第14話 薄暗い影の中で俺は生きている

【文披31題】DAY14 テーマ「幽暗」


 俺には相談する相手も、助けてくれる存在も居る。それでもその手を掴むよりも苦しくて何もかもから目を逸した。


 事務所を辞める時、社長は俺を止めなかった。

 引退してた俺をあれだけ必死にスカウトした癖にそれはもうびっくりする程あっさりと。

 スカウトしたときの俺の無気力と、辞める前の限界の違いはちゃんと見極めてくれていたのが嬉しくてつらかった。


 仲間もファンも裏切るように、口を閉ざして不調で休止してそのまま俺は消えた。


 裏切ったと罵られても俺は構わない。

 事実外を出歩きたくもなかったし、そのままこの世界から物理的に消えてやろうと思っていた。


 最低最悪の展開だけは社長達に阻まれたので今日も俺は生きている。


 俺がアイドルとして駄目になっているのは自分が一番わかっていたし、良くならない事も目に見えていた。

 アイドルユニットのリーダーで事務所のアイドル部門の責任者・白鳥優史しらとりゆうし

 礼儀正しくて裏は厳しくて真面目でお茶目。


 ――完成されて居たとは思う。


 私生活の影響を出さないことだけが俺のいいところだったのに。

 たった一つの出来事が、俺を蝕んで、取り繕うことができなくなった。

 仕事中にぼーっとし始め、的確な場面で言葉が出てこない。手足が思うように動かない。

 俺は「アイドルの白鳥優史しらとりゆうし」を演じられない。


 ボロが完全に出てしまう前にやめた。

 それでも自分にしては判断が遅かった。


 未だにまともな生活に戻れない。


 それどころか、日々悪化している。

 食事の量は減っているし、少しでも食べすぎたら戻す。

 身だしなみは買い物に困らない程度にはしているが、最低限。

 部屋の中のものが上手く片付けられない。

 自分がおかしくなっていくことが分かるが、人にあうとまだ、壊れたはずの「アイドルのスイッチ」が少しだけ入る。


「俺は大丈夫だから」


 変わらない笑顔で言えば誰もが帰って、忙しさに関わりの薄い俺の事を忘れていく。

 それがギリギリでついた嘘だなんて思わない。


 社長も、その周辺の部下の人も知ってる。

 でもアイドルの仲間には言ってない。


 事務所の中でうずくまって居るのを、たまたま見つけた琉聖りゅうせい大冴たいがだけ。


 その事に勝手に気づいて、家まで来るのはただ一人。


 昔から無口だけど面倒見が良くて、たくさん遊んでくれた人。だから信頼できるけれど「ストーカー気質でもあるんじゃないか」と時々思う程いいタイミングで必ず来る兄の友人。置き土産と言ってもいいレベルのほぼ保護者。


 ようと生活していてその事をすっかり忘れていた俺も悪い。ガチャリ、と扉を開けた瞬間に無言で立つ190cm台の男は流石に俺でも怯む。


「なにしてるの、後月しづきさん」

「倒れていないか見に来ただけだ」

「結構出歩いてるし、ちゃんと食べてるよ」

「そうか」


 いつもは穏やかな視線が怖い。

 この人には視えるはずがない。

 それなのに、的確に後月しづきさんは俺の肩を、ようを見ているようだった。


 黙って伸ばされる手に、何かが込められている気がして掴む。


「どうした?」

「もう子供じゃないんだし、撫でたりとかは大丈夫だよ」


 見ている。

 この人はわかってなにかしようとしてる。

 ようは動くことなく、その赤い瞳をくるんとした可愛いものに――だから、それで許されると思ってるのかお前。


「……肩にゴミが憑いている、取るだけだ」

「ゴミはついてないよ」

「自分では見えないだろう?」

「視えてるよ。ゴミなんかついてない」


 なんで玄関先でこんな緊張に包まれなければならないのか。珍しく出かけようとしただけなのに。

 この人だけは俺のせいで巻き込まれるだけで普通の人だと思っていたのに。

 確認したくはないけれど、ように何かされても嫌なので聞いた。


後月しづきさんには何か見えてるの?」

「……ああ」

「ならそれは、ゴミじゃないよ」


 確かに真っ黒だしテンチョウも何度も汚いもののように見る。

 でもゴミじゃないんだ、と思って肩口を見るとまだくるんとした可愛い目で後月しづきを見ていた。

 目だけ可愛くてもアンバランスさで逆に気持ち悪くもあるんだが気づいてるか。


「飼ってるのか」

「……預かってる、感じ」

「そうか」


 降ろしてくれなかった手がゆっくりと引く。

 じぃ、っと見つめたまま後月しづきさんは静かに言った。


「俺には黒いもや、ぐらいにしか見えないが。もっと違うのか」

「うん、もう少し……」


 キラキラの、くるぅんとした、可愛い目が、俺の方を見ていた。やめろ、肯定したくなくなる。


「か、わ、いい、かな?」

「……言い淀んだな」

「まあ、その、無害だから」

「そうか」


 自分でも変な顔になっているのが分かる。けど、後月しづきさんはそれ以上は見つめるだけでようを追求はしなかった。


「……顔色が良くなったな」

「え?」

「ちゃんと食べてるのか」

「うん、割と」

「睡眠は」

「今月は結構寝れてる」

「なら、いい」


 そう言って背を向けて、勝手に帰ろうとする。


「え、もう行っちゃうの?」

「無理してなければ俺はそれでいい」

「……あ、うん。じゃあ」


 ご飯ぐらい一緒に、とも言えずに去っていく背中を見送る。


「いいのか?」

「忙しい、人だし」

「ふぅん」


 んべ、と赤い舌が伸びて後月しづきさんに軽く触れると、急に立ち止まって膝をついた。


「何してんのさ!?」

「ちょっとぐらいなら、あいつはなんとも無い」


 悪びれもせず戻す途中の舌を大きくべろんべろんと揺らしていた。


「少しゆっくりして、昼飯でも食べれば治る」

「俺の心、読んだ?」

「読まなくてもわかる」


 短くした舌をベロベロしてようはからかうように言った。


「誘いに行け。一人で歩くにはふらつくぞ」

「……良いペットだよな、お前」

「むぅっ! ほっぺたもちもちの刑!」

「はいはい、俺こまっちゃうナー」


 大福餅のような抗議の感触を受け止めながら、俺は後月しづきさんと食事に向かった。

 一緒に食べた所で、後で戻してしまうかもしれないんだけど。

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