第15話 影と悪魔の笑う酒場

【文披31題】DAY15 テーマ「なみなみ」


「今ってやってますか?」

「まだ準備中なので注文は少し待って貰う事になるんだけど、座るだけならどうぞ」

「ありがとうございます」


 bar「曼珠沙華」と書かれた看板を出している最中の馴染みのバーテンダーに声をかける。

 それは公園横に来ている屋台。

 簡易なバーカウンターとほんの少しのオレンジ色の照明。

 座席の数は4つ程。一番右の席に腰掛けて、開店準備を見ていると、バーテンダーの赤い目と視線がぶつかる。準備の手を止めることなく相手は話しかけてきた。


優史ゆうしくん」

「はい?」

「どこで彼と知り合ったんだい?」

「やっぱり視えてます?」

「僕を誰だと思っているのかな」

「bar『曼珠沙華』のマスターですね」


 そして、正真正銘の悪魔。

 穏やかな笑みを称えたバーテンダーは俺に纏わりついている影――ようの事を見ていた。

 ふざけることもせずただ左右に揺れながら、ようはご機嫌そうにマスターを見つめている。


「乗っ取られてるのかと思ったけど、どうやらそうでは無いみたいだね」

「はい、一時的に一緒に生活することになりまして」

「へぇ。それで今年はうちの店には来なかったわけだ」

「どういうことです?」

「『夏の嵐』が過ぎたぐらいに大体この辺りに彼は引き寄せられるからね。元の寝床には帰れな」

「うるさいよ、マスター」

「あ、喋った!」

「ははは、これはいけない。うっかり余計な事を口走ってしまったね」


 悪魔にうっかりなど存在するのだろうか。

 不機嫌そうに舌をベーと出すのを横目に見ているとマスターが準備を終えていた。


「さて、じゃあ最初の一杯は奢ろうかな」

「とりあえずビール!」


 間髪入れずに横から注文が入ると、マスターが俺を見た。


優史ゆうしくんはどうする?」

「あ、じゃあ俺もそれで」

「承りました。何かつまみはいるかい?」

「角煮とポテトサラダー!」

「メニューも見てないのに適当言うなよ」

「数が用意できないから隠しメニューと言うか、まかないには存在してるよ」

「えっ!?」

「毎年一ヶ月はうちで寝泊まりしてるからメニューぐらいなら彼は覚えてるだろうねぇ」

「それで夏祭りまでか……」

「違う。それはたまたま」

「そうなんだ」

「では、しばしお待ちを」

「あ、はい」


 マスターは準備を始めると、狭い店内で姿を消した気がする。深く考えてはいけない、相手は悪魔だから。

 ように視線を移せばご機嫌に、いつもより少し早いスピードで身体を左右に揺らしていた。この店の飯が美味いのは知っているらしい。


「……お前、普通に飲むんだな。昔の飲み会みたいな頼み方して」

「伊達に入り浸ってない」

「わー……マスターに迷惑かけてそう」

「かけてない。店でぼんやりして、閉店したら奥で寝てるだけ」

「店でぼんやりしてるのか?」

「ウン」


 一人で?

 聞こうとして言葉を飲み込む。

 俺が猫ノ目書房の片隅で過ごしているのと何が違うんだ。


「酒は強いのか?」

「ウン。優史ゆうしは」

「……酔えないんだよな俺」

「そうなのか?」

「多分。仕事の付き合いで飲んだりしてたけど、周りが潰れていく中俺だけ正気で」

「しんどそうだな」

「酒のエピソードには困らなかったから悪くはなかったよ。ただ後処理任されるのは嫌だった」

「それはいやだなぁ」


 んべ、と舌を少し出して本当に嫌そうにする。

 話をしているうちに用意を終えたマスターが戻ってきていた。

 目の前にポテトサラダと角煮が並べられる。

 食欲はあまりなかったけど、目の前に出されると美味しそうだった。

 料理に見とれていると、ジョッキになみなみと継がれたビールがゆっくりと机に2つ。


「ごゆっくりどうぞ」

「ありがとうございます」

「乾、杯?」

「いえーい」


 傾けることが出来ない状態なのでチン、と少しだけ音をさせるとようは大口を開けて一気に流し込んだ。ゴクゴクゴクゴクと宣伝にでも使われそうな音がしていた。


「生き返るぅー!!」

「本当に飲むんだなぁ」

「しかし珍しいねぇ。省エネっぽい姿で人といるなんて」

「そうなんですか?」

「店だと人型でずっと座っているからね」

「え?」


 聞こえてないのか、聞こえてないフリをしているのか。

 小さめの黒い物体は角煮とポテトサラダを一人で全部食べようとしていた。


「あ、コラ、俺も食うんだからな!?」

「頼んだのはオレだ、全部オレのもんだ!」

「そこは半分にわけるもんだろ!」

「半分も食えるのかお前」

「それは……」


 言い淀んで居ると、それまで交互に俺達を見ていたマスターが笑った。


「仲良くやっているみたいだし、問題はなさそうだね」

「あ、はい。ちょっと手のかかるペットみたい、なっ……!」

「オレはペットではなーい!」


 こっちに向かってようが飛んできて、顎にクリーンヒットした。当たったところをさすりながら、皿の中につまみが残っているのを確認する。


「意外とそういう所は優しいから、食べちゃったりはしないよ」

「そうなんですね」

「マスターは何でオレの知らなくてもいい話を優史ゆうしにするんだ」

優史ゆうしくんはそのために来たんだろうなとおもって」


 目を細め柔らかい表情をしているものの、どこかマスターから冷たさを感じる。

「あまり得体のしれないものに関わるな」と、俺はこの悪魔にすらも何度も注意されている。


「心配しなくても彼は恩を仇で返すことはしないよ」

「……なら、良かったです」

「まあ、寂しがり屋だからキミにかまってほしいんだろうね」

「へ……?」

「悪魔の言う事だ、話半分で聞くといいぞ」

「真っ黒い物体に言われたくないけど……信じるも信じないもキミ次第、かな」

「そんなことより、ビールあたたまっちゃうぞ」

「あ、ホントだ」


 言われて水滴がたくさんついたジョッキを持ち上げる。口をつけて、一気に飲み干してしまった。


「しまった、癖で……」

「いつもそんな風に飲むのか?」

「飲み会ではその方が受けが良かったから」

「ふぅん。マスター、お水、水出して」

「はいはい」

「あ、大丈夫ですよ、酔わないし」

「いつもの優史ゆうしくんのペースじゃないのは僕も知っているので出すよ」

「え、あ、はい……すみません」

「全部奢りだから安心してね」

「え!? あれ、最初の一杯だけじゃ……!?」

「毎年の仕事がお陰様で一個減っているわけだし、気にしないで」

「お世話してくれなんて頼んだこと無いぞ!」

「泊まりたい、はほとんど同じ意味だと思うけどな」


 マスターとの言い合いを聞いているうちに珍しく頭がふわふわしてきて、机に突っ伏す。

 意識はあるんだけどな、と思いながら瞼を閉じる。やけに会話だけがハッキリと聞こえた。


「……楽しんでるのはようだけかと思ったけど、優史ゆうしくんもそれなりに楽しんでるみたいだね」

「ふん。もっと振り回すつもりだったんだ」

「ははは。それはキミの『成り立ち』の問題か、それとも前の『ご主人様』が良かったからか」

「オレがしたいからしてるだけだ」


 机の上に何かが置かれた後、ゴキュゴキュと飲み干す音がした。どれだけ飲むんだろう。

 気配の位置が、俺の隣になった気がする。

 何故か目が開けられないので確認は出来ないが、人型でちゃんと腰掛けて居るのかもしれない。


「そんなことより、なんで飲ませた?」

「ここはそういう店だからね」

「アンタは体調が悪いやつには飲ませないと思ってた」

「……それは勘違いしているよ、よう

「何をだ」


 ようから敵意を剥き出しにするようなヒリつく感覚が少しだけしたけれど、すぐにマスターが空気を変えた。


「彼に僕が出したのは水。魔術でビールに視えるようにはしてたけどね。優史ゆうしくんは気分で酔ったのさ」

「騙したな!?」


 ガタッ、と音を立ててようが立ち上がったのが分かる。俺も騙されてた事になるんだが、代わりにカッとなってくれたせいか気分はスッキリしていた。


「あはははは、それが悪魔と言うやつだとは思わないかい?」

「あームカつく」

「はいはい。まあでもこれで、今日の優史ゆうしくんはこの後よく眠れるから」

「そう……ならいい」

「彼の体調が悪いと知ってて、キミがこの店に入るのを止めなかったのもそれなんだろ」

「別に。飲みたいなら好きにすればいいと思っただけ」

「そうかい。いつからキミは捻くれちゃったんだろうねぇ」

「捻くれてない」

優史ゆうしくんのこと、ちゃんと連れて帰ってね」

「わかっている。夜だったらどうするつもりだったんだこいつは」

「それもわかってて昼に屋台に来た癖に」

「うるさい! 帰る!」

「あ、ついでだから夜ご飯持っていきなよ。どうせロクに食べてないんだろ、彼」

「今は毎日、少しは食べてるよ」

「そう。面倒見がいいペットが居てよかった」

「オレはペットじゃない!」


 なんだかんだと、ようは人型のまま俺を背負うと、家まで運んでいってくれた。

 歩く時の揺れが気持ちよくて、そのまま眠ってしまった。


 目が覚めてからマスターに貰った夜ご飯がすごい量だったのを知ったが、少しずつつまんであとはようが食べてくれたのだった。


 色んな種類のおかずをたくさん食べたのは、久しぶりな気がした。

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