第10話 影と夏の嵐

【文披31題】DAY10 テーマ「くらげ」


「まだ連れてるのかい、それ」

「夏祭りまでの約束なので」


 あからさまに眉を下げて残念そうにテンチョウが言う。見た目は胡散臭いけれど、ここまで露骨なことはあっただろうか。なんて考えながら躱して店の、自分がよく座っている席にようを連れたまま落ち着く。

 今までは毎日入り浸っていたので、一週間ちょっとでも随分と久しい気がする猫ノ目書房。

 読みかけのまま置いてきた本に手をつけようとすると、テンチョウが横に立っていた。


「早めに手を切った方がいいと私は思うよ」

優史ゆうしとの約束だ、口出しするな」

「店に入れただけでも寛大に対応してやってると言うのに、本当に良い」

「じゃあ今日はこの本を借りて俺は帰り」

「わかった、もう何も言わないから、ゆっくりしていきなさい」

「……はぁ」


 テンチョウが諦めたように離れていこうとする背中に、言わなきゃいいのにようが言葉を投げる。


「うるさくするから嫌われるんだ」

「お前が居なけれ小言など私は言わないよ、汚い上にうるさいなんて救いようがない」

「ッ……」

「テンチョウさん。何も言わないって俺聞きましたけど?」

「わかった、離れるから」


 無害な事を示すように両手をあげて後ろ向きに歩きながら距離を取る。積み上げられている本が崩れないか見ていると、何かを思い出したらしい。


「ああそうだ、優史ゆうしくん。今日はここに泊まって行きなさい」

「え? いや、帰りますよ。テンチョウさん嫌がるし」

「もちろんキミが連れてるそれは嫌だとも。だが、それ以上に厄介なものが今日は通る」


 テンチョウが窓の外を見たので視線で追いかける。

 特に変わったところはない、強すぎる夏の日差しと青い空。

 そのまま凝視していると、遠くにたくさんの白い点が浮いているのが見えてきた。


「……あれは?」

「『夏の嵐』だよ。この辺りの人外も術師も、全員が覚悟を決めて迎え撃つ……いや、やり過ごす自然災害みたいなものだ」

「そんなのがあったんですか?」

「気づかずに過ごして貰うのが私の、この町に居る視える者達の願う所だからね。今の所上手く行ってるようで嬉しいよ」


 遠くの数多の点を鋭い目で睨みながら、テンチョウは説明を続ける。


「色々と引き起こしてくれるんだけど……基本はクラゲの大群みたいなものかな。足に絡め取られたらしびれて、攫われる。捕まったらそう簡単には戻っては来れない」

「だからやり過ごす」

「そう。一体だけなら対処できるけど、大群だから。うっかりこちらから何かしたらとどまる時間も長くなる」

「大変ですね。俺に」

「いいかい優史ゆうしくん。竜神堂を筆頭に山の天狗も、桜の吉野も、その他大勢の術者も人外も最小限の被害に抑え、イレギュラーが起きても対処出来るように綿密に打ち合わせしてる。キミに出来るのはここで大人しくしていることだ。良いね」

「……はい」

「わかれば宜しい。それが一緒に居るのは嫌だが、優史ゆうしくんの監視ぐらいなら出来るだろうし」

「お前の言うことなんか聞かない」


 んべっ、と赤い舌を出してテンチョウを煽る。

 鋭く睨まれてすぐ引っ込めた。怖いならやらなければいいのに。苦笑いを浮かべながら大人しく本を読むことにした。


「キミが連れてるそれには元から期待してないけど。普通の人間なら少し動けないぐらいで済むかもしれない。が、今のキミは影響を受けてしまうだろうから本当に大人しくしていてくれ」

「前ならそうでもなかったんですか?」

「そうかもしれないね。少なくともそれとつるんでいる以上無事じゃすまないから」


 言葉と同時に纏わりつく影が腕に強く掴まる気がした。言われなくても今の所離すつもりはない。

 指先で少しだけ撫でるようにすると、力が弱まった。


「確認ですけど、テンチョウさんは外に出るんですか?」

「もちろん。店を持つものの責任、というやつがあるからね」

「はぁ……」

「周辺の猫たちも避難させてるから、もしものときは手伝いを頼むよ」

「もしもは無いほうが良いんですけど」

「そのつもりだけど、保険はあったほうがいいからね」

「わかりました」


 遠くに視える白い点を俺はぼんやりと眺めた後、本に集中した。時々さらさら、と髪の毛で遊ばれているのはわかったが、それで退屈がしのげるのならば問題もない。


 いつの間にか目を閉じていて、顔をあげる。

 窓の外には禍々しい光景が広がっていた。

 青すぎる空の中に、白く浮かぶ、本当にクラゲのような、だが確実に違う何か。

 無数の赤い点はようの比にならない明るさで、邪悪な輝きを放っていた。


 呼吸が止まっている事に気づいても硬直したまま動けずにいると、闇が俺を包んだ。


「……あいつは嫌いだけど、言ったことはあってる」


 詰まった息が通るようになり、闇の中なのに心地よく感じる。ああ、これもしかして取り込まれてる。というより食われてる? まあでも、それはそれで悪くないかな、と思っていると視界が開けた。


 ぱちぱちと瞬きをすればいつの間にか店の中ほど、店長が普段座っている場所に移動していた。


「……ここなら影響を受けない。通るまでじっとしてれば良い」

「なん、で知ってるんですか?」


 まだ少し呼吸が整わない中で問いかける。

 一度だけ頭の部分をゆらり、と揺らし何も言わない。

 もう一度窓の外を見ようとすると、目の周りだけ隠される。


「……見ちゃだめ。優史ゆうしには毒」


 ああ、見たから動けなくなったのか。

 だとしても、何故『ここなら』影響を受けないと知っているんだろう。付き合いが長いから?

 いやでも、テンチョウとは仲が良くないなら店の中なんて入らない気がする。

 場所の問題か、それとも俺自身の好奇心か。


「どうして、知ってるんですか?」


 もう一度疑問を問いかけてみても、俺の目を隠したままでようは何も答えなかった。

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