんだからな!」
少しだけむくれあがって膨らんでから、収まったのを肯定として受け取り歩き出す。
女性の目の前にしゃがんで声をかける。
なんだお前、正体わかってるんじゃないか。
口の端を少しだけ上げて笑う。
それから顔を優しいものへと変える意識をして、普段より少し高い、澄んだ声を作ってから話かけた。
「……大丈夫ですか?」
「え?」
女性は驚いた顔をして、そして俺の顔を見て言った。
「さ、
「あー、えーっと……」
兄が『今』仕事で使っている別の名前で呼ばれて苦笑いを浮かべる。
そうか、そっちに見えるのか。
少しだけ瞳を閉じて顔をあげると、胸に手を当てて言った
「確かに似ているからこその『配役』でしたが、
「あっ……! 『レイス』役の……!」
「はい、『
「あれは、忘れられないです……!」
知ってます、泣いてましたよねあの舞台。だから覚えていたんです。
なんて言葉は飲み込む。
二度とそんな仕事はしない。
と、思っていたのに。
誰かが『
いや、正確には『
俺はその頃はまだ猫ノ目書房にも行っておらず、一日の殆どを家の中で過ごしていた。
劇そのもの評判は良かったらしいが、俺ではない『誰か』が演じた評価など受け取っても嬉しくない。
それを通り越して気持ちが悪い。
一体誰がそんな事をしたのか。
そう思いながら『
その時の役名が『レイス』で、明るいとは言えない結末に、感動してくれていたのはよく覚えている。
「勿体ないお言葉にございます」
「いえ、とんでもない……!」
「って言っても、今プライベートなんでここまでで。それより、大丈夫ですか?」
「へっ?あ、あ、はい!」
「……本当に?」
「えーっと、それが……動けなくなってしまって……」
「雪女がこんな季節に出歩くからだろぅー」
「
「あ、いえペットですね」
「むぅ! ちがぁう!」
「期間限定で一緒に居るんです」
「ああ、じゃあ、憑かれているわけじゃあないんですね」
目の前に居る女性が、ほんの少しだけ鋭い視線をしていた気がするが気にしないことにした。
「ええ。こんなところで話すのもなんですし、よければ近くの店に入りませんか、おごります」
「いえ、で、でもそれは月の乙女の掟に関わります……!」
そういやあったなそんな決まりごと。
『
――bar『
兄貴が作った店のサイトには要約すると『キャストのプライベートに関わるな』と書いてある。
……が。
その手の決まりを更にわかりやすく更に暗黙の了解を足した非公式ファンサイトの決まりごと。
――それが『月の乙女の掟』。
男でも問答無用でこれは『乙女』である。
これもまた、店で行われた舞台のタイトル由来だから問題なく通る。
舞台に立つ前に色々と調べた時に知ったので拒否する彼女は正しい。
が、ここで放置したら炎天下に水溜りが出来てしまう。いや、蒸発するかも。
一瞬葉を見上げると、目を少しだけ細めてから舌をんべっとだした。
「アーアー、イツマデモコンナコトシテルノヤーダーナー」
さっきまでとは違い急な棒読みに吹き出しそうになるのをほとんど死んだはずの役者魂で耐えて微笑む。
「こいつの機嫌が変わる前に行きましょ」
「す、すみません……」
「元気になったらまた店に顔だして下さいね」
「はい!」
「オレは関わっておいて適当出来るほど無責任じゃーなーいー」
「はいはい、そうですか。では、行きましょう」
「ありがとうございます」
手を差し出して立つのを手伝う。
遠くから見てもしんどそうだったのが、
ひんやりとした感触が伝わるが、屋内で感じたよりも弱いのが分かる。
「ところで、何故こんな夏に外へ?」
「
「思ったより夜に気温が下がって無かったんですね、ここ最近特に暑いし」
「すみません……」
「いえ。楽しみにしてらっしゃるのはわかりますし。あ、ここです」
「ここは……?」
――喫茶店「sweett flavor」
自分で案内しておいて、入り口の前で足がすくむ。竜神堂も神社もbar「
最短距離で、人外が気負わない場所。
判断は正しいはずなのだ。
食事も菓子も接客も評判がいい。
紅茶もコーヒーも本格的。
過ごしやすさは自分が一番知っている。
ただここは、自分が所属していた事務所のアイドルが時々イベントをしている店でもある。
伸ばそうとする手が震えて居ることに気づいて一度握るのと同時。後ろから声がかかった。
「こんな所で何してんだ
「
この店で働いている、俺の高校時代の同級生――
入院していたから、高校入った時に既に俺は20歳だったから相手は年下。その事を知っても気にせず変わらず接してくれた友人の一人でもある。
何故事務所をやめたかは知らないだろうが、そういう話を詳しく突っ込むような野暮な男でもない。
「道に迷ったお客さんを連れてきたのか?」
「いや、体調崩してたから少しお茶でもと」
「え? 大丈夫ですか?」
「あ、はい、かなり。あとは少し休めば……」
「良かった。え、お客さん、こいつに騙されてませんか?」
「だ、大丈夫です、分かってついてきてます」
「そうですか。何かあったら言ってくださいね」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
「腹黒陰険眼鏡クソヤロウマン」
「お前な……!」
「とりあえず中へどうぞ。奥の方の席なら涼しいですから、すぐに水お持ちしますね」
俺の反論に聞く耳を持たずに、
「……とりあえず中に入りましょうか」
「あ、はい」
「……お前、久々に見たと思ったら雪女連れで、肩のそれは何なんだよ」
「彼女は無害。肩のは……ペットだよ。
「聞いてない。彼女はまあ、見ればわかるとして……お前のペット、不服そうな目をしてるが?」
じぃっ、と赤い三つの点は俺の方を無言で見つめていた。
「本当に、大丈夫だから。期間限定だから」
「期間が終わった後に、とか言うんじゃ」
「お客さん待たせてるし、そろそろいいか
「……わかった、席に座ってろ」
「言われなくとも」
元々真面目な性格なのは分かっているので仕事に戻して、俺は座席へと向かう。
抗議の眼差しを背中に感じたが無視する。
「すみません、少し離れてしまって」
「い、いえ」
「そういえば、キャンセルの連絡はしました?」
「あっ! 気が回らなくて……!」
「ああ、じゃあ俺が連絡しますね」
「そんな、と言いたいんですけどいま電子機器に声を乗せられるのかわからないのですみません、お願いします……」
「そういえばお名前は……」
人外も大変だなぁ、と思いながらメールの予約番号と時間が分かる箇所をスマホで開いて貰って覚える。
こういう瞬間的な記憶力だけは昔から良い。
水を置きに来た
「今はまだ店やってない時間だからいいぞ」
「あ、マジか。まだ昼過ぎてなかったのか悪い」
「店始まったらお前に気づくお客様が来るからもっと奥に通してる。どっちみち今日はちょっと遅めの予定だったから安心してゆっくりしてろ」
「悪いな」
軽く一礼してから、自分のスマホで電話をかける。
「はい、bar『
「あ、もしもし。えーっと、セバスチャンさん、でしたっけ」
「ええ」
「突然すみません、
「……ええ、わかりました」
間があったのを考えると、目の前にいるのかもしれない。いや、居るか。営業日だし。
店で一度だけ呼ばせて貰った名前を記憶の中から思い出す。
「あの、今日予約してる
「おや。大丈夫ですか? 必要であれば何か」
「あ、いえ! こちらで対処します。忙しいでしょうし」
「わかりました。何か困った事があれば連絡を」
「ありがとうございます、すみません」
「いいえ。暑さは人の身にも辛いものですから、
「はい、ありがとうございます。あ、あと、『もう少し涼しくなった頃にまた来ます』って伝えてほしいって」
「そうですか。『一同お待ちしております』と、よろしければお伝え下さい」
「はい、必ず」
「他には何か用件はありますか」
「ないです、お時間取ってしまってすみません。では」
「ええ、では」
耳から離してスマホの通話終了のボタンを押した時、受話器越しではないハッキリとした悪魔の囁きが俺には聞こえた。
《……影との付き合いには、くれぐれもお気をつけてくださいませ。飲み込まれてしまわないように》
既に通話が終わっている事を示す画面を見て少しだけ寒気がした。
「
「ん、なんだ?」
「今の聞こえた?」
「……電話の内容なら聞こえてたぞ。なんかゾワゾワするやつだった。何と電話してた」
「悪魔だな」
「マスターか?」
「いや、別の」
「破ァッ!!」
叫ぶのと同時に頬にアタックされて俺の頬にもちんっとした感触が当たって跳ねる。
「何すんだよ急に」
「お前は軽率に人外と絡みすぎなんだ、危機感を持て危機感を!」
「お前に比べれば怖い所一個もないんだよあっちのが」
「それは人間を騙すのが上手いってだけだろう。よくそんなんで無事でいられるな!」
「影に纏わり憑かれてて、昼から雪女さんに真夏に遭遇する時点で果たして無事と呼ぶのかどうか」
「無事な方だろうが、最悪の事態を考えろバカめぇ! もっちもちの刑にしてやるぅ!」
「はいはい、ご心配をどうもありがとうございます」
もっちもっちびったんびったんと頬と肩を行ったり来たりするのを受け止めながら俺は話を戻すことにした。
「少々茶番が挟まりましたが、連絡できました。『一同お待ちしております』だそうです」
「あ、はい……仲が良いんですねぇ」
「ははは、そうだといいんですけど」
冷房の下で元気が出てきたのか、先ほどよりも自然に微笑む姿に安堵する。
誰であれ、どんな存在であれ、傷つくのは俺は好きじゃない。
自分自身はどっちでも良いんだが。
なんて考えていると、頼んでもいないかき氷を片手に
「……まだ何も頼んでないけど?」
「内側からも冷やした方が早いかと思いまして」
「す、すみません」
「いえ、こいつのおごりですから」
「オイコラ、勝手に客の財布からたかるな」
「お前が貯めこんでるの俺は知ってるからな?」
「まあ、自分に対して使う事が今ほとんどないからな……」
「それも知ってる。あとお前もなんだかんだ外歩いてるんだから食っとけよ」
「いや、俺はそんなには暑くなかったし食細いし……」
「その黒いのは食べたりしないのか」
「ものすごく、食べるから最近いろいろ食えてる」
「……ずっと居て貰え」
「さっきは疑ってたくせに」
「疑う見た目してるだろ」
「むぅっ、かわいいだろう!」
「喋った!?」
「喋るんだよ。涼しいって言っても氷溶けちゃうぞ」
「ホントだ。それではどうぞ、特製宇治抹茶かき氷です」
久しぶりに目の前に出されると、なんとなく懐かしい気持ちになる。
昔はよく食べていたのに、なんて思いながら開店時間までゆっくり過ごした。
ほとんどを葉に食べさせていたので、心配されたけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます