第11話 緑陰の幻

【文披31題】DAY11 テーマ「緑陰」


 夏の嵐が過ぎた翌日。

 町は驚くほど平和で静かで当たり前の日常だった。


 和菓子屋・竜神堂りゅうじんどうや一部のお店が臨時休業していて、何人かの知り合いの人外が眠そうで疲れているだけ。

 その疲れている存在の1つ。


 町一番の桜の木の精・吉野染五郎よしのそめごろうが護る森に俺たちは来ていた。

 朝方戻ってきたボロボロになったテンチョウに「『それ』が居ると気が散るから」、と点検する為に店を追い出されたのである。

 早朝の静かな道を歩いてたどり着くと、疲れた様子の、だが整えられたスーツ姿の小柄な吉野よしのは片眉を上げた。


「珍しい組み合わせですね……キミ、また厄介事に首を突っ込みましたか?」


 木の上で休みながら小言を言われるのを受け流して、お気に入りの場所へと突き進んでいく。


「道を間違えないでくださいね、呼び戻すのも一苦労ですから」


 それ以上は何も言われなかったが、どうせ吉野よしのはどこからか『視ている』。ああは言っても人間を見捨てることができないのだ。

 桜の木から少し下った場所にある、木々の中にある鬼の家。この時間、普段は竜神堂りゅうじんどうで働いている鬼の子供――れつが迎え入れて庭に通してくれる。

 ように驚いたものの、話で知っていたらしく特段咎められもしなかった。

 言動が大人びたり子供っぽかったりするので、どういう存在なのか。この影が一体何者なのか掴めない。


 持っている情報では詮無き事、と考える事を放棄して横になる。俺は緑の隙間から射す光をぼんやりと見つめた。平和だ。


「いいところだな」

「うん……あ、じゃなくてはい!」


 あまりにも穏やかな空気に流されて、ようにタメ口を聞いていた。急いで言い直すと何故不機嫌そうに返される。


「別に、かしこまらなくてもいいけど」

「……いや、でも年上なのは確定でしょう」

「オレはそういうの気にしてない」

「そうですか?」

「ウン」

「……じゃあ徐々に、そう、する」

「そうして。友達みたいだから」

「ん?」

「なぁんでもない」


 ご機嫌そうに身体を左右にゆーっくりと揺らしながら、辺りをふわりふわりと動き回る。

 慣れとは怖いものだ。

 森の中でこんな真っ黒くて得体のしれない、形の定まらない物を視たら俺でも泣き叫びたい。

 だが、これは敵意がなくただご機嫌なことが分かる。もはやどこが頭で足なのか俺には判別出来ない影は、楽しげに声を書けてくる。


「ここ好きなんだ?」

「静かだからね、人も来ないし」

「……優史ゆうしは人をやめたいのか?」


 ぞわり、とする高いけれどただ好奇心だけが乗せられた声。この答えを誤れば一気に持っていかれそうな気がする。


「そこまでは、考えたことない……かな」

「ふぅん。そう。そうなんだ」

「やめたいって言ったらどうなっ……てた?」

「…………何もしない」


 その間はなんだよ。

 言ったら均衡が崩れそうなので、話題を変えることにした。


「なぁ、『夏の嵐』ってなんだったんだ?」

「知りたいの?」

「俺には『毒だ』って言ったから、興味はある」

「ウン。毒だよ。優史ゆうしには良くない」

「どうしてだ?」

「あれは……」


 ようが揺れるのをやめて、動くのもやめて、俺の横にストンと着地した。


「『生きたかったモノの塊』だから」

「どういう意味だ?」

「オレは説明が上手くないから……分からなかったらごめん」


 三つの赤い目がどこにも見えず、閉じているのが分かったのでそのまま黙って聞くことにした。


「きっかけは何でも良いんだ。まだ終わると思ってなかったモノが、自分がなにかもわからなくなって。でもまだ『生きたい』と、その想いだけが固着してガチガチに固まってしまったモノ……の大群」


 言いたいことは、わからなくはない。

 俺だって昔は『終わりたい』なんて思った事はなかった。生への執着は生物の基本的な願望であり、それがあるからこそ繁栄し継承されていく。


「それが、あんなに、居るのか?」

「ウン。本当にきっかけは、なんでも良いんだ。何もかもがああなるわけじゃないし。ただ、ああなりやすいのは――」


 ザァ、という風の音で聞かなかった事にしたかった。


「え?」

「……どんな生物も、ほとんど終わりを選べはしない。塊になるほどたくさんの、大群になるほどの無念が、この地を通り過ぎていく理由はキミなら分かるんじゃないかな。優史ゆうしも知っているんでしょう。今は『教科書』という物があるんだろう。昔から『アレ』は居たけれど。どんどん効率よく、一瞬で、終わらせられる世界になっている。だから一つの大きな個体じゃ済まなくて、大群になった。この場所は平和だけど、竜神堂りゅうじんどうだって全てを守れたわけじゃない。 だからあれは、『夏の嵐』」


 何を言えばいいか分からず黙って聞いていた。

 じわりじわりと身体の中に、角だけつけた布に藍色が深くしみ込んで行くように、言葉の意味を正しく理解して、吐き気がこみ上げてくる。


 俺は知っている、ずっとこの町に住んでいたから。

 俺は知っている、この町の歴史を学校で習ったから。

 そう、この町はずっと平和だった。

 この町だけは平和だったのだ。


 ただ、その周辺は、昔、夏に全てが――


 シャツの胸元を掴んで上がってくる物を飲み込み、ぐらつく視界をなんとかしようと瞬きをする。気がつけば隣に座っているのは黒い髪に透き通るような白い肌。額にも赤い目のある、3つ目の、気弱そうな小柄な青年だった。


「……だから、優史ゆうしは視ちゃ駄目」

「それ、誰が視たって、駄目なヤツだろ」

「今のキミでは、連れて行かれてしまうから駄目だ。現に今、キミはボクと普通に会話が出来ている。これが何を意味するのか、本当は理解しているんじゃないかな。猫ノ目書房で言われたことは全て正しい。ボクは小汚」

「そこは俺、聞いてないから」


 真っ黒ではない白い手を掴んで、話を遮る。

 吐き気には慣れている。生きているだけで嫌になるような世界にも、人間の愚かさも身に染みている。


「……ごめんね」

「聞いたのは俺、でそれ以上はいらないってだけ」


 自分の察しの良さに嫌気がする。

 馬鹿なヤツのポジションにずっと居たから忘れていた物を思い出してしまう。

 数年入院している間に遅れただけで、諦めなければ元々俺は頭の回転が決して遅くはない。

 考えるのが嫌で、人を馬鹿にするのも嫌で、俺は馬鹿になったのだ。


「べつのはなし、たのしいの、しよ」


 気がつくと真横に居たはずの青年は、小さく縮こまった黒い物体になっていた。

 天気の話とかいう話題が無いときのカードを切りそうになったので、呼吸を整えながら適当な話をする。


「……夜ご飯、何にする?」

「お鍋!」

「熱いから嫌だな」

「きしめん!」

「茹でるのは熱いから嫌だって。トマト口に投げ入れんぞ」

「んぎゅぐぇ……!」


 実際に投げいれては居ないのだが、この前食べたのを思い出したらしく変な鳴き声が出た。

 それまで穏やかだったのが急に木々の間を飛び回り俺の顔面めがけて飛んでくる。


「ゆるさん……!」

「舐めてもらっては困ぶっ……!」


 転がって背を向けて避けたが、地面に着地してすぐノータイムで背中にタックルされた。

 それからはずっと、木陰でひたすら追いかけっこしていた。


 いつの間にか陽が傾いていたらしく、れつに夕飯に誘われたのでその日は結局カレーになった。

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